2018. 01. 21  
必ず、がんばってくれている人がいるお陰なんだよ



『あなたの背中 あの人の背中(秋月悠志:著)』です。



冒頭の言葉は1編目の「ふたりの背中」より抜粋しました。
もう少し紹介しますね。

仕事でむしゃくしゃしている女性が、部長の机に飾っている写真についてのエピソードを聴く場面です。
どこかの砂浜で、親子らしき女性二人が背中を向けて座っている写真です。


娘さんが結婚式でこんなことを言ったと、部長が打ち明けます。

「幸せな風景や幸せな時間は、当たり前じゃないんだよ。
必ず、がんばってくれている人がいるお陰なんだよって」


そう母に言われたそうです。
そして式の最後に、

「皆さん、見てください。私の大好きな写真です。
私と母しか写っていません。
でも、これを撮った父の愛が見えると思いませんか?」




アルバムをめくってみると、
自分が生まれてからしばらくの写真には、若い父か母に抱かれた私が写っています。
ページがすすむにつれて、私と妹ばかりになっていきます。

シャッターを押すのは父か母だから。
家族写真のとき、あまり人に「撮ってください」とお願いすることはありませんでした。


でもみんなで出かけたときの写真で、シャッターを押すのは一人。
父か母、どちらかが写っていてもいいのに写っているものが少ない!


その理由、自分が親になったらよくわかりました。
子どもを撮るばかりで、自分は写りたくない(笑)。


まあ、劣化した自分を記録する気も起こらないんですが、
人に頼んでみんなで写真に写るより、私やダンナがシャッターを押すほうが、
自然な表情やふざけたポーズをとってくれたりするからです。


自分が写真に写らなくても、家族が楽しそうならそれが自分の喜びになるんですよね~。



私、実は運動会や発表会で、撮影のための場所取りとか並ぶとか、
すっごくイヤで。

そもそも、場所取りに必死になる人に対して内心、
「わが子の頑張る姿を、肉眼で見ればいいのに。
撮るのに必死になるなんてもったいない」

なんて、冷ややかな目で見ていました。


しかし、考えを改めます。
撮影するのは、愛情からだとわかったから。


子どものためでもあるし、自分たち大人が嬉しいからこそやることであって。
それはそれで強い親の愛があるんだと気づきました。


中高生のころって、友だち同士で写真を撮るとき、
誰がシャッターを押すか、
なんとなく「はみご」の子がその役目をやらされる感じでした。

写りたいじゃないですか。
でも、大人になると違うんですね。


人のために喜んで撮ってあげられるんですね~。
写真を撮る人の愛って、写らなくても見えるんだ。


自分の親がかけてくれた愛情ほど、自分の子どもにかけてあげられるかどうか。
まだまだ自信はないけれど、両親をお手本にして愛していきたいです。



「背中」をキーワードにして展開する、超短編集。
どれもこれも爽やかな読後感でした。
☆アマゾンキンドル読み放題対象本です。



今日も最後まで読んでくださってありがとうございました

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☆コメントお休みしています
2017. 12. 14  
今日は私の悩み相談みたいになっています。
付き合ってやるか!と思ってくださるかた、読んでいただけますか?


『心でっかちな日本人(山岸俊男:著)』を読みました。



「いじめをする子どもは、他人に対する思いやりの心が欠けているのだ」
人がある行動をとることの原因を個人の心のあり方に求める「心でっかち」な考えが、私たちの目を曇らせてしまっている。



心でっかち?
「頭でっかち」なら聞いたことがありますね。

頭でっかちとは・・・
知識や理屈ばかりで行動が伴っていない状態。
「現実を無視した理論」だけで現実を理解しようとする人たちを指します。


では、「心でっかち」とは・・・
心と行動のバランスがとれなくなってしまっている状態。
心の持ち方さえ変えればすべての問題が解決されると考える「精神主義」を指します。


心でっかちの人の典型は、
現代社会の問題をすべて「心の荒廃」で説明できると考えている。



わかりやすい例が、学校での「いじめ」。
クラスで一人の子がいじめられているとします。
他のクラスメイトは、いじめをしてる子に対して何も言いません。

そういった状況を、
「今の子どもたちは思いやりというものを知らない!だからいじめがなくならないんだ」と決め付ける考え方だというのです。


著者の山岸氏の理論はこうです。

自分の「心」がよしとするところの行動を、人々はいつも選択できるわけではない。

いじめを止めない子は悪い心をもっているのか?
自分一人が助けにいったって、ひどい目にあうのがわかりきっている。
そんな状況で助けにいけるのか?
でも、みんなが一緒になって助けにいけると思えれば、一人では動けなかった子が今度は止めに入るはず。
それはその子の「心」が変わったんじゃない。
環境やシステムが変わったからだ。




で、ここから私の悩み(とはいえないけど)なんですが・・・。
ウチの長男、小学1年生。
クラスの子のえんぴつや消しゴムがなくなるのです。

ええ、誰かが盗ってるんです・・・。

先月の保護者会でわかったそうなんです(私は参加してません)。
その日参加した保護者のほとんどが、
「ウチの子の物がなくなる」と。

ちなみに、ウチの長男は被害にあっていません。
だから全然知らなかったんですけど。


一人は、わかっているそうです。
盗ってる子。
盗ってるというか・・・。

自分で盗って、ゴミ箱やトイレに置いておき、
あとで「○○ちゃ~ん!あったよー!見つけたよー!」って持って行くんです。


なんとも言えない悲しさがあるんですが・・・。

でもその子だけじゃなさそうです。
物がなくなって見つからない子もいますので。


で、学校の、というかクラスの担任の対策としては、
学級たよりで
「お子さんに”人のものを盗ってはいけない”ことを教えてください」と書いているだけ。


いえ、私が知らないだけで、実は盗ってる子はわかってて、当事者と先生で話し合いみたいなことはしているのかもしれません。

しかし、今もまだ物がなくなることは続いているのです。
だから何の効果も現れていません。


1年生のクラスって、2年生もそのまま持ち上がりなんですよね。
クラスメイトも担任も。
できれば気持ち良く過ごしてもらいたいじゃないですか。

今のうちに、大ごとにならないうちに、どうにかなってほしいなと思うんです。
子どもたちはまだ、「なくなった」と思っていて、
誰かが盗っているとは思ってないようす。


私は子どものせいにはしたくないんです。
どっちかというと、オトナ(親)に原因があるだろうと考えます。

親が悩んでくれていれば、問題は軽く済むと思うんです。

でも、親が知らない・知ってても興味ない・人の意見を聞かないような人だったら?


これ、私が悩むようなことじゃないのかもしれない。
なんせ、ウチの子が被害にあってるわけじゃないし。
担任にまかせりゃいいのかもしれない。

(あ、ウチの担任は「熱血!」というタイプの先生ではないです(笑)。
去年まで釧路の小さな学校にいたので、先生自身、新しい学校に苦心しているかもしれません)

でも無関心でいていいとも思えない。
だからといって、人を変えようとするのも超難関。


こういったとき、自分が「心でっかち」に陥ってないかなと思ったんです。
他人を変えようとするのが、「親がしつけをちゃんとすればいいんだ!」みたいな感じが心でっかちかなって。


そうじゃなく、環境やシステムから変えていく方法があるかもな~。
でも今は何も思いつかないんです。

傍観?
先生にもっと真剣にやってくれとお願い?
犯人探し?

・・・なにかいい案・くだらない案ありましたら、ぜひ教えてください!




最後まで読んでくださって、本当にありがとうございます!

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2017. 09. 19  
養老孟司先生が好きです。
バカの壁』が出る前から、著書は読んでいました。

好きなところは、独特なお茶目っぷり。
かなり辛辣なことをおっしゃってる(毒舌)けど、
お茶目さが好きなんですよね。

素敵だと感じる先生の子育て論。



子どもは自然。
だから、手入れする


子どもとはこうだよって説明されてます。



相手は自分でつくったものではない「自然」であるということ。

その相手をできるだけ自分の意に沿うように「手入れ」する。


子どもをああしよう・こうしようと考える「意識」が自然じゃない。

意識は身体よりずっと後にできたんだから、
身体が基盤、自然が基盤。
子どもなんて自然そのもの。
それをどうしてやろうなんて意識が
そもそも間違ってる。




田んぼのある里山風景


日本人はあの風景をつくるために
手入れしたわけじゃない。
ただ、いいコメがなるべくたくさん収穫できるように、
1000年にわたって手を入れてきた。

相手は自然だから、予定通り、思い通りにはいかない。
そこを努力・辛抱・根性で手入れを続けたら、
いつのまにかあの美しい風景になっていた。




自然に対するのと同じように、子どもを育てる。

「手入れ」という考えが面白いと思うんですけど。

子どもを、里山風景のような人間に育つように、
どんな手入れをするのか。

これは私のイメージなんですが、


手を入れる=あれこれ世話を焼く


なんにも世話をせず放置したら、
ただの野生児になって、ひたすら荒れていく。
もしくは、枯れる。


せっせせっせと世話を焼きすぎたら、
言われたことしか出来ない、
言われなければ何にも出来ない支持待ち人間。


どちらも極端な人間になってしまうのかなと思いました。


見た人がホッとする、和やかな里山・田園風景。
こういうのを目指そうとするには、
親の口を出す加減が、相当大事になるなあと。

子育てだけじゃなく、
仕事で人を育てる場合も似てますね。

自己流でほっといたら、
結局仕事何にも出来ないとか、勝手に解釈してる使えない人とかになりそう。



でも、育てるほうの手入れ加減が難しいんですよね。


私も最近口うるさいかなと時々反省しています。
このまま口うるさくいくと、
手入れしすぎになりそうです。
気をつけたい・・・。


よそのお母さんを見てて時々気になるのは、
子どもに話しかけてるのに、
お母さんが答えちゃってることかなあ。


「子どもに聞いてるんですけど」と
何度、言いそうになったことか。

変なこと言わないように、先回りしてしまうんでしょうか。

面白いこと言う子、大好きなんですけど。
言わせてあげてほしいなあ。



のどかな里山風景的な人間を育てる。
面白そうです。
時々、自分が刈り込みすぎていないか、
又は手をかけてなさすぎないか、
自分を振り返るのは、いいことだと思います。


最後に養老先生のことばで終わります。


手入れは自分のためになる

努力辛抱根性が身につく。
手入れが出来るということは、
大人になること。
成熟すること。



子どもを育てるだけで、この3つが自然と身につく。
育児は育自、本当です。




最後まで読んでいただいて、ありがとうございますヾ(・∀・)ノ

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2017. 07. 27  
ぼくはいのちのかたまりです    佐々木維

ぼくはいのちのかたまりです。
これがなかなか複雑で、
けっこううまくできている。
数十兆個の細胞が
それぞれ図面を持っていて、
きょうもぼくをつくってる。

図面の半分、パパからもらった。
だから、ぼくは足が速い。
残りの半分、ママからもらった。
だから、ぼくは一重まぶた。

瞳にうつる、光と影。
鼓膜をふるわす、空気の振動。
鼻くうに飛びこむ、においの粒子。
途切れることない
「世界」からのサインが、
指令塔に向かってかけぬける。
時速350キロのスピードで。

大気を吸いこめ、その肺に。
酸素よ溶けこめ、血液に。
拍動をくりかえすぼくの心臓が、
体のすみずみまで、それを届けるだろう。

筋肉よ収縮せよ。
骨よアングルをかえろ。
さあ前へ、さあ前へ。
ぼくは一歩前へふみだす。

二本の足で大地に立ち、
背筋をのばして前を見る。
言葉を使ってきょうを語り、
リズムにのせてあしたを歌う。

ぼくはぼくを「ヒト」と呼ぶ。

ぼくはいのちの連なりです。
数十億年の時を超え、
「未来」という名の明日を待つ、
そんないのちの一つです。

きみがそうであるように。





看護学校で、一番初めに習ったことは、
「看護概論」と、「解剖学」でした。

その解剖学を思い出した詩です。

ヒトの体って、ひとつずつ全てに名称がついていて、どれもずっと働いています。
手首に骨が8個もあって、その一つ一つに名称があり、「それ、テストに出るかもね」なんて言われて「どんだけ覚えなアカンの・・・」と驚いたあのころ。

失くしてからやっと大切だったと気づくのか。
それではもったいなさすぎます。

ぜんぶ大事、そしてぜんぶ使ってあげないと。
体のひとつひとつは、正しく使ってもらいたがっているんですよね。

オーバーワークがダメなことはみんな言うけど、使わないことにはあまり目くじらをたてない。
「骨惜しみするな!」って、聴かなくなったなあ。


『99歳ちりつもばあちゃんの幸せになるふりかけ』に、
「自分の力を出し惜しみする」ことは、命を粗末にすることや。
という教えがありました。




せっかくもらっている力を、力の通りに使う。
そうじゃなければ、粗末にしていることになるって。


ちょっとビックリしましたね。
粗末にしてるつもりなんてないけど、そういわれると、出来ることをなにかと理由をつけてしないことがあるかもなあって思いまして。
「ここで無理したらアカン」なんて、都合良く解釈して、ホントは無理するほどじゃないことをやらないとか。
あるかもなあって。


子どもは、いのちのかたまり。
大人だって誰だって、死ぬまでいのちのかたまりです。

使わず腐らせたらもったいない、自分のちょうどいい働きで、体を使ってあげたいです。


100点は無理かもしれん。
でも、MAXなら出せるやろ。

           (松本人志)



ウチの長男も、今日から夏休みです。
「毎日寝坊してもいいの!?」と勇んで訊いてきました(笑)。
動け動け!

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2017. 07. 09  
今日は日記です。いい話は出てきません。
先週長男の授業参観(小1)があったので、その時の様子を書きますね。


今回は算数の授業参観です。
最近、やたらとお笑いネタを家で披露する長男。同級生も同じようなことをやっています。


なぜ今さらそれをするの?と尋ねたら、
「先生が授業で教えてくれてんの」


それは、こんな内容です。

♪アイ ハブァ ご~
  アイ ハブァ さん~
   AAhhhn! はち



今、「たしざん」の勉強中です。
先生、ピコ太郎になって教えてくれてる模様。


私がどんだけワクワクして教室に入って、授業の始まりを楽しみにしていたか!
「先生、ピコ太郎やってくれ~」って、それだけ。


でもしなかったです(当たり前か)。
普通に授業してました。


子供たちは元気ですね。
「ハトが5羽いました。あとから3羽飛んできました。ハトは全部で何羽になったでしょう。
この問題を式にできる人~?」


「ハイ!」
「はい!」

クラスの半数くらいの子たちが手を挙げます。

「はい、上田くん」

「はい!
ごぉ たす さん はぁ・・・に!!」


減っとる。


「う~ん、おしいな~。誰か分かりますか~?」


「はい!」

「はい、佐々木さん」

「はい!
・・・・・・・答え、忘れたかもしれない」



ガクっ
新種の答えやわ。


でもこうやって、間違えてもみんなで、本人も一緒になって笑ってられるっていいなと思います。
大人になるにつれて、挙手して意見を言うってことをためらうようになりませんか。

私はイヤなんです、話し合いとか会議なんか、誰もなにも発言しないという、アレ。
ものすごくイヤで、耐えられないんです。

でも、なかなか言えない。

いつからこうなったのかな~と思い起こせば、それは中学の部活からだったように感じます。
「ミーティング」とは名ばかりの、下級生のアラ探し、そして言葉でネチネチ責める。
反論なんて無理。


あそこからかな、年上にはモノを言えないという意識が生まれたというか、経験をしたのは。
教室ではないですね。

部活の、年上からやられた経験が、社会人になっても引きずっているように思えます。
それでも、不毛な時間を過ごしたくないから、私は発言するほうかもしれません。
でも本当に発言できないメンバーってときもありますけど・・・。


そこの会社とかで、「なんでも自由に発言・意見を言ってよ」というベースがあればいいんでしょうけど、
ないところも多いんじゃないでしょうか。

何を提案しても反論される会議。
そんなの、誰もなにも言いたくなくなるんですよね。



大人になると、失敗を恐れて挑戦しなくなる人がほとんどだろう。
失敗したら怒られるかなとか、笑われるかなと考えて、
挑戦そのものをしなくなるのは子供ではなく大人の方だ。
そう考えると、本当は大人が子供から学ばなければならないということがわかるだろ?




『母さんのコロッケ(喜多川泰:著)』より引用しました。

怒ったりバカにして笑ったりするのは、年上とか、経験年数が多い者。
そういうことをやめたら、若い人たちの発想がもっと活かされていくのに。


小学1年生の姿からそういうことを考えてしまいました。
みんな、これからいろんな経験をつんでいくけれど、
大人になったとき、自分の意見を求められたらしっかり言える人になっていてほしいな。

求められていないのに自分の主張だけを張り切って言う人にはなったらアカンよ~。


ちょっと話がずれましたね。新しい学校(校舎)って、いいですね。
黒板が上下に動かせるようになっていました。レバーを手で軽く動かすだけでOK。
下のほうに書いた字って、後ろの席だと見えませんよね。
そういうことに配慮されるようになってました。

そして1年生って、なんでも勉強になることもわかりました。
教科書を開いていて、
「じゃあ、教科書は開いたまま、ノートも開いてください」と先生が言ったら、
みんな、ノートと教科書が重ならないように置こうとして、机からえんぴつやらなにやらがパタパタ落ちていって(笑)。

ウチの長男は重なるのがダメだと思ったのか、教科書を閉じてました。
話、聴いてんの?

そんなことも出来ない・分からないんだ~と、ほとほと感心しました。
たまに授業参観があるの、楽しいかも。

あ、このクラスは、指名されたらまず「はい」と言う、と先生が教えてくれてます。
これ、私はすごくいいなと思ってて、今回の参観でみんなそれが出来てることがわかって嬉しかったです。



今日もありがとうございましたヾ(・∀・)ノ

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プロフィール

馬場亜紀

Author:馬場亜紀
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詳しくは自己紹介をご覧くださいね。
座右の名は、『やってみなはれ。やらな、わからしまへんで』

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