2017. 05. 31  
神でさえ、不意に投げ捨てられた湯茶を避けられない


『ひとごろし(山本周五郎:著)』に面白いことが書かれている箇所があります。


短編集です。


窓から外へ湯茶を捨てるものではない。家の周囲にはいつも荒神さまが見廻っているから、捨てた湯茶が荒神さまにかかるかもしれないし、そんなことになると罰が当たる。



こんな風に躾けられたかたもいらっしゃるかもしれませんね。
そしてこんな文章が続きます。


荒神さまといえば、とにかく神であろう。
神ならなにごともみとおしな筈であるのに、窓から捨てられる湯や茶がよけられず、ひっかけられてから怒って罰を当てる、というのはだらしのないはなしである。



たしかに!
神様のくせに、お茶をよけられず、ぶっかけられたと言って人間に罰を当てる。
なんというか、荒神さま、小っさ! 小さいヮ。
神様、そんなことで怒り狂うんかい?って思いますよね。
たしかに、だらしない。


「荒神さま」って、どんな神様なんだろう?
そう思ってちょっと調べてみたんですけど、どうも地域によって信仰の仕方とかいわれなどに差があって、
「これが荒神さまだ!」というのはなさそうです。

大まかに説明するとすれば、
不浄を嫌う
台所で一番大切な火と水をお守りくださるので、「かまどの神様」とも呼ばれている。
荒神というだけあって、激しい性格で、祟りやすい



「かまどの神様」は聞いたことあったけど・・・
最後の、「祟りやすい」って、なに!?
立派なのかワルなのか、わかりにくい神さまやなあ。けど、面白い・・・。



小説の文章はこう続きます。


神でさえ、不意に投げ捨てられた湯茶を避けられないとすれば、人間である昇軒(登場人物の名前)はなおさら避けることができないだろう。


神様にもよけられない、不意に訪れる「まさか」という、あらゆる災難、不合理など。
人間にだってもちろん振りかかってくるんですよね。
避けられないから、どれだけ受け入れられるか。
それが成長するってことかな。


災難に見舞われたからといって怒っても嘆いていてもなんにもならない。
「やっぱり来たか、さて、どうするかな」くらいの余裕をもって。

とりあえず、祟ることはやめておきたい。神通力もないしね。
そっちは荒神さまに任せておきます。



主人公が最高のアイディアを思いついて、問題を解決します。痛快。




今日も読んでくださって、ありがとうございます!
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2017. 05. 30  
『ムダな努力はない 人生の行動指針220(鍵山秀三郎:著)』


イエローハット創業者であり、「そうじの神様」とも呼ばれています。

鍵山氏の考え方や行動の基本が、220項目、短い文章になっています。
220個すべてが素晴らしいんですけど、その中で最も「これは実践したい」と思うものが、


「毎日、できるだけ、少しずつ、私が」


これは、ちょくちょく陥ってしまう私の考え方(言い訳)の、
そのうち、まとめて、一気に、誰かがの真逆をいく言葉です。
   ↑
これら、思い当たることはありませんか? 私だけかな。
少しめんどくさいことが発生したら思ってしまいがちな、そのうち・まとめて・一気にやろう、誰かがやってくれるんじゃ・・・


誰もやってくれない!
自分がやるしかないのだ!
「そのうち」や「いつか」は永遠にやってこないのだ!


毎日、できるだけ、少しずつ、私が

これをやっていけば、大変になることはないと思います。
すごく大切にしたい考え方です。



☆他にもいい言葉はあるんですよ。選びきれませんが、もう少しだけ・・・
・よいことに手を使う

・よいことを考える人が、頭のよい人

・「言っている」ことを「やっている」ことにする
・「知っている」ことを「できる」ことにする


今日もありがとうございます。
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2017. 05. 29  
誰にでもできる簡単なことを、誰にもできないくらいに続けてきた

先日は世界一清潔な空港の清掃人・田中春子さんを紹介しました。
田中さんは清掃のプロとして四半世紀以上輝いておられます。

もう一人、半世紀以上、「そうじの神様」として輝いておられるかたがいらっしゃいます。
イエローハット創業者の鍵山秀三郎氏です。



80歳を過ぎた今も、
日本全国はおろか、海外まで行き、素手・素足でトイレ清掃を実践されています。
旅費は自腹。
完全にボランティアです。


なぜそこまで徹底してそうじをするのか。
そうすることで、何がどうなるのか。


イエローハット創業は1961年、高度成長期でした。
創業したばかりの会社経営は最悪の状態。
そしてそのころの社員はみな、心が荒れていた、鍵山氏にはそう見えました。


金を稼げばいい、
今さえよければいい、
自分だけよければいい・・・

世の中全体がこのような風潮に急速に変わっていっていたのです。
鍵山氏はこう考えました。


人の心は取り出して磨けるものではありません。
心を磨くには、とりあえず目に見えるものをきれいにしてみてはどうか。




最初の10年間、社長の鍵山氏のそうじを手伝う人は一人もいなかったそうです。
鍵山氏がそうじをしている隣で用を足す社員もいたほどだったとか。


それが10年後。
社員の中から1人、2人と鍵山氏を手伝うものが出てきました。

20年後。
社員たちは社外の清掃も行うようになりました。

30年後。
日本全国の学校などに、掃除道を伝えてほしいと頼まれるようになりました。
「日本を美しくする会」も発足し、じんわりと掃除道が広まっています。

会社は赤字を脱出、安定した経営が続いています。
何より、社風が良くなったそうです。




最初の10年間、本当に「あいつは頭がおかしい」と言われ続けていたそうです。
「そうじなんかして、何になる?」と。

鍵山氏は、社員の荒れた心をどうにかしたかったのです。
語ってはおられませんが、松下幸之助の提唱する「心を磨く」などの訓示も、社員たちに毎日毎日聞かせただろうと想像します。
でも、変わらなかった。


人を変えることはできない、だから、自分が変わる。
見えるところをきれいにしよう、これなら自分にもできる。
ここが出発点です。

鍵山氏自身、そうじをすることで自分の心が穏やかに健やかになっていくことを実感したのです。
間接的に自分の心を磨くことになったのでした。



1人でずっと掃除を続ける。
なかなか出来ることではありません。

不特定多数の人間が使っているトイレを素手でそうじは・・・手が出せないです。

ここまで凄いことを真似しようにも、やはりハードルは高い。
だから、せめて落ちているゴミをひとつ、拾う。
ここからなら出来るはず。


小さいことをやり続ける凄さを「腹筋」に例えることができます。
毎日50回の腹筋を自分に約束させると、どうにも苦しそうです。
だから、毎日3回だけ腹筋する、と決めるのです。

たった3回。

だけど、1年で1000回腹筋したことになります。
そう思うと、凄くないですか?


道にゴミを捨てる人は、ゴミを拾わない、絶対に。
道のゴミを拾う人は、ゴミを捨てない、絶対に。

私は後者になりたい。
心無い人が捨てた良心を拾っていきたい。





これらはアマゾンキンドル読み放題対象本です。




今日もありがとうございました!
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2017. 05. 28  
清掃の仕事は確かにきついです。3Kって言われてる。
まだ社会的地位も低いと思う。
でも、だから何?

私は清掃の仕事が大好きです!



こう言い切るお方は、羽田空港で「日本一の清掃人」と呼ばれる新津春子さん。
実際、羽田空港は世界一清潔な空港として、2013年・2014年に1位を獲得しています。



NHKの番組で取り上げられ、クローズアップされた新津さんの仕事っぷり。

「誰がやったから、じゃないのよ。
きれいですねってお客様が思ってくれる。それで十分じゃないですか。
お客様が喜んでくれれば、それでいいんです」



空港を利用する人のなかには、
目の前にゴミ箱があるのに、床にポイっとゴミを捨てる人がいるそうです。
まるで、清掃の人に「お前が拾えばいいだろ」と言わんばかりに。

そんなときはさすがに、「わたしたちも人間ですよ」と思うそうです。
でも憤りの感情はぐっと抑えて、ゴミを拾うのです。

価値観の違う人を一人ひとりつかまえて説教したって仕方ない。
それよりも、社会の価値観を変えていきたい。
空港を自分の家だと思って掃除をするのです




残留日本人孤児2世


新津さんの父親は、中国残留孤児です。
新津さんは、中国生まれの残留日本人孤児2世となります。


中国でいじめられました。
「日本鬼子!(リーベングイズ=日本人は鬼畜、人でなしという意味の差別用語)」とさんざん言われました。

17歳のとき、日本に帰国。
日本語はできません。
就ける仕事は清掃の仕事しかありませんでした。

日本でもいじめられます。
職場で誰かの財布がなくなったら、
「どうせ中国人でしょ・・・」と言われるのです。


私の想像できないほどの辛さをくぐってこられたと思うのです。
歯を食いしばって。

そんな新津さんは、自分の過去はあっさりと語ります。
もう乗り越えてきたから、こだわらないのでしょうか。

もともと強い人だからでしょうか。
目次の小見出しからでも、新津さんの考え方が分かります。


・自分の人生をめいっぱい生きていたら、親は喜んでくれるんじゃないかな
・私は自分と自分を比べます
・常に誰かに合わせていると、元の自分がわからなくなってしまう
・楽しくなくても、楽しく見せることは必要です
・納得できないことは聞きます。聞かないのは自分の責任です
・みんながうれしいことが、とてもうれしいです



芯のある強さを感じます。
この強さはもともとの性格だけで培われるものでしょうか。
性格が強ければ、いじめに屈しないでいられるのでしょうか。
それとも、いじめを乗り越えてきたから、強くなれたんでしょうか。


『世界一清潔な空港の清掃人』はとても素晴らしい本でした。
欲を言えば、新津さんの強さにもっと触れた第2弾も期待します。
この強さの秘訣を知ることで、きっと救われる人がいるだろうから。



インタビューで、仕事の流儀とは?と聞かれて、新津さんはこう回答しています。

心を込める、ということです。
心とは、自分の優しい気持ちですね

清掃をするものや、それを使う人を思いやる気持ちです。
心を込めないと本当の意味で、きれいにできないんですね。
心を込めればいろんなことも思いつくし、自分の気持ちのやすらぎができると。
人にも幸せを与えられると思うのね」


どこに出かけても、「ここは他人の家だ」という気持ちで使用したいな。
そう思うようになりました。


家庭でできる掃除のプロのコツ!



今日もありがとうございます。
長男が遠足から帰ってきたら、誰かがほったらかしにしていたゴミも持って帰ってきていました。じ~ん。

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2017. 05. 27  
『孤独論 逃げよ、生きよ(田中慎弥:著)』




田中氏といえば、2012年に芥川賞受賞の記者会見で、
「都知事閣下と東京都民各位のために、もらっといてやる」
この発言で騒がれましたね。

そんな作家のエッセイです。

タイトルどおり、「逃げていい」というメッセージです。



やりたくないことはやるな

できないことと、やりたくないことを明確にする。
今の仕事が体力的にきつくても楽しいならやればいい。
でも辛いだけなら奴隷になっている。今すぐ逃げろ、とにかく逃げろ。
逃げることは、負けではない。




言いたいことはシンプルで明確です。
田中氏自身は高校卒業後から一度も働いたことはなく、
日中は文章を書き、夜は眠る、
実家にずっといる、清く正しいひきこもりさんでした。

田中氏のやりたいことは、小説を書くことだけ。
だから、他のやりたくないことは絶対にやらなかったのです。



この著書の言いたいことを、「なぜ逃げるのか?」を
更にシンプルに表現した絵本があります。

『にげた!(宇治勲:絵と文)』です。



インパラがチーターから逃げる、
オタリアがシャチから逃げる、
マダコがウツボから逃げる、
バッタがカマキリから逃げる、
敵わないから、逃げる。食べられちゃうから、逃げる。


きょうも ちきゅうの あちこちで
いきものたちが にげている

ちからのかぎり
だいちを けって
あしたが あるから
にげている



明日も生きるために、逃げる。
ただそのために、逃げる。



田中氏の主張はもっともなんですよね。
ただし、孤独になってしまう前に、逃げなくてはならないんじゃないかな。

奴隷のようになっていると気づければ、逃げる方法を考えられますが、
もう、それすら気づけないから、
本能が機能していない状態だから、手遅れになるまで逃げられないんですよね。きっと。
いえ、逃げるなんてことすら選択肢に入ってないんでしょう。

おそらく、誰にでも身体を心配してくれる人はいると思う。
自分の身体も危険を知らせてくれている。
けれど、その声が聴こえるかどうか。
そこを乗り越えていかないと、今後も哀しい例は出てきてしまう。


そして、「もう辞めるの?」の声に負けないように。
その声を聞き入れてしまって手遅れにならないように。
人がいても孤独になる。

孤独の見極めができるかどうか。
本能を潰してしまわないうちに・・・逃げろ!




今日もありがとうございました。
コメント欄、再開しました。もしよろしかったらご意見お寄せくださいヾ(・∀・)ノ
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2017. 05. 26  
今回は、心臓血管外科医・天野篤氏を取り上げます。
天野氏は、天皇陛下の執刀医として一躍有名になりました。
しかし、私はお名前を全く覚えておらず・・・。
『大人はどうして働くの?』で出会ったのでした。



この本の中で天野医師は、
経験には何一つ無駄はない」と言い切っています。
その例として、部活動でたびたび問題視される「球拾い」を挙げられていました。

上級生が練習して、下級生が球拾い。
いくら能力や実力があっても、練習に参加させてもらえない。

悪習として取り上げられますよね。
それを、「無駄にしない」考え方。


ただ、球が飛んでくるのを拾うだけじゃ意味がないし、楽しくない。
どこに飛んでくるのか予測するんだ。
そしていかに素早くキャッチできるのか。
そういう風にやれば、球拾いだって練習以上の効果が出るじゃないか。


こういう意見なんです。
びっくりしました。
こんな視点、あるの?でも間違ってないわ・・・って。


天野医師に興味をもったので、
『熱く生きる(天野篤:著)』を読んでみたのでした。



熱いっていうか、尖がってます。
帯コピーからして挑発的。

・頭もよく能力があるのに、働かない連中は許せない
・仕事に飽きるのは中途半端に妥協しているからだ
・収入の多い者は、誰よりも働かなければならない
・思い悩んでいるのなら、隣の人の役に立つことでもしろ
・自分が受けた恩恵は、世の中に返せ


厳しいです。
著書の本意は、医師を目指す若者へのメッセージですので、
どうしても厳しくなってしまうんでしょうね。
生ぬるい気持ちで、人の命を扱うな!ということです。


「世のため人のために生きろ」の章で、こんなお話があります。

人によっては、輸血を拒否するかたがいますね。
信仰の意志で。

だいたい、そういうかたの手術って、医師は「できません」と断るそうです。
その気持ちはなんとなくですが分かります。
手術とは、身体にメスを入れること。
どうしたって出血します。


もしもの時には、輸血が必要になります。
だから手術前には、輸血の同意書なるものにもサインさせます。
輸血しないと手術中に亡くなることだってありますから。


しかも、輸血を拒否されるかたは、
・自分の身体から出た血を自分の身体に戻さない
・自分から切り離された血液はもらわない

この2点も意思表示するそうです。

これは、手術中の出血した血液を一旦機械に入れてキレイにしてから、
また患者さんの体内に戻すという方法もできないということです。


こういう制約を示されるため、ほとんどの医師は手術を断るのです。
しかし、天野医師は違います。

「それが患者さんの希望なら、叶えるのが医師の使命だ」

そこでどう考えるのか。
できるだけ出血の少ない手術をする」を目指すのです。

もちろん、患者さんの体調はもとより、血液の状態も検査し、
これなら大丈夫と思えたら、手術を実施するということですが。

最初から、「輸血拒否?じゃあ、無理無理」と断らないのです。


「いつどんな場合でも、誰に対しても高いレベルの医療を提供する。
そして患者さんに寄り添い、ともに歩む」



これが、天野医師の歩む「医師道」です。


すごく厳しいものを求めていらっしゃるのですが、
患者側になる自分としては、こういう医師にお任せしたいと思いますよ、やっぱり。


「医師になりたい!」じゃなく、
「医師になって、恩返しをしたい!」と思え。
これが天野医師のメッセージです。

いろんなお医者さんがいらっしゃいます。
多くのお医者さんは、人のために頑張っておられると思いますが、
中には、患者さんを見てますか?と聞きたくなるような医者だって・・・ね。


医師だけじゃなく、「人のために」はどんな仕事にもいえますよね。
たとえば、スーパーのレジ係りだってそういえます。
なにも、命がけでレジを打てというんじゃないでしょう(笑)。
勤務時間中はとにかく人のために働くということであり、役に立てるようにと動くことです。

「このお客さんの買い物、重いな」と、レジ袋を二重にする。
そんなちょっとした気遣い。
それだけでも、私ならまたこの人のレジに並びたい!って思いますね。

医師だけじゃなく、働く人すべてに向けてのメッセージでした。
最後に、天野医師がサインを求められたら書くという言葉で終わります。


「明日のために今日の1日を大切に」
 今日1日を大切にすれば、明日は必ず来る。


観てみたい。


今日もありがとうございます。
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2017. 05. 25  
辞書は、言葉の海を渡る舟だ



冒頭の文は、『舟を編む(三浦しをん:著)』から。





ひとは辞書という舟に乗り、暗い海面に浮かびあがる小さな光を集める。
もっともふさわしい言葉で、正確に、思いをだれかに届けるために。
もし辞書がなかったら、俺たちは茫漠として大海原をまえにたたずむほかないだろう。





『辞書を編む(飯間浩明:著)』は、リアル・舟を編むです。
舟=辞書
三省堂国語辞典の編纂を仕事にしている飯間氏が、辞書を編む仕事とはどういうものかを綴ったものです。



私、数年前に偶然、このかたをテレビで見ました。
その仕事ぶりがものすごく興味深かったのです。



言葉を集める


まず、辞書に載せる言葉を集めることが大事な仕事。
生活のなかで、「ん?これは何ていう意味だ?みんな使ってるのか?」とか、
古い言葉だけど、時代劇や小説では使われているからまだ現役の言葉だ、とか。


たとえば、
「今日は黒澤映画作品を一挙放送か・・・よし、全部観よう。珍しい言葉は片っ端から記録してやろう」
そして、映画を一気に観ます。
これも仕事。(うらやましい~)


街に出るときは必ずカメラを首からぶらさげ、メモ帳とペンを携帯します。
気になる言葉、初めて見る言葉を片っ端から写真に収めます。
不審がられることもありますが、運良くお話が聞けそうならお店に入ります。
そして、言葉の意味などを聞き取り調査します。

たとえば、レトロな床屋さんのポスターにある「アイパー」の文字。
アイパー
アイロンパーマのことだろう。まだ現役の言葉だろうか・・・
そう思い、床屋の主人にお話を聞きます。

まだアイパーをかける人はいらっしゃるということで、現役の言葉と判断します。


集めることと同時に、「捨てる」作業も必要です。
全部を集めて載せたままだと、辞書はものすごい厚みを増すばかり。
製本できなくなります。

電子辞書だとしても、
現在、誰も使わない言葉がたくさん載っている辞書は、「この辞書、使えねー」と思われるのです。
新しい言葉と、もう使われなくなった言葉。
両方を集めるのです。



スイスロールはロールケーキ?



上、ロールケーキ
下、スイスロール



スイスロールって、スーパーのパンコーナーで見かける、円柱状のケーキです。
ロールケーキと似てるといえば似てますね。

一人の編纂者が編纂会議で、
「スイスロールとロールケーキは別物です。辞書にスイスロールを載せたい」と意見。

飯間氏は、
「ロールケーキの一種でしょ?わざわざ載せるほどじゃないんじゃない」と反対。

「ロールケーキはクリームやフルーツがたっぷりなんです!
スイスロールはクリームやジャムがうす~く塗られているだけです!
全く別物です!!」
譲りません、激論が続きました。

どうですか。けっこう難しいですよね、判断が。
結果、「スイスロール」は晴れて辞書に仲間入りとなりました。



流行語はどうするか


その年に流行る言葉ってありますね、流行語と呼ばれるものが。
その言葉たちも辞書に載せるか載せないか対象となります。

辞書に載せるには、長く使われるかどうかも判断材料となります。
すぐ廃れてしまいそうなものは載せることはできません。
それをしてしまうと、すぐ役に立たない辞書になってしまい、
毎年改訂しなくてはならなくなるからです。

世間に定着する言葉なのかどうか、その見極めが大切です。

たとえば、
「チョベリバ」 この言葉は90年代に流行しましたが、今は誰も言わないんじゃ・・・。辞書に載ったことはありません。
「KY(空気よめない)」 これは何年も使われており、定着のイメージなので載っています(三省堂国語辞典は、です)。



「右」を説明せよ


三省堂国語辞典は大きく2つ、方針が組まれています。
1つが、実例に基づいた項目を立てること
もう1つが、中学生にでも分かる説明をすることです。




これをどう説明しますか。
子どもに右手を教えるなら、「お箸を持つ手が右だよ」が定番。私もそう言いました。
これを辞書に使ってしまうと、左ききの人には説明できなくなります。

さて、どう説明したらいいんだろう。

実は、これ、辞書の改訂のたびに考えるんだそうです。
「これだ!」という説明文は、今のところないそうです。
どうにかこうにか、それぞれの辞書が文を作っています。

たとえば、
「一」を書いたら、書き終わった側が右。
「リ」の長いほうが右。

もっといい表現はないかと飯間氏は探しています。
なにか、ありませんか?



とにかく、言葉に敏感でなければ勤まる仕事じゃない!
これが率直な感想です。
そして、いろんな苦労を重ね、言葉を正しく人に伝えたいという熱意、
言葉への愛。
人生を辞書つくりに捧げる精神。
これらの集合体が、辞書。


なくても困らなさそうで、実はなくなってから困ることに気づくものの一つが、辞書かもしれません。
当たり前のように、紙じゃなくてもネットの辞書機能は使っています。

もし、辞書がなかったら・・・。
どうにかして言葉の意味を調べて、意味を知ることはできると思います。
しかし、ものすごく面倒で手間と時間がかかるでしょう。



多くのひとが、長く安心して乗れるような舟を。
さびしさに打ちひしがれそうな旅の日々にも、心強い相棒になるような舟を。

          (『舟を編む』より)


この思いで辞書を作ってくれている人たちがいる。
その思いに応えられるくらい、辞書をもっと使ってあげたくなりました。


映画にもなってました。



今日もありがとうございました
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2017. 05. 24  
『水族館に奇跡が起きる7つのヒミツ』を読みました。
日本唯一の水族館プロデューサー・中村元氏。
中村氏を取材し、大人気水族館を続々と誕生させているヒミツを、ライターのやきそばかおる氏が書いたものです。



とても面白く、一気に読み終わりました。
中村氏、別に生き物が大好き!魚大好き!!というわけではないそうです。
どっちかというと、表情のない生き物は嫌いだとおっしゃる(笑)。


じゃあ、なぜ水族館に携わっているのか。
そこには、全ての生き物の幸福を願っている中村氏がいたのです。



環境エンリッチメントって、なに?



水族館(動物園にも言えますが)で、動物たちがヒマそうに見える。
ありますよね?

ペンギンなんて、みんなでじい~っと一点を見つめてただ立っている。
ちょこっと泳ぐくらいで。
いかにもヒマそうです。

中村氏は、「ヒマにさせているのは水族館だ!」と言います。

南米チリのマゼランペンギンが、ものすごい崖を毎日のぼって、ものすごい数のペンギンが毎日ずり落ちながら、前に進んでいくのを観察したことがあった中村氏。

水族館に、
「家に帰るためにはすごい坂道を登らなきゃいけないプール」を提案します。

みんなは「あぶない」「ケガする」と乗り気じゃありません。

中村氏は言います。
「そんなことでケガしたら、ペンギンじゃない!」


動物園や水族館には、「環境エンリッチメント」の考えがあります。
動物の”幸福な暮らし”を実現させる施策のことです。


昔行った動物園、猛獣たちはそれぞれ、コンクリートの檻のなかで
ただただ寝そべっていただけでした。

そこに、木が植えられたり、草を入れたり。
こういうことが「環境エンリッチメント」になります。

動物たちの、本来過ごす場所に似通った環境を作ってあげるのです。


中村氏はこう主張します。

エンリッチメントの精神は非常に大切だし、ストレスを回避しなくちゃならないことも当然のこと。
でも、生きるための苦労をなくすことが幸せではない
ペンギンの本来の暮らしを再現してこそ、最もストレスがなくなるのだ。
人の基準で苦労を取り除くことが幸せではない。
むしろ水族館のペンギンは退屈地獄というストレスの中にいるのではないか。


莫大な投資をし、電力をいっぱい使って、
何よりも生き物たちの自由を奪っておいて、その目的が子どもの理科教育だなんて、
生き物たちにあまりにも失礼な話なんです。





入館者数が年々減少し、日によっては二人しか入館者がいないなんてこともある、魅力のない水族館はこれが原因です。
生き物たちの安全を第一に考えて、水温や水質はバッチリ快適にしても、激しい波や川の流れのないところに閉じ込められている生き物たち。

生き物が退屈していたら、観に来るお客さんも退屈します。
そして、入館者数が減っていく・・・悪循環。



この「エンリッチメント」、水族館や動物園だけじゃなく、
私たちの普段の生活でも、間違って使ってしまっているんじゃないかと感じました。

子どもの安全だけを考えて、なんにも体験させてあげない・・・。
たとえば、公園の砂を1歳の子が触って遊んでいたら、
「汚いからやめようね」とやめさせるとか。

危ないからと、少し高いところに上っただけで下ろしちゃうとか。
遊具だから、しっかり大人がついてあげることができるなら、ある程度は自由にさせてあげても大丈夫だと思うけど。

私は遊ばせるんですけど、泥んこで帰ってきたとき
「うわ・・・洗濯大変やな、落ちるかな・・・」とつい口走ってしまいます。
いけないいけない、子どもが気をつかってしまうやんか・・・。
のびのびと遊ぶのが子どもの仕事。しっかり遊んでもらいたい。
そのために、親の「エンリッチメント」感覚を修正しなければいけないかもしれませんね。




常に、カスタマーズ起点



中村氏は、生き物たちの生きる苦労は奪わず、尚且つ、人が「また観に来たい」と思う水族館。
これを目標としてプロデュースしていきます。


そのアイディアは、今までの常識ではありえないものばかりです。
そりゃそうですよね。
今までどおりをやっているから、入館者数が激減しているんですから。

そんなときには、「弱点を武器に変える発想力」を発揮します。

弱点が多いほうが進化しやすいと考えるのです。
この発想力のポイントは、「どの常識を捨てるか?」

その選別をし、そして「自分なら絶対にできる」と暗示をかけます。
一緒にやっていくスタッフにも激励です。
「誰もが考えることじゃなくて、自分たちならではのことを考えようよ。
あなたたちだからこそできる方法が絶対にあるはずだ」


そうして編み出していったアイディアは、
滝つぼ水槽
真冬は凍る水槽
激流が起こる水槽
順路がない水族館
水族館で朝ヨガ・・・・・などなど。

中村氏のプロデュースした水族館は、どこも入館者数が激増していくのです。
いつでも、最初から最後まで「カスタマーズ起点」をブラさずにいきます。

カスタマーズ起点=お客さんの要望はなんだろう、それにも応えよう、です。
生き物の真の幸福を守り、お客さんの観たいものを観せる。
これを徹底させるのです。

それが、本著の「7つのヒミツ」です。
この本、ビジネス書としても優れています!


エンリッチメントを考える。
常にカスタマーズ起点。
どの常識を捨てるか?

そうして出来上がった水族館。
魅力がないはずがありません。

読んでいたら、私も水塊に浸かりたくなってきました。





今日も読んでくださって、ありがとうございます。
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2017. 05. 23  
幸福は 徳に反するものでなく、むしろ幸福そのものが徳である



『人生論ノート(三木清:著)』を読みました。
難しそうだなと、今まで読んでみようとも思っていなかった本、
こういうときに、電子書籍はなぜか敷居が低くページをめくりやすいですね。

読んで感じたことは、「すごい」のひと言です。

冒頭の文章は、「幸福について」の章の中の一文です。
後に、こう続きます。



機嫌がよいこと、丁寧なこと、親切なこと、寛大なこと、等々、
幸福はつねに外に現れる。歌わぬ詩人というものは真の詩人でない如く、
単に内面的であるというような幸福は真の幸福ではないであろう。
幸福は表現的なものである。
鳥の歌うが如くおのづから外に現れて他の人を幸福にするものが真の幸福である。




幸福について、こんなに率直に分かりやすく書いてくれるものに初めて出会いました。
心のもちようとか、そんなことを言っていないところがすごい。

自分に対して、他人に対して、どのように振る舞うか。
幸福は、目に見える形になっていたらそれで幸福だと。

そう言いきっているんですよね。

自分が幸福と思っているかどうかじゃないんです。
機嫌よく、丁寧に、親切に、寛大に過ごせる人は、皆幸福。



『星の王子様』で有名な、「大切なものは、目に見えない」という名言があります。
それは、大切なものは形として存在はしていないけれど、
行為によって目に見えると、三木氏は教えてくれています。

大切なものは、目に見える行為にしてこそ、価値がある。
そしてそうできているのは、既に幸福であるということです。

厳しく言い換えると、
丁寧にしよう、親切にしよう、寛大でいよう、
心の中で思っているだけで行動しない人は、幸福とはいえませんよ。
こう言われているってことですね。



えらく感動したわりには、こうして表現してみるとうまく書けないな~ともどかしいんですが。
そして1回読んだくらいでは、この『人生論ノート』を理解したとは到底思えません。
これから何度もじっくり読んでみたいと思う本でした。

他にもしびれる文章が。


・怒を避ける最上の手段は機智である。

・噂には誰も責任者というものがない。その責任を引受けているものを我々は歴史と呼んでいる。

・希望を持つことはやがて失望することである。
だから失望の苦しみを味わいたくない者は初めから希望を持たないのが宜い、といわれる。
しかしながら、失われる希望というものは希望でなく、却って期待という如きものである。




1回読んだだけじゃ分からないことが多い、難しい本ではありますが、
文章が美しくて惹き込まれます。



今日もありがとうございました
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2017. 05. 22  
3歳で右目失明
9歳で左目失明
14歳で右耳失聴
18歳で左耳失聴、全盲ろう者となる


現在、東京大学教授の福島智氏のことです。
『ぼくの命は言葉とともにある(福島智:著)』を読みました。


見えなくなり、徐々に聴こえなくなる恐怖の中・・・。
ついに、暗く静かな宇宙に投げ出された福島氏。


そんな福島氏の著書だから、
私はてっきり、障がい者の苦しみながら頑張る姿とか、
周りの人に助けてもらったほっかほかの温かい物語が展開されていると思って読み始めたんですけど。

まったく違いました。

福島氏の理性的な思索が綴られている著書です。
そしてそれはすべて、「生きる意味」を考えるものでした。

宇宙空間に投げ出されたかのような福島氏に、
友人からもらった言葉が生きる光となります。

「思索は きみの ためにある」

自分に試されたものがある、
そこにはきっと意味がある、だからぼくは思索する。
それが希望になりました。


福島氏は、強制収容所を体験したフランクルの『意味への意志』に感銘を受けます。

フランクルはこう述べています。
「絶望=苦悩マイナス意味 つまり、絶望とは意味なき苦悩である」

福島氏は気づきます。
絶望=苦悩-意味
苦悩と絶望は違うんだ、苦悩には意味があるんだと

この苦悩は自分の将来を光らせるために必要な意味がある、と考えました。


そして更に思索を進めます。
「意味」を左辺にもってきます。

意味=苦悩-絶望

「マイナス絶望」とは、「希望」と言えるんじゃないか?
ならば、
意味=苦悩+希望

苦悩の中で希望を抱くこと、そこに人生の意味がある。



生きる意味・人生の意味は人によって違うけれど、
意味は誰にも必ずある。

それが福島氏の生きる力となり、思索を深めていく原動力です。


そしてユーモアも持ち合わせていらっしゃるのです。
どうしても後ろ向きになってしまう、前に進めない心のとき。

そういうときに、どうするか。


後ろ向きになったまま、後ずさりする」という裏技があります。
はなはだ消極的ではあるのですが、まあ、自分自身をだましだまししながら、そろそろと「後ろ向きの後ずさり」。
結果的に少し「前向きに前進」したことになります。

なかなかそううまくはいきません。
まあ、これくらいのしたたかさを持てるようにしようと日々自分に言い聞かせています。



少しでも前に進めるしたたかさ。
素晴らしいですよね、考え方が。



闇より暗い闇を、「玄」といいます。
福島氏は玄のなかで生きているのですが、
「玄」には、老荘思想で説く、天地万象の根源としての道、深遠な趣という意味もあります。

玄という海を優々と泳いでいらっしゃるように感じました。
目が見えて耳が聞こえる私よりも、自由自在にこの世を生きていらっしゃいます。


小川のほとりで福島氏の講義を聴かせてもらっている気分になれます。


こちらも読んでみたい。


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プロフィール

馬場亜紀

Author:馬場亜紀
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看護師免許をもっていますが、今は保育の仕事をしています。自身の子育ても真っ最中。
くわしくは「自己紹介」をご覧いただければ嬉しいです。
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