2017. 12. 25  
メリークリスマス&ハッピーニューイヤー☆


『今はちょっと、ついてないだけ(伊吹有喜:著)』です。



昔、フォトグラファーとして活躍していた浩樹。
バブル終焉とともに事務所の社長は破産宣告し、連帯保証人の浩樹に借金がのしかかります。
仕事はまったく声がかからなくなりました。

地元に帰り、昼と夜に工場で働きながら15年かけて借金を返したところ、働いていた工場が閉鎖。
今はパチンコ通いの毎日です。



入院していた母からの頼みで病院へ行き、写真撮影をしていたときにトラブルが。
自分のものはほとんど売り飛ばしていたけれど、これだけはどうしても手離せなかったというカメラ。
そのカメラのレンズにカビが生えていました。


母は浩樹に怒鳴ります。
「大事な商売道具にカビ生えさすなんて!!
あんた、ホンマにカメラやる気あんのか!!」
それが元で母と大喧嘩もしてしまいます。浩樹にも言い分はあったけれど・・・。


それから数日後のクリスマス、浩樹の元にクリスマスカードが届きます。
母からでした。
そこにはこんなメッセージが。


「今はちょっと、運がむいてないだけです。
心のなかでは浩樹のいいところ、いっぱいいっぱいわかってます。
うまく言えんくて、ごめんね。
そのうちいい運がやってくるよ。

メリークリスマス&ハッピーニューイヤー
クリスマスのあとには、ハッピーなニューイヤーが来るんだ。
だからさ、もういくつ寝ると、幸せな新年が、来るんだよ」




ついつい言いたいことをわーっと言ってしまうオカンなんですね(笑)。
でも身近な人と口げんかになるってありますよね。

職場とか友人とかの関係だと、いつでも理性を保てても、
なぜか家族にはきつく当たってしまうとか・・・ありませんか?

きっと、そうなっても修復できるとか、わかってくれるという甘えがあるんですが。
それでもね。
ほんと、わかってもらえるってありがたいものですよね。


どうなってもいい相手とのケンカなら、ほっておいても心苦しくなりませんが、
気になってもやもや~もやもや~となるときの相手は、
結局、自分にとって失いたくない相手ってことですもんね。

意地っ張りになってしまい、謝るタイミングがどうのとか考えてしまったりしますが、
遅くなったとしても、自分の「ごめんね」という仲直りしたい気持ちは伝えないと・・・
って想いますね~。




連作短編集です。
最初の話から少しずつ月日が流れていき、最終話は一年後の浩樹です。
物語の最後は・・・よかったですよ(これだけにしますね)。
いろんな人が黙って妬みや挫折感を味わいながら懸命に生きています。
まさに、メリークリスマス&ハッピーニューイヤー!



今日も最後まで読んでくださってありがとうございます

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2017. 12. 13  
君の目はこれから、綺麗なものだけを映すようになる。
それでもいいかな。



オトナのファンタジー(童話かな?)、
『魔法使いの願いごと(友井羊:著)』です。



主人公の女の子・ヒカリは病気で目が見えなくなりました。
しかしあるとき、「ヒト」と名乗る少年に出逢います。

ヒトは魔法使いでした。
ヒカリの目を見えるようにしてあげられるよ、ただし・・・

君の目はこれから、綺麗なものだけを映すようになる。それでも、いいかな」と。
ヒトには全部を見えるようにしてあげられる力がなかったのです。

ヒカリは「いいよ」と言います。
そして・・・綺麗なものだけが見える目を持つようになったのです。

でもヒカリはじきにほとんど目が見えない状態と変わらなくなってしまいました。


いつしか感動は薄れていく。
はじめは、汚れているものや、ガラクタなどが見えなくなった。
見ていたくないな、と少しでも思ったものから次々に消えていった。

続いて、毎日見かける風景が消えていった。
繰り返し見ているうちに、慣れてしまったのだ。
特別だと思えなくなった瞬間に、私にとって美しいものではなくなったのだ。




相田みつをさんの詩に、「あなたのこころが」というものがあります。

あなたのこころが
きれいだから
こんな小さな野の花が
宝石のように
きれいに見えるんですね

あなたのこころが
うつくしいから
遠い谷間の小鳥の声が
うつくしい笛の音に
聞こえるんですね

あなたのこころが
きれいだから
見るもの聞くもの
すべてがきれいに
うつるんですね

うつくしいこころの人には
うつくしい姿を見せるんですね
花でも小鳥でも・・・

  (『ただいるだけで』より)


この詩、やさしいようでいて、めちゃくちゃ厳しいことを言ってると思うんですよ。
言葉にしてないけれど、
「きれいに見えないなら、あなたのこころは汚いんだよ」と言ってるようなもんだと。


「慣れ」って本当に恐ろしい。
風景だってなんにも感動をもたらさない。
朝起きてカーテンを開けて、毎朝
「うわ~、すごいきれい!!」と感じられるのか?
・・・毎日は思ってないです・・・。

人との付き合いだってそうです。
初めて会って、「ああ、仲よくなりたいな。ちょっとでもしゃべれるようになりたいな」ってドキドキして、ちょっとずつお互いを知るような会話をかわしながら、やっと仲よくなって、それに慣れたら相手のアラが目につくようになる。

仕事でしょーもない凡ミスをするようになる。慣れてきたころに。


「心が汚れている」って、実は「慣れに慣れきってしまっている」ことも含まれるのかも。

いつだって新鮮に感じるっていうのは、ものすごく難しい。
だけど、難しいことに取り組んでいかないと、美しいものがなくなっていってしまうんですね。


魔法使いは言います。
「だいじょうぶ。この世界は、綺麗なものであふれているから」って。


綺麗に見えるかどうかは、自分の心しだい。
ただ、それだけのことなんだ。





今日も最後まで読んでくださってありがとうございます

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2017. 12. 09  
体が大きくなるぶん、心は小さくなっちゃうからね。



『さよなら、ムッシュ(片岡翔:著)』です。



星太朗27歳、余命半年宣告を受けています。

星太朗の友だち、ムッシュ
星太朗の母が亡くなる直前、「星太朗の友だちになってね」と願いを込めて作ったぬいぐるみ。
このムッシュ、動くししゃべります。
本当に友だち。星太朗が7歳のときからずっとずっと。


星太朗が小学6年生のときに、「早くオトナになりたい」って想っていたとき、
ムッシュがこう言います。


「大人になるってのは、いいことばかりじゃないけどね」
「だいたいの人は、体が大きくなるぶん、心は小さくなっちゃうからね」



あ~、これ本当にそうかも。
体の大きさに比例しない、むしろ反比例していく心の大きさと柔らかさ。

常識を身につけていくことがそうなるのかなァ。
バカバカしいことを考えなくなっていくとも言えるかも。

心が子どものままって、社会で生きていくには風当たりがきつい。
風でとんがっていた部分が削られていくような。

社会・・・世間か。
世間って・・・小さく丸められるところなのか・・・。


星太朗がききます。小さくならないためには、どうすればいいの?

「うんこ!!って叫べる?」

笑笑笑!


ところで、「コアラ」って漢字でどう書くか。

子守熊 って書くんですよ。


大好きな人を守る。
大切な人を守る。

ムッシュも星太朗もお互いを守りたくて守りたくて、その姿がいじらしいのです。

「どんなに計っても、未来は計れないよ」

「生きるの、諦めたらだめなんだ」

「見えなくても、星はそこにあるんだよ」



「人生って、たんぽぽの綿毛みたいなものなんだよ。
風がないと飛べないけど、風が強いと流されちゃうんだ。
ふわふわ空を漂って、どこに行くのかわからない。
ずっと遠くに行けることもあればすぐに落ちちゃうことだってある」

「でもね、それでもみんな、新しい花を咲かせるんだよ」



世間の風当たりがあるからこそ、活かされる自分の善さが出てくることもあるよね。


遺される者の辛さ、より、大切な人を守れなくなる者のほうが、悔しさ・心残りは大きいんだな。
せめて遺される側は、心配させないよう、幸せだということを実感していなければ。
そんなふうに感じました。




物語のなかで、ムッシュは歌謡曲をいくつも歌います。
そのなかの一つ、細野晴臣・坂本冬美・忌野清志郎「幸せハッピー」。


こぶしのきいた♪どうだ どうよ 幸せハッピー
大切な人を守るために、幸せを感じる心をもつ。





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2017. 07. 20  
『生き方上手』で大ブレイクし、100歳過ぎてもなお現役で医師をされていた、
日野原重明先生がお亡くなりになりました。
105歳。




「100歳は関所です」
などと発言されるユーモアのある先生。

ある対談本で、東北大震災のときのことを語っておられて、
東京の病院にいた日野原先生は、地震が起こったとき、
「2回目の関東大震災だ!!」と思ったそうです。

そう、関東大震災を経験されているんです。
100年生きるって、すごいな・・・。



そんな日野原先生は、1970年の、
「よど号ハイジャック事件」も経験されています。

よど号の乗客の1人だったんです。

よく生きて帰ってこられました・・・。
先生自身、もうだめだろうなって思ったそうです。

なので、4日間の拘束のあと、無事に戻ってこれたときは、

「もうここからは第2の人生だ。
残りはもう、みんなのボランティアでもなんでもやろう。

どこかでだれかに、かならず私は
お返ししたいような気持ちだから」


どこかで
だれかに
お返ししていく。

こう決心されたそうです。
このとき先生58歳。


そんな先生の医師としての使命は、次の言葉に集約されています。

「ぼくは病む人に、未来を提供する。
1週間先には先生がまた(病室に)入ってきて、
励ましてくれるんだなあ、というふうな未来を、
わたしは行動で言葉で残すように努力している」



病気を治す、病気を診るんじゃなく、
病気で気弱になっている人の人生を回復させるように。
人を診ることを第一にされていたんだろうなと思える言葉です。


そんな日野原先生には独自の教育論があるようです。
その名も、
「レッツの教育」


今の教育はすべて、「ドントドゥ」=禁止の言葉ばかりだと

「胃潰瘍で出血します。やわらかいおかゆじゃないとダメ」などと言う。
ドントドゥは伝わりにくいんだ。
レッツドゥに変えよう

こう提案されています。

胃潰瘍で、やわらかいおかゆしかダメと言うんじゃなく、
口のなかでよーく噛んでベタベタにすれば食べられるよ

「人を傷つけるな」は、「人の命を助けましょう」と言う。


レッツの教育、いいなあと思いました。
つい、なんでも「ダメ」「○○したらいけない!」という否定・禁止ばかりになってしまいます。

しかも、肯定文がとっさに出てきません(汗)。
普段からもっとレッツドゥの精神でいきたいなと決意しました。



話をよど号ハイジャック事件に戻します。

飛行機の中で乗客たちは縄でしばられたまま、まんじりとしない時間を過ごします。
けれど犯行者たちはご機嫌で(うまくいったから)、
「本を読みたかったら、読んでいいですよ」なんて声をかけてきたそうです。

日野原先生は、どうせこのまま死ぬまで恐怖に怯えているより、本の世界に入っているほうがいいなと思い、
「ドストエフスキーを読みたい」と申し出ます。

すると貸してくれたのが、『カラマーゾフの兄弟』
その冒頭は、聖書の一部が引用されています。

一粒の麦が
地に落ちて死ななければ、
それはただ一粒のままである。
しかし、もし死んだなら、
豊かに実を結ぶようになる。

   (ヨハネによる福音書、第十二章二十四節)


敬虔なクリスチャンでもあった日野原先生です。
この言葉は強烈に印象に残ったそう。

そして今、まさにご自身が一粒の麦になられました。

しかし、結んだ実は豊かです。
全国に「命の大切さ」を伝えていき、
良心をもつ医師や看護師の育成に尽力をつくしました。

天国でにっこり微笑まれていると思えます。


*今回の記事は、ほぼ日WEB新書より引用しました。



日野原先生、ありがとうございました。

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2017. 05. 19  
「いい人ね。」
「それはそう、いい人らしい。」
「ほんとにいい人ね。いい人はいいね。」



『伊豆の踊り子(川端康成:著)』のなかの1シーンです。



踊り子同士がひそひそと主人公のことを話しているのです。
それをたまたま立ち聞きした主人公。

心が救われるのです。
「自分がいい人に見えることは、言いようなくありがたい」と。




人を褒めることを考えすぎると、かえって難しくなってしまいませんか。
そんなことより、
本人のいないところで陰口など言わず、
ただ「いい人だよ」って言ってるほうが、
本人がそれを知ったとき、心から嬉しく感じるのかも。


自分がもしそう言われていたことを知ったら、
心底、嬉しいですしね。

「あの人、いい人だよ」
これで十分かも。


それともう一点。
先日、私が毎日訪問させてもらってるブログが、
別の人のブログで紹介されていたんです。

そのブログでは、
こういったところが素晴らしい、
こんなところが面白いと、的確に褒めていらっしゃったのです。


これを読んで、
褒められているかたはもちろんでしょうけど、
なぜか、褒められてもいない自分まで嬉しくなったんですよね。

なんだか、
「そうそう、おもろいねん!アナタ分かってるやんか~」みたいに。


こっそり誰かを褒めると、
当人だけじゃなく、それを聞いた(知った)周りの人のことも嬉しくさせる作用があるようです。


「いい人ね」
「ほんとにいい人ね。いい人はいいね」



このセリフがあまり好ましくない場面はただひとつ、
女性が恋愛対象としてあり得ない男性を評するとき(笑)。



今日もありがとうございました!
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馬場亜紀

Author:馬場亜紀
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座右の名は、『やってみなはれ。やらな、わからしまへんで』

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