『生き方上手』で大ブレイクし、100歳過ぎてもなお現役で医師をされていた、
日野原重明先生がお亡くなりになりました。
105歳。




「100歳は関所です」
などと発言されるユーモアのある先生。

ある対談本で、東北大震災のときのことを語っておられて、
東京の病院にいた日野原先生は、地震が起こったとき、
「2回目の関東大震災だ!!」と思ったそうです。

そう、関東大震災を経験されているんです。
100年生きるって、すごいな・・・。



そんな日野原先生は、1970年の、
「よど号ハイジャック事件」も経験されています。

よど号の乗客の1人だったんです。

よく生きて帰ってこられました・・・。
先生自身、もうだめだろうなって思ったそうです。

なので、4日間の拘束のあと、無事に戻ってこれたときは、

「もうここからは第2の人生だ。
残りはもう、みんなのボランティアでもなんでもやろう。

どこかでだれかに、かならず私は
お返ししたいような気持ちだから」


どこかで
だれかに
お返ししていく。

こう決心されたそうです。
このとき先生58歳。


そんな先生の医師としての使命は、次の言葉に集約されています。

「ぼくは病む人に、未来を提供する。
1週間先には先生がまた(病室に)入ってきて、
励ましてくれるんだなあ、というふうな未来を、
わたしは行動で言葉で残すように努力している」



病気を治す、病気を診るんじゃなく、
病気で気弱になっている人の人生を回復させるように。
人を診ることを第一にされていたんだろうなと思える言葉です。


そんな日野原先生には独自の教育論があるようです。
その名も、
「レッツの教育」


今の教育はすべて、「ドントドゥ」=禁止の言葉ばかりだと

「胃潰瘍で出血します。やわらかいおかゆじゃないとダメ」などと言う。
ドントドゥは伝わりにくいんだ。
レッツドゥに変えよう

こう提案されています。

胃潰瘍で、やわらかいおかゆしかダメと言うんじゃなく、
口のなかでよーく噛んでベタベタにすれば食べられるよ

「人を傷つけるな」は、「人の命を助けましょう」と言う。


レッツの教育、いいなあと思いました。
つい、なんでも「ダメ」「○○したらいけない!」という否定・禁止ばかりになってしまいます。

しかも、肯定文がとっさに出てきません(汗)。
普段からもっとレッツドゥの精神でいきたいなと決意しました。



話をよど号ハイジャック事件に戻します。

飛行機の中で乗客たちは縄でしばられたまま、まんじりとしない時間を過ごします。
けれど犯行者たちはご機嫌で(うまくいったから)、
「本を読みたかったら、読んでいいですよ」なんて声をかけてきたそうです。

日野原先生は、どうせこのまま死ぬまで恐怖に怯えているより、本の世界に入っているほうがいいなと思い、
「ドストエフスキーを読みたい」と申し出ます。

すると貸してくれたのが、『カラマーゾフの兄弟』
その冒頭は、聖書の一部が引用されています。

一粒の麦が
地に落ちて死ななければ、
それはただ一粒のままである。
しかし、もし死んだなら、
豊かに実を結ぶようになる。

   (ヨハネによる福音書、第十二章二十四節)


敬虔なクリスチャンでもあった日野原先生です。
この言葉は強烈に印象に残ったそう。

そして今、まさにご自身が一粒の麦になられました。

しかし、結んだ実は豊かです。
全国に「命の大切さ」を伝えていき、
良心をもつ医師や看護師の育成に尽力をつくしました。

天国でにっこり微笑まれていると思えます。


*今回の記事は、ほぼ日WEB新書より引用しました。



日野原先生、ありがとうございました。

にほんブログ村

【2017/07/20 06:45】 | 未分類
|


八咫烏(全力稼働中)
誰もが知っている巨人でありますね。
この方の言葉は、まがい物ではなく、一言一言がとても重たい様に感じていました。
恥ずかしながら、お亡くなりになったことを今知りました。大変に残念です。
ですが、先生は一粒の麦からたくさんの実りを育てられたんですね~。すごい方でした。


てかと
この先生のすごいところは58にして、残りの人生を他人のために使うと公言してしまうところですね
俺には無理だなこれw
俺はリタイア決めたらめっちゃ遊んでましたよw
もうね反動がすごかったわ
これからは毎日倍の6時間睡眠だ、寝てやるぞ、みたいな
かなりだめなひとであるw
今は他人のためにできる範囲で知恵出したりしてるけどね。


Ichi
馬場 亜紀さん、こんにちは!
日野原先生は関東大震災を二度、そしてよど号ハイジャックに乗客されていた一人とは驚きました。
そのような経験から『どこかでだれかに、必ずお返しをしていく』という考え方へ繋がっていったのですね。
『ドントドゥ』ではなく『レッツドゥ』の教育論は本当にその通りだと思います。
「お店の中を走ってはダメ!」ではなく「お店の中は歩こうね!」ですよね(^^)
「このドントドゥの言い回しをレッツドゥ形にするなら?」と常日頃考えておけば、とっさの注意に使えるでしょうか^^;



こんばんは♪
ふたごパンダ
日野原先生のこと恥ずかしながら
そこまで存じ上げていなかったです。
TVで拝見しましたが
素晴らしい先生で感動しました。
否定の言葉じゃなくて肯定のほうが
人の心に響くのがわかる気がします。
患者さんの心に寄り添える先生って
素晴らしいですね(*^▽^*)


ナカリママ
日野原先生は、母が尊敬していた方で、雑誌いきいき、を購読したのも、日野原先生の記事がきっかけでした。
三年日記もつけていました。

実家には何年分もの雑誌が残されていて、線が引いてあったり書き込みがあったりで、処分するつもりが、手が止まること何度も…。

母もクリスチャンだったので、一粒の種の例え話は、よく聞かされました。
おまけの人生、誰か他の人のために、そんな気持ちに、私もなりたいです。

娘とぶつかったとき、よく母に電話で聞いてもらっていました。亡くなってからは、宛先無しのメールを書き溜めていました。でも、もうそろそろそれも卒業、これからが、踏ん張りどころかな。
日野原先生に笑顔も思い出しながら、いつか実を結ぶ時が来るのを待って、がんばろう。

独り言みたいなコメントになってしまって、すみません。

ご冥福お祈りしています。



ミドリノマッキー
自分も年取ってきたな、なんて思いますが先生に比べたらまだまだ若造。
いい年を取りたいなと思いました。


Re: 八咫烏(全力稼働中)様へ
馬場亜紀
コメントありがとうございます。
私も別のかたのブログで知ったんです。なぜヤフーニュースで取り上げなかったんだろ?
とにかく、大きな人でしたよね。あんな無条件に優しさを溢れさせている人もそうそういないです。残念だけど、実りは多いと思って、「お疲れ様でした」と言わせてもらいたいなあ、と思います。

Re: てかと様へ
馬場亜紀
コメントありがとうございます。
1970年頃の男性の平均寿命は、69歳(はやっ!)。
だから先生にしてみれば、「平均寿命まで生きるとしてあと10年。それくらいは人のために・・・」と思えたのかもしれません。今の70歳くらいだから。70歳からなら、人のためにだけを考えて生きるというのも、できるかも?
てかとさん、今、めっちゃ知恵出してるから、他人に貢献して生きてますよ。
睡眠時間3時間ほどだったんなら、十分取り戻してください!!

Re: Ichi 様へ
馬場亜紀
コメントありがとうございます。
レッツの教育って、ネーミングが好きです。かわいいですよね。片手上げて、「レッツ、足し算!」とか。
本当に、すぐ否定形になってしまいますよ。「お店の中は歩こうね」覚えていてくださったんですね。ありがとうございます♪
「肯定文で」より、「レッツドゥで」のほうが楽しい感がでますよね。これからそうしようと思いました。


Re: こんばんは♪
馬場亜紀
ふたごパンダ様、コメントありがとうございます。
世界中のお医者さんが日野原先生みたいだったら、きっと病人は激減します。それくらい素晴らしい人だったと思います。
私も詳しく知ってるとはいえませんし、著書もたくさんあって、すべては読みきれないです。でも、今の自分に合うものをと探して、改めて読んでみたいな~って思ってます。


コメントを閉じる▲
「いい人ね。」
「それはそう、いい人らしい。」
「ほんとにいい人ね。いい人はいいね。」



『伊豆の踊り子(川端康成:著)』のなかの1シーンです。



踊り子同士がひそひそと主人公のことを話しているのです。
それをたまたま立ち聞きした主人公。

心が救われるのです。
「自分がいい人に見えることは、言いようなくありがたい」と。




人を褒めることを考えすぎると、かえって難しくなってしまいませんか。
そんなことより、
本人のいないところで陰口など言わず、
ただ「いい人だよ」って言ってるほうが、
本人がそれを知ったとき、心から嬉しく感じるのかも。


自分がもしそう言われていたことを知ったら、
心底、嬉しいですしね。

「あの人、いい人だよ」
これで十分かも。


それともう一点。
先日、私が毎日訪問させてもらってるブログが、
別の人のブログで紹介されていたんです。

そのブログでは、
こういったところが素晴らしい、
こんなところが面白いと、的確に褒めていらっしゃったのです。


これを読んで、
褒められているかたはもちろんでしょうけど、
なぜか、褒められてもいない自分まで嬉しくなったんですよね。

なんだか、
「そうそう、おもろいねん!アナタ分かってるやんか~」みたいに。


こっそり誰かを褒めると、
当人だけじゃなく、それを聞いた(知った)周りの人のことも嬉しくさせる作用があるようです。


「いい人ね」
「ほんとにいい人ね。いい人はいいね」



このセリフがあまり好ましくない場面はただひとつ、
女性が恋愛対象としてあり得ない男性を評するとき(笑)。



今日もありがとうございました!
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
にほんブログ村

【2017/05/19 06:45】 | 未分類
|


エリアンダー
伊豆の踊り子、いい場面ですよね。

「あの人を悪く言う人はいない」って言われる人は
ほんとにいい人が多いです。これ、好きなほめ言葉です。


いいですね!
ナカリママ
誰もいない所で、良いことを当たり前にする、とか、
本人のいない所で、自然に素直に、その人を誉める、とか、出来そうでなかなかできないことだけど、それができる人って、すごくすてき。それをきちんと見つけて、いいなと思える人もすてき。
良い循環ですね。
まさに「吉報」!
ありがとうございます。




てかと
伊豆の踊子とか高校の教科書で読んだ記憶あるなぁ
このレベルでいいならわりと救われるんだが、
現実はぱっと見て3秒以内にどこかほめろ、みたいなお題をもらうイメージ、異性だとたいへんよ



節約ドットコム
色々とありがとうございます<(_ _)>

「いいね!」の作用が循環することで本当の意味での平和な世の中が訪れるような気がします。

「かげ」で第三者のことを褒めることを見聞きするのはあまりありませんから。と悲観的なコメントはやめておきますが、
SNSで使われる表面上の「いいね!」の乱打は今のところいい作用として循環していないようです(笑)

本当の意味での「いいね!」を取り上げて下さった馬場様、重ね重ね有難うございました。

Re: エリアンダー様へ
馬場亜紀
あの会話自体が素敵ですよね。しゃべりかたが。

あの人を悪く言う人はいない
本当のいい人は、そうですね~。ほんっとに誰も悪く言わないって人、滅多にはいませんが、いらっしゃいますね。
言われずとも、自分が「いい人だよ」って言える側になれたらな・・・と思います。
コメントありがとうございました!


Re: いいですね!
馬場亜紀
誰も見ていないのにいいことをする、みんなが悪口・愚痴を言い合うなかで自分だけはそれに乗らない。
そういうことって、出来そうでできませんよね・・・。すればいいのは分かってるはずなんですけどね・・・。
さらりとスマートに出来るまでに、意識しすぎではあっても善行をしたいな、そんな風に改めて感じます。
良い循環を起こしていきましょうね、一緒に~。
コメントありがとうございました!

Re: てかと様へ
馬場亜紀
コメントありがとうございます。
> 現実はぱっと見て3秒以内にどこかほめろ、みたいなお題をもらうイメージ、異性だとたいへんよ

どのような修羅場なのか想像しにくいのですが、
ウチのダンナは、なんにも褒めようがない!!と想ったときは、
「服のセンス、いいですね」と褒める、と決めているそうです。それでどうにか切り抜けられると。
何かの参考になれば幸いです。男性は辛いことがいっぱいですね~。

Re: 節約ドットコム様へ
馬場亜紀
私が褒められるほどのことは何も書いてません(汗)。すみません・・・。
ただ、いいと思ったことを表現できる場合は、すぐにそうしようと想ったので。
SNSは、ブログしか利用していないので「いいね!」乱打はよく分からないんですが、実際はすごいことになっているようですね。お付き合いみたいなもんなのかな・・・?
いい遣い方をしたら、本当に素晴らしい道具なのにね~、なんて想いますよね。
コメントありがとうございました!また訪問します。


Ichi
馬場 亜紀さん、おはようございます。
その人がいないところで、その人の『イイところ』話をして盛り上がる、親友であるママ友たちとはいつもそんな感じです〜^^;(自分の身内の話は例外ですけど)いい循環が生まれていると思います。そういう人とは、これからもお付き合いを続けていきたいと思いますよね〜(*^^*)



吉良 直樹
馬場亜紀さん

こんにちは~~!

女性が男性を褒める時

褒める部分が・・見当たらない時に

「いい人」って言うらしいですねw

ただ、表向きでもいいので
お互い褒めあえる世界は・・・とても
素晴らしいと思います!

コメントを閉じる▲
いのちが一番大切だと
思っていたころ
生きるのが
苦しかった

いのちより
大切なものが
あると知った日
生きているのが
嬉しかった
 
     星野富弘『いのちより大切なもの』より



星野富弘氏がこの詩をつくったのは1986年。
それ以来、
「いのちより大切なものって何ですか?」と
質問され続けていたそうですが。

2011年3月11日、東日本大震災以降、
この質問をするかたが、ほとんどいなくなったそうです。


いのちは大切なもの。

それを否定する気はまったくありません。
でも、星野氏はこう語ります。

いのちが一番大切になってしまったら、
それは、「死」を敵にすることになります、と。



じゃあ、なにが大切なのか?
私にはまだわかりません。


大震災のことを、
私は、自分や家族が無事だったため、
よくあるひとつのニュースとしてみていました。
ほんの少し心を痛めてるくらいで。


年々、
3・11以降苦しんで生きている人たちがいることに
心が向くようになりました。



自分のいのちより大切なものがあると思い、
自分以外のものに関心を向ける。

そこから、自分に与えられた人生の役割や使命を見つける。

見えてこないかもしれません。
順調なときは、いのちや死のことなんて考えずに
過ごしてしまっているかもしれない。

でも、見つけようとしていることまで忘れたくない。



薄情な私には、なにができるのか。
こんな私でもできること。
それは探していこうと思います。



  くり返す   

くり返すことができる
あやまちをくり返すことができる
くり返すことができる
後悔をくり返すことができる
だがくり返すことはできない
人の命をくり返すことはできない
けれどくり返さねばならない
人の命は大事だとくり返さねばならない
命はくり返せないとくり返さねばならない

私たちはくり返すことができる
他人の死なら
私たちはくり返すことはできない
自分の死を

   (『谷川俊太郎詩選集1、集英社文庫』より)




くり返してはならないあやまちを、くり返さないように。

今日もありがとうございます。

にほんブログ村

【2017/03/11 06:30】 | 未分類
|