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ダメなところを愛で笑いに変える

ずいぶん昔、十何年前になります。
友人からえらい剣幕で電話がかかってきました。

内容は、新入社員の女性のこと。
「とにかく使えない!」と怒ってるのです。
一般事務のお仕事のはず。
なになに、どうしたん?


「会議室のテーブル拭いといてって頼んで、
『終わりました』って言うから一応チェックしにいってん。
ほんなら、テーブルびしゃびしゃやねん!
使ったぞうきん見たら、それもびっしゃびしゃ!

ぞうきん、絞ったことないの?って聞いたら
「ありません」やって。

おまえ、どうやって学校のそうじやってきてん!?ちゅーねん」


またあるときは、

「来客用に出すコーヒーな、入れてもらってんけど、
ホットコーヒーをグラスに入れんねん!
グラス割れるっちゅーの!!」


こんな毎日だったのです。
その新入社員は短大卒です。

私は大いに笑わせてもらったんですけど。
「私に愚痴言うてスッキリするなら、なんぼでも言うて。
おもろいわ、この話」
こんなやりとりがしばらく続いたんですよね。



こんな使えない人、あなたの周りにもいますか?
そんな人たちに怒りがたまってますか?


「怒っても無駄だよ」と言う人がいます。
『エリートしくじリーマン血風録(松村裕樹:著)』


著者の松村氏は、結婚式の二次会を企画運営する会社の社長です。
どうしようもないダメ社員を
しくじリーマン
コント社員

このように名づけ(心のなかで)、
怒るのはやめ! 面白がってやる!
という視点で彼らと接し、それを綴ったものです。


いくつか例を挙げますね。

「おにぎり、2個買ってきて」
「はい、おにぎり2個ですね」
まだ心配だからくり返した。
「おにぎり、2個だからね」
「分かりました!」

彼が買ってきたのは、メロンパン2個。

「これはパンに見えるんだけど」
「ボク、おにぎりよりメロンパンが好きなんです」
「私はおにぎりを頼んだはずだが」
「ボクはパンの中ではメロンパンが一番好きです」

私は彼にメロンパンを1個譲った。



別のコント社員。
彼の記憶力はすごい。ニワトリ以下の記憶力だ。
彼に、紙袋を買ってきてと頼んだ。
「了解です」

念のために
「紙袋を1枚買ってきてください。サイズは○○が入るぐらいです」
こうメールを送信しておいた。
彼はそのメール文をよく見てから、その携帯を持って出て行った。

15分後、

「ただいま、帰りました!」
彼が買ってきたものは、色紙だった。

やがて彼はニワトリになり、いつか金のタマゴを生んでくれるかも。
こういう人間のなかに、逸材が潜んでいることがあるのだ。たぶん。



愛すべきコント。
コント社員が取引先の課長に相談したいことがあるから、
今から課長の所に行きたい、と松村社長に相談にきた。

「課長はお忙しいかただから、必ずアポをとっていくように」
「了解です!」

翌日、課長から電話があった。

「おたくの社員が私の所に突然訪ねて来られたらしいんだけど、
私も忙しくて応対できなかったんですよ。
何かお話があったんでしょうか?」


「課長にはアポをとってから行けと言ったやんか?」
「はい、社長はそうおっしゃいましたから、
ボクはアポを取るために課長の所に行ったのです」

「それは、メールか電話でええやんか」
「メールや電話は失礼かと思って・・・」

アポをとるためのアポか!


こんなコント(いえ、例)が、49個載ってます。
読んでて腹が立ってくるかたもいらっしゃるかもしれません。

こんなんで社会人といえるか!!と。

まさに、そうなんです。
しくじリーマン・コント社員は、よその会社だったら
とっくにクビになっていたかもしれません。


松村社長は言います。

ダメな社員をいくら教育しても良い結果にはならないでしょう。
もう、諦めたほうがいい。

それは、見捨てることとは違います。
彼らの失敗を愛ある笑いで楽しみ、
根気よく、様々な仕事を与えてみましょう。
意外な才能を発揮してくれる可能性だってあります。

時代は変わります。
人間もいつまでも同じなわけではありません。
時代と自分たちが持つスキルがぴったりと合致するときが、
彼らにも平等に与えられています。

互いが尊重しあえる組織にするために必要なのは
「明るい、笑いのある環境」です。

自分の心がけ次第でどんな形にもなるのです。
ちょっとしたミスぐらいは、ネタにできるぐらいの度量を持って
笑いに変えていきたいと思ってます。



松村社長、懐、広いです。
これが本物のやさしさっていうのでしょうか。

びっくりするくらい、仕事ができない人っています。
「優先順位、考えろよ!」といくら言っても、分からないものは分からない。

面白がれるかどうかは、相手のせいじゃありません。
自分しだい。

腹立てても仕方ないってことは、自分にも分かってるんだから、
どうしたら笑えるか。

その笑いがいじめのようにならず、カラッとしたものにするには。
それは自分の考え方・工夫によります。

ただし、予想されることがあります。
それは、「笑えなくなる」こと。

飽きるっていうか、とにかく
「それ、もういいから」とウンザリしてしまって、笑えなくなってしまう。

こうなることはあります。
私もありました。

テレビの視聴のように飽きちゃったらダメなんですよね。

本当のやさしさってのは、ずっと態度が変わらないことかもしれない。
そうなるためには、自分の根性が試される場面かも。
今まで成功したこと、ないヮ・・・。


冷たくするなら最初から
やさしくするなら最後まで



アマゾンキンドル読み放題対象本です。
とにかくコントっぷりがすさまじいです。
ほんまにこんな社員おるの?って思いますが、90%以上実話だそうです。
でも笑って読めますよ。楽しかった~。ある意味、癒される~。




今日もありがとうございますヾ(・∀・)ノ

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参観日に着ていく服は個性的にする?

先日、長男の授業参観がありまして。
行くのはいいんですが、気になるのは
「何着ていこう」です。

おしゃれのために、じゃありません。
他人より浮いてしまわないようにと考えるのです。

あまりにもカジュアルすぎたらダメかな、
かといってスーツ着ていくほど、大層なものかな。

昔、母が学校へ行く用事があるとき、毎度のごとく
「何着ていこう、服ないわ~」ってうるさかったんですが、
その気持ち、今よ~く分かった。


目立ちたくない
人と同じような格好をしていたい
個性的と思われないように
人並みに


こんなものを求めてあれこれ悩んでました。

ちょっと前に
「個性とは」なんて書いていたくせに!どっちやねん!
個性、ほしいのかいらんのか?



『人並みといふこと(しりあがり寿:著)』の前書きに書かれてます。




「せめて人並みに」。
これってどーすか?
「ヒトナミ」は人を癒しますか?
「ヒトナミ」は人を堕しますか?
「ヒトナミ」は・・・



「人並み」っていいますね。
これって、なんなんでしょう。

多数派
平均


「人並みな生き方してるね」は、褒め言葉に聴こえない。
「人並みの年収をもらってる」は、安心感がある。


「せめて人並みに(これくらいは出来てくれなきゃ)」
この言葉は残酷です。
せめて・・・ということが出来なかったら、
自分は価値のない人間だと思ってしまう。


著者は語ります。

人並みの最小単位は、「ともだち」
ともだちの中だけで適用するファッションや言葉を大切にする。
それが、
ともだちの中にいたいから、仲間ハズレが怖いから、
別の誰かを仲間ハズレにしようとする。
そんなことに悩んでしまう。
そんな人並みに縛られると苦しい。



自分が小学生くらいのころは長閑なもんでしたが、
やはり中学になると、途端に仲間意識が出てきてましたね。

同じファッションや言葉で、自分が心から楽しんでいれば
問題ないけれど、
そのグループに属していたくてしがみついてるような状態で
あわせようとしていたら・・・。

今は小学生からそんな状態に苦しんで、
いじめに遭う子どももいます。

でも、その人並みから外れてしまったら、孤独になっちゃう。
そう思い込んでしまう。

世界が狭いですから。
家と学校だけだから、そう思い込みやすいですよね。



大人になれば、そんな人並みから外れることは
なんともないって分かるんですけど。
それが学生のころに分かれば、みんなもっと楽になると思います。



だからといって、
人並みじゃないところばかりを目指して生きてたら、
うまくいかなかったり、何をどうすればいいのか分からなくなることもある。


そのように疲れてしまったときは、
人並みなことをしておく。

人並みで休憩する。

参観日の服選びと同じです。
たまに、人並みに参加する。

でも、人並みに長居してはいけません。
人並みは一休みする場所。

人並みの安心感に浸かるのは、あまり幸せじゃなさそうだから。



「人並み」ではなく「その人並み」=「その人なり」
  マツコ・デラックス『あまから人生相談』より



普段は自分の好きなようにする、
人並みは自分の都合のいいように使う。

これが、自分なりの生き方なんじゃないですかね。




今日もありがとうございましたヾ(・∀・)ノ

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おじいちゃんの人生訓

今までで一番泣いた映画は、と聞かれたら、
「鉄道員(ぽっぽや)」と答えます。


とにかく泣いた。
原作を読んでも泣いた。
マンガでも泣いた。

この経験から、
浅田次郎の作品はうかつに読まないようにしています。
そんなにしょっちゅう泣きたくないから。

今回は、しんみりと読める浅田次郎の小説
『霞町物語(浅田次郎:著)』をご紹介。


連作短編集です。

その中の最後のお話、「卒業写真」から。
写真屋、プロカメラマンだったおじいちゃん、
今は認知症が進んでしまっていますが、
カメラを構えたときはシャキッとして正気に戻ります。

そんなある日、孫とその友人たちを
「卒業写真だ」と、記念写真を撮ります。

友人の一人に、こう言いました。

「おめえは唇がひしゃげてる」

「人間、どうすりゃ口が曲がるか知ってっか?」

「嘘をついたとき。
分不相応の見栄を張ったとき。
うんざりと愚痴を言ったとき」

「要するにおめえは、嘘つきの、ええかっこしいの、愚痴っぽいやつだ」



どうすりゃ治るんかな。


「簡単さ。
笑うときは大口をあけて笑う。ワッハッハ」

「そんで、泣きたくなったら奥歯をグイと噛んで、辛抱する」

「オーケー。男は毎日それのくり返し。一生それのくり返し」



じわっと効いてくる、言葉たち。
男性に限る話ではないけれど、
どちらかというと、男性のほうが口がヘの字になってるんじゃないかな。
むすっとした表情になってると思いますね。


笑うときは大口あけて笑う。
泣きたくなったら奥歯を噛んで辛抱する。


これも生きる知恵ですね。



まもなくおじいちゃんは死んでしまいます。
孫であり主人公はこう思うのです。

「動いているということは、
千分の一秒ずつ止まっていることの連続なんだろ。
だから人間は、一瞬をないがしろにしちゃいけない。
千分の一秒の自分をくり返しながら生きて行くんだ」



カメラ・写真を愛する人たちは、
この千分の一秒を追い求めているのか。

きっと、そう。
やっと分かりました、写真の魅力がなんなのか。



結局、次郎さんに泣かされます。





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裸の大将がみた夢

私の好きな芸術家の一人に、山下清氏がいます。
子どものころはドラマが放映されていて、
家族全員で楽しんで観ていました。

一度だけ「山下清展」も観に行ったことがあります。

小学生の、芸術なんて何も分からない私にも、
「すごい」と口に出てしまうほどの作品たち。
圧倒されました。

帰り道、母と
「観にきて良かったな~」と言い合ったのが懐かしいです。



随分前に、『裸の大将放浪記』を読みました。
最近は『裸の大将一代記(小沢信男:著)』を。




山下清氏が、花火をこよなく愛していたことが語られていました。


代表作とよばれる「長岡の花火


新潟県長岡市の花火大会の描写です。

色とりどりの花火が幾重に重なり、
川面に映る様子まで描写されています。


打ち上げられる花火をみて、山下清氏はつぶやきます。

「みんなが爆弾なんか作らないで、
きれいな花火ばかりを作っていたら、
きっと戦争なんて起きなかったんだな」



戦争はいやだ、行きたくないって思っていたんです。
山下清氏にも徴兵検査の指令(?)が届きました。

知的障がいがあったんですが、ごく軽度だったそうです。
(3歳のとき、重い消化不良を起こし、高熱が続いた。
その後遺症が軽い知的障がいだったらしい。
そこのアナタ!消化不良をナメてはいけませんよ)


普通に検査を受けたら、きっと兵隊にさせられる。
こう思った清は検査のとき、
「ぼくは、頭も悪いし、目も悪い。お役に立てません」と言いました。

そして見事、不合格です。


戦争のない世の中を夢見て、
花火を題材にした作品をつくったのでしょう。



長岡の花火を見ていた山下清氏を覚えていた花火師がいます。

「危ないから向こうに行ってくれ」と怒鳴ったら、
「花火がどうして危ないのですか」
こう問いかけて去っていったそうです。


その花火師には、シベリア抑留の経験があります。
帰国後、花火を打ち上げ続けました。

「すべての爆弾を花火にかえたい。
二度と爆弾が空から落ちてこない
平和な世の中であってほしい。
破壊のための火薬を、楽しみのために使うんさ」




平和への祈りが込められた花火。

今年もどこかの花火を観に行きたいです。




今日もありがとうございました。ヾ(・∀・)ノ

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こんなアラハンになりたい

アラサー、アラフォー、アラフィフ、アラ還。

私は使わない言葉たち。
でも、
アラハン だけは、使ってみたいと思ってます。


アラハン=アラウンド ハンドレッド

100歳です。

最近では
『九十歳。何がめでたい(佐藤愛子:著)』
『100歳の精神科医が見つけたこころの匙加減(高橋幸枝:著)』


これら、アラハンのかたが書かれた本がとても売れているそうです。
私も、104歳にして現役の美術家であられる
『103歳になってわかったこと(篠田桃紅:著)』を読んでみました。



元々は書家だったそうですが、そのうち、
「川を無数の線で、あるいは長い一本の線で表したい」

こういった気持ちが抑えきれなくなり、
この時代の女性のほとんどが早くに結婚して家庭に入るのに、
篠田氏はそれを拒否し、単身、海外に渡っちゃうんです。

そんな生き方をしてきた篠田氏、
100歳ってどんなことを感じながら生きていらっしゃるんだろう。


「歳相応という言葉がありますが、
百歳を過ぎた私には、
なにをすることが歳相応なのかよくわかりません」



歳相応がわかりません!

ものすごくアウトローな響きがありますね。
お手本になる年上の人がいないということは、
けっこう、とまどうものなんですね・・・。

この本は著者の篠田氏が思っていることを
短い言葉で書いたエッセイです。

目次だけ、ピックアップしてみますね。
これだけでも、篠田氏の思考が伝わると思います。


・百歳はこの世の治外法権
・いい加減はすばらしい
・あなたの人生を枠におさめない
・頼らずに、自分の目で見る
・いつでも面白がる
・やっておきたいと思うことは、どんどんやる
・誰もやらないときに、やったことが大事
・1+1が10になる生き方
・自分の心が、ほどほどを決める
・どうして傲慢になれましょうか
・虫が知らせる、虫が好かないを大切にする
・真実は見えたり聴こえたりするものではなく、
 感じる心にある



いかがでしょうか。
素敵な言葉たちですよね。

だからといって、
特別な、突拍子もない発想からきているような言葉ではないです。
似たようなことをどこかの偉人などが、
違う表現で語っているものもありますよね。

目新しいというものは、ないといってもいいくらい。
なのに、多くの人に読まれて、感動されているんです。


そこに何があるのかな・・・と思ったんですが。

きっと、

「こんな歳のとりかたをしたい」と
憧れる姿があるから、ではないでしょうか。

大昔の立派な偉人の言葉よりも、
今現在、凛とした生き方をみせてくれる人から学びたい。
そう思うんでしょう。


100歳と一口に言ってもですね、すごいんですよね。

だって、篠田氏、
芥川龍之介を見かけたことがあるそうです

ナマ芥川。(見たいな!)


100年って、途方もない時間が経過しているんだな・・・。

ただ100歳まで生きるだけなら、私にもできるかもしれません。
病院で寝たきりでも平気なら。
家族の顔も忘れてしまってもいいのなら。


そんな歳のとりかたは、望んでいません。

できることなら、自分の足で歩いて、
誰かと会話して、静かに生活したいと願います。

100歳を過ぎた今でも、
墨をすり、作品を作り続けている姿に感動する。
だから、その人の言葉も心に沁みてくる。


篠田氏は、年下の人たちのお手本になれるような生き方を
したいと思いつつ、でも自然に任せましょうという気持ちで
過ごしておられます。

力を入れすぎないところも憧れます。
でもきっと、一人の食事でも
「いただきます」と言ってるんだろうな。
そういう、凛としたところがあると思えるのです。
そこが、素敵なんですよね。


私はお手本どころじゃいられませんが、
シャンとしていられるようなアラハンを目指したいです。

そして、こう言って若者たちを驚かせてみたい。
「おばあちゃんな、昔、司馬遼太郎さん、よぉ見たで!」

*本当に司馬遼太郎さんは何度もお見かけしました。
中学校の通学路に司馬家があり、
よく散歩していらっしゃいました。作務衣を着てね。
司馬さんのお名前は60年後も残っているでしょう。
だから驚かせたい。
「おばあちゃん、どんだけ生きてんの!?」って。






今日もありがとうございましたヾ(・∀・)ノ

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プロフィール

馬場亜紀

Author:馬場亜紀
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詳しくは自己紹介をご覧くださいね。
座右の名は、『やってみなはれ。やらな、わからしまへんで』

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