2018. 02. 28  
「はい、おっしゃる通り。私は裸で出っ歯です」




小川洋子さんの『とにかく散歩いたしましょう』というエッセイ本を読んでいたら、
冒頭の言葉が出ていました。

小川さんがインタビューで、
「執筆の疲れを癒すものって、何かありますか?」と質問されたとき、

「ハダカデバネズミです」と答えたそうな。
”裸で出っ歯です”と潔くさらけ出しているところがかっこいいと(笑)。

私も子どもと動物図鑑を見るようになってから知ったんですよ、存在を。
たぶん、私が子どものころの図鑑には載ってなかったと思います。


ということで、『ハダカデバネズミ(岡ノ谷一夫:著)』を。



強烈な姿なんですよね・・・
体毛がなく(全然ないわけじゃないけど、パラパラと申し訳程度に生えている)
上下の歯が突出して(唇の前に歯があるのです)
しわしわの皮膚(皮、あまりすぎ!)


ここ2~30年でやっと研究がすすんできたそうです。
意外にも、秩序あるハダカデバ社会を形作っています。


アリやハチのような社会


群れをなし、土の中に巣穴を張り巡らせて(モグラのように)暮らしています。
群れの大きさは平均80匹。
大きなところでは300匹にもなります。


その群れには、1匹の女王ネズミがいます。絶対権力者です。
次の地位には、女王と交尾するためだけの王様が1~3匹。
そして残りすべてが兵隊、雑用係です。


王様はね、おそらく世界一切ないオスですよ。

女王と交尾し、子孫を絶やさない使命をもつオス。
選ばれしモノなのですが、
女王に呼ばれたらイヤでも交尾しなければならない。
(オスに快感はなく、むしろ苦痛を感じていることが研究でわかっています)
交尾すればするたびにやせ細っていく。
たえず男性ホルモンを分泌させているため、免疫力が低下していて、
病気になりやすく、ハダカデバネズミの中でもっとも短命。


面白い役割があり、
雑用係のなかに、「ふとん係」がいます。


女王が産んだ赤ちゃんネズミたちの「布団」となるのです。
まさに、「肉布団」。

赤ちゃんをのせたふとん係たちは団子状態でくっつき重なりあい、
赤ちゃんが冷えないようにじっとしています。

ハダカデバネズミは哺乳類なのに変温動物なのです。
だから赤ちゃんはそのままだと冷えて死んでしまいます。

そしてなぜか女王もふとんの上で眠ります。
親子ですやすや。

写真もあるのですが、よくもまあ、
圧迫骨折とかせえへんの?ってくらい、
ふとん係はひしめきあってます。


でもね、みんなすやすや眠ってるんです。
ふとん係も(笑)。

なんだか幸せそうなんですよねえ。
赤ちゃんの肌に触れてるのってかなり幸せ感がありますが、
人間と同じように感じるのかなあ、なんて安らぎを感じました。



でもですね、ハダカデバネズミの生態研究は難しいそうです。
実は、実験室では女王が育児放棄をしてしまい、繁殖しなくなるとか。


ネズミの育児放棄?って思いますが、
原因として考えられるのは、「人口密度が高いこと」だそうです。


自然の生態では、巣穴の長さ(広さ)は3kmに及ぶのです。
でも実験環境ではせいぜい10m以下。

ケージの広さに対し、ネズミの数が多すぎるからじゃないかと予想されています。
これはすなわち、「ストレス」が原因ということですよね。



身もふたもない「裸・出歯」なんて名前をつけられ、
「キモカワ動物ナンバーワン」などと言われているハダカデバネズミ。

人間より秩序ある社会を作り、幸せに暮らしているなあ・・・。




鳴き声に19種類もあることもわかっていて、
言語学の研究としてもハダカデバネズミは貢献しているそうです。
未知の可能性を秘めています。



今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

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2018. 02. 27  
毛糸にふれれば、みんなしあわせ。
 
   

先日紹介した『ネンレイズム』は編み物クラブの存在も重要でした。
そのなかで、
「編み物は、春を怖くしてくれます」ってセリフがあって。

たしかに!冬を喜ぶ作業が編み物ですねえ。
編み物、全然できないし、過去にチャレンジしたものは仕上がらなかったという苦い思い出しかないんですが、ちょっと本を見るだけでも~・・・と見つけたのがこちらです。

『しあわせを編む魔法の毛糸(梅村マルティナ:著)』



著者の梅村マルティナさんはドイツ生まれ。
ドイツで医学を学び、奨学生として1987年に来日。
卒業後は京都の大学でドイツ語を教え、やがて日本人と結婚し、
そのままずっと日本で暮らしていらっしゃいます。


ドイツには、「オパール毛糸」とよばれる毛糸が作られています。
1本の糸がさまざまな色に染め上がっているのが特徴です。

おばあさんに編み物を教わり、自分でも編み物を趣味とされていました。


2011年の東日本大震災。
そのときマルティナさんは京都におられました。
そのとき東北に想いを寄せたそうです。

「つらくて何もしたくないとき、
毛糸があれば無心になり、少しだけ気が楽になる。
そんな自分のような人が、いるかもしれない」


避難所に毛糸を送ったところ、それが縁となり、

「編み物をすれば心は安らぐけど、それだけで本当の平和はこない」と、
住民票を気仙沼に移し、
梅村マルティナ気仙沼FSアトリエ株式会社」を設立。

毛糸玉およびニット製品の製造販売を行う会社の社員に、
地元の女性をどんどん採用していきました。


「津波で仕事を失った人、家をなくした人。
家族や親戚が大変な思いをした人もいます。
けれども毛糸に触れ、仕事に夢中になっている間は、
悲しみに触れることはありません。
なにより自分の定職をもっているということは、心と生活を支えてくれます」




異国からやって来た一人の女性が、ここまで日本人のことを思いやって行動されていたということを、
私は今の今まで知りませんでした。

本当に、すばらしい人というのは、ひっそりと、いたるところにいらっしゃる。
すばらしいですよね。


従業員のかたがたはこう言っておられます。

「誰かが喜んでくれるということは、
『がんばって』と言われるよりも大きな力を与えてくれる」



助けてもらってばかりでは元気になりにくいんでしょうね、人は。
働いて、それを「素敵なニットね」と喜んで買ってくれる人を見ることで元気になれる。
支える・支えられる
両方の役割をこなすことが、一番の力。


ニット以上の温かさを感じるエピソードに、
普段の興味と違うものに目を向けてみてよかったなと思いました。

編み物はできない私ですが、編み物をすることで少しだけ気が楽になる、というところは分かる。
たぶん、一字一句を追う読書と似ていると思うので。

自分にできる範囲でやれること・・・
一つ二つはできそうかな?と頭に浮かびました。



編みあがりの色合いや模様がどれも違うものになるんですね。
カラフルな色使いを見ているだけでも楽しめました。
「気仙沼カラー」とかシリーズでもリリース、「てんとうむし」とか名前がつけられてて(笑)

掲載されている作品の編み方も載っていますよ。
☆アマゾンキンドル読み放題対象本です



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2018. 02. 26  
少しずつ少しずつ、仲良くなりたい。


『ネンレイズム・開かれた食器棚(山崎ナオコーラ:著)』です。



「ネンレイズム」と「開かれた食器棚」の2編が収録されています。
今回は、「ネンレイズム」の紹介。


3人の高校3年生が自分らしい生きかたを探す物語。

おばあさんになりたい、年齢愛好家の村崎さん。
未来ではなく、今を生きたい、紫さん。
徐々に年をとりたいスカート男子、加藤くん。


紫さんと村崎さん(どちらも「むらさき」さん)が、
年齢は重要か?という感じで意見を飛ばします。


紫さんの考え

「ひとりひとりの違いよりも、男と女の違いや、世代の違いの方が大きいのだろうか。
いや、そんなことはないだろう。
個人の違いの方がはるかに大きいはずだ。
属するカテゴリーの違いより、個人の差の方が格段に大きいのだから、
カテゴライズで仲良くなれそうかなれなさそうか判断するのはやめようかな、と。
だから、区分けはしません」



村崎さんの考え

「年齢を気にせずに人を見る、というのは難しいです。
『年齢を見て、ある程度相手を理解してから、近づいていきたい』と、ワシは思っています。
だから、まず初めに相手の年齢を尋ねます」




面白いところを小説にしてるな~と感じたんですけど。
いきなり知らない人に年齢は聞かないというか、聞けないですねえ。

紫さんの言いたいこともすごくわかる。
ひとりひとり違うんだってこと、当たり前のことを忘れて、
例えば、同じ日本人だから分かるはずと、
それは大まかすぎる。

同じ部活の部員だからと、その全員と仲良しかと言われたら、
すごく仲良しとそうでもない子と別れますしね。


私は「いつ、どこで生まれたか?」を知りたいタイプです。


いつ、どこで生まれたか?

これを知っておくのと知らないのとではずいぶん違うだろうと思っています。
中島みゆきさんの「時代」という歌に、

♪そんな時代も あったねと

こう唄うところがありますが、
これって同じ時代をすごしてきたもの同士が言える言葉ですよね。
違う世代の人とこうは共感できない。


どこで生まれたか?も、
東日本大震災の日、宮城にいたのか、沖縄にいたのか、海外にいたのかで、
あの地震の捉え方なんてまったく違います。

私はあの日北海道にいて、そこそこの地震の大きさは感じましたが、被害が出るほどのこともなかったので、
被災されたかたたちの連帯感には加われないと思っています。

それは分からない、とかあの人たちは違うよね~じゃなく、
そのときに生まれる結束感というものを実感はできないなということで。


ずっと前に、ベルリンの壁が壊されたニュースがあって。
それもぼんやりと「そうなんだ~」くらいでした。
あのときのドイツ国民の喜びを本当に知るってことは難しい。


何年生まれ、というところまで知らなくても、
いつごろの生まれなのか、どこで生まれて育ったのか。

それを知ることはその人の背景を知る一番の情報だと思います。

全然自分とは違うところ・ときを生きてきた人のことを理解しようがない。
それでも、理解したい。
そこから人間関係をつくるもんかなァと。

それと、一人一人違うんだという意識。
むらさきさんたちの意見、両方が大切だよな~と改めて思ったところです。

年齢を気にするというのは、若く見られることに価値がおかれすぎてるとこもありますよね?
まったく。
「え~!そんな歳に見えないですねー!」って・・・。

「今が一番魅力的なときですね」くらい言ってもよかろう?


意見の違う2人の「むらさき」さんですが、想いの先は同じです。

誰に対しても、一気にではなく、
少しずつ少しずつ、仲良くなりたい。


そう!
一気に「仲間だよね!」と来られると、逃げたくなります(笑)。



ちょっと不思議な感じのする小説なんですが、
高校生が真面目に自分らしく生きようとしている姿が微笑ましかったです。


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2018. 02. 25  
その日の良きこと、その日のうちに


『男と女の理不尽な愉しみ』です。
作家の林真理子さんとタレントの壇蜜さんの対談。



結婚出来ない人が増えている、
専業主婦願望、
不倫騒動、
看取り・・・

さまざまな男女を巡る問題について語り合っておられます。
項目が多すぎて、一つ一つの話題に深く切り込んでいっているわけではないのですが、面白かったですね~。


名言っぽい発言も飛び出してきて、それが素敵なんですよ。



その日の良きこと、その日のうちに



ここで言われている内容は、

打ち上げでハッピーな気分、
それで夜中の1時2時まで飲んで、
電話番号なんか交換して、
帰り際に、「まだ一緒にいたい・・・」と言われたら、
そりゃあ行くよね!

って話なんですけど(笑)。


物事がとんとん拍子に進んでいくことってありますよね。
それでそんなときに
「あれ?こんな順調でいいの?なんか落とし穴ない?」って不安になるときもあるけど、
うまく流れている、その流れに乗っていくのがいいときもあります。

ちょこちょこ確認しながら、でもこの流れに乗っていこう!というときを逃さない。
そのために、
その日の良きこと、その日のうちに。


今も放映されているんでしょうか。
♪今年の汚れ 今年のう・ち・に♪ のコマーシャル。

ただのパロディですが(笑)。
「善は急げ」に似てるかな。

でも表現としては、
♪その日の良きこと、その日のう・ち・に♪が頭に残りやすいし、口ずさみやすい!

足取りが軽くなるフレーズ、ということで紹介しました☆




好色な男は大酒を飲まない。
男という「鉢植え」が枯れないように水をやる。
女は心のどこかに「夜叉」を飼っている。



こんなことをお二人が楽しくおしゃべりしている本。
これを読んだ翌日、髪をカットしに美容室に行きました。

いつも担当してくださる美容師さんの娘さん(高3)のお話。

娘さんの友達は、年上にしか興味がないと言い切っているそう。
「35歳以上じゃないと付き合わないよ。
若い子なんか、つまんない」と。

美容師さんの娘さんはというと、
「年上なんかめんどくさ~い。年下もめんどくさ~い。
ぎり、同い年しか付き合えない~」

だけどこの娘さん、今もお父さんとお風呂に入っている。
高校3年生です・・・。

恋愛などほとんど興味ないという・・・。


このお話を聞いて、そりゃ晩婚・少子化も進むわな・・・としみじみ。
「若い男の子、がんばれ。健闘しておくれ」と願いました。



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2018. 02. 24  
食べることこそ、最大の愛です!!


『ブタが好きすぎてハンガリーの国賓になりました(松本救助:著)』



ごくごくフツーの漫画家・松本さんが、ブタのマスターを主人公にしたマンガを描いたことがきっかけで、ハンガリーの国賓として招待された、そのドタバタ旅行マンガです。

ブタといっても、そこらのブタではありません。
「マンガリッツァ豚」という王子様です。

私は全然縁がなくてこの本を読んで初めて知ったのですが。



わかりにくいですが、全身をくるくる巻き毛で覆われているのが特徴です。
松本さん、そんなにブタが好きなの?


「ブタさんはね、
いるだけで人の心をその顔でほっこりさせてくれるの・・・
それに、ブタさんは裏切らないからだよ。
男は裏切るけど、ブタさんはずっとそばにいてくれる・・・」



あ、ここ深く詮索しないでスルーしましょう。


しかしなぜ、ブタのマンガを描いたからってハンガリーの国賓ということになるの?ですが。


食べられる国宝

マンガリッツァ豚は、品種改良により1833年に生み出されたハンガリー国有の希少種です。
「イベリコ豚」は有名ですね?その親戚にあたる豚なのです。

20世紀初めには約1万4千頭が飼われていましたが、
1991年には191頭にまで激減。

「このままではマンガリッツァは絶滅してしまう!」と、
国をあげて保護策をとり、
2004年には、ハンガリーの「国宝」に指定。

現在、5万頭程度に回復した、とされています。

ハンガリーでは、王子様的存在のマンガリッツァ豚なのでした。


すごい感覚なんですよね。
「国宝を食べる」

日本でいうと、「トキを食べる」ようなもの。


なぜ食べるの?


「国宝」として保護・管理し、食べることによりブランド豚として飼育を盛んにし、数を増やそうとしている。

食用として出荷し、それが売れることにより、
飼育する資金作りに成功しているというわけです。


かしこい!!
思い切った方法に感じるんですが、アイディアですよね、これは。

誰も困らないんですよ。
ブタさんは絶滅の危機を逃れ、
人間はおいしくいただけて、
それによってブタさんはますます子孫繁栄していける。


人間の都合で作られた品種でありますから、
ブタさんにとってはいい迷惑だったでしょうけれども。

ほったらかしにしないハンガリー国民は素晴らしいと思います。



で、なぜ国賓なの?ですが、
マンガリッツァ豚の加工・輸出している会社が松本さんのマンガをネットで発見します。

自国の国宝をかわいらしく描いていることに好感をもち、
「日本の文化とハンガリーがつながったことに私たちは本当に喜んでいるのです」

その喜びを行動にあらわしたのが、おもてなしだったというわけ。




ただブタさんが好き!ということで描き始めたものが、
海を越えた向こう側の人たちを喜ばせ、縁ができた。

ドタバタでオタオタしっぱなしの松本さんですが、
この本には「ハンガリー行ってみたいなあ!」と思わせる楽しさが満載でした。



美味しいに決まってる・・・お正月用に・・・




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2018. 02. 23  
電車に一人で乗っている人は、大抵無表情でぼんやりしている。
・・・何とはなしに他人と目の合うのを避けて視線をさまよわせているものだ。
そうでなければ車内の暇つぶし定番の読書か音楽か携帯か。



『阪急電車(有川浩:著)』です。



すっごく良かった!小説のトキメキをこれでもかと与えてくれています。

私は大阪出身で電車がメインの交通手段でした。
でも利用するのはもっぱら「近鉄電車」ですね~。
今も帰省すると一番お世話になってる電車です。

この冬の帰省のとき、奈良に遊びに行こうと奈良行きの近鉄電車に乗ったんですね。
座って、さあぼんやり行きましょか~・・・とふと視線を斜め前に向けると。


爪切りを握りしめたオジサンが座っている。

荷物それだけ。爪切りだけ。
じっと両手で握りしめて、どこかを見てるんです。

同じ座席シートには就学前の兄弟2人がキャッキャと座っていて。
その子らのお母さんはそばに立ってるけどスマホに夢中。

まさかオジサン、よからぬ行動に出たりせえへんよな・・・。
たとえ「爪切り」でも、ハンパやけれども凶器になりそうやんか・・・。
年齢は60歳前後?身長はわからんけど少し太めで力ありそう。


爪切りオジサンの向かいは高齢者ばかり。
他に見渡しても、平日の奈良行き電車に乗ってるのは高齢者か観光の外国人。

まさかの事態には、私がオジサンと格闘せねば。

ちらちらと爪切りオジサンを気にしながらドキドキしてたんですが、
ま、オジサンは暴れもせずに目的の駅で降りていきました。

オジサン、疑ってごめん。
一人で妄想して緊張してた私です。

電車とはいろんな想像力を養ってくれる場所(笑)。


そして、社会性も身につけられる場所です。


小説内で大きな声でおしゃべりするオバサン軍団が出てきます。
ちょっとしたいざこざになるんですが、最後に男の子が、

「券売機でモラルは売ってへんからなあ~」


こう言われたオバサン軍団は怒りながら予定外の駅で降りちゃうんですけど。


これもこないだの大阪でのこと。
初めて子どものことで叱られました。
(たしなめられた、くらいですけれど内容は叱られた)


初めて行った公園で遊んだ帰り、
3駅くらいしか乗らない沿線でした。
そんなに混んでなかったので、子どもは座らせて私は立って。

子どもは窓の外の景色を見たいからシートに正座していました。

しばらくしてたら子どもの隣に座っていたサラリーマン風の男性と目があい、
「ジブン、靴ぬがせたらどうなん?」って。


あっ!!と思いました。
ほとんどの場合、靴はぬがせていたんですがこの日は、

靴底をシートにのせてるわけじゃないから大丈夫。
すぐ降りるからちょっとくらいいいかな。
靴脱がせて履かせるのシンドイ(これが一番の理由でした)。


こんな感じで自分の中で正当化していたんですけれど、
不愉快になる人がいるってことに、気づかないふりをしてたなと。

今まで叱られたことがなかったから。

それってウチの子がお行儀良かったとかじゃなく、
ただまわりの人がガマンしてただけやったんやなと思いました。


うわ~~、すみません~~~。
今まで許してきてくださった人たち、ありがとうございます。
寛容な心に感謝します。
というか忍耐強いんですよね、本当にありがたいです。

言ってくれたあの男性にも感謝です。
そうじゃないとどんどん自分の基準がゆるくなっていってたかもしれないから。


だんだん、他人を「たしなめる」ということがしにくくなっている世の中です。
だってどんな逆ギレをされるかわかりませんもの。
うかつに注意なんて出来なくなりました。

その弊害で、モラルを学ぶ機会がいっぱいのところで学べなくなった。

本当に券売機で「モラル」が売られていたとしたら、
高くても買わなきゃダメかもしれませんね~。
ホント、いい経験となりました。すっごく反省しています・・・。




電車が恋の始まりとなり、付き合いはじめの甘~いカップルも登場。
ほんっとに甘い、読んでるだけのこちらが身もだえするほどに。
恋っていいねえ~~☆

そんなドラマは現実では生まれなかったな~。
せいぜい「爪切り」やもんな~。

とにかく、いい小説でした。
遠赤効果のように心がぬくもります。




今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
私自身の話はときめきはどこにもないですね(苦笑しかない)☆

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2018. 02. 22  
倒れずに立っていれば必ずゴングが鳴る。


『終電の神様(阿川大樹:著)』です。



終電車が「突然の停止」。
その前後のそれぞれの人たちの様子を描いた短編集です。



「何にでも『人生』をつけると陳腐になるよね」


そんな会話をしている場面がありました。
「人生」とつく名言を各自、口に出してみているのです。


「人生、山あり谷あり」 あったりまえじゃん!

「人生は学校である」 名言ふう

「人生は自転車のようなものだ」 なにそれ?
*アインシュタインの言葉。
走るのをやめたら倒れるよ、だから走らなければならないという意味。

「止まって足をつければいいじゃん」 そのとおり♪

「人生は十段変速の自転車のようなもの。
ほとんど使わないギアばっかりだ」

*ライナス(スヌーピーの友達)の言葉。これが一番名言ふう

♪人生いろいろ~
♪人生、楽ありゃ、苦もあるさ~



あらためて見てみると、当たり前のことばかりかもしれませんね~。
小説内ではボクシングジムトレーナーの言葉も出てきていて、
人生はボクシングと違って、3分では終わらないけれど・・・

「なんの手立てもないときは、
まずはただ倒れずにゴングが鳴るまで立っていることだけ考えればいいんだ」



名言ふうですね。
人生でいう「ゴング」が何を指すのかはいろいろ違ってきそうですけれども。
なぜかふんばろうという力が湧いてくる言葉です。


どこの誰の言葉かわからないけれど、

「どんなに朝日が見たいと努力しても、
夜のうちは太陽は出てきてくれない」


これもまた、はあ、そうだよなあ。・・・って悟ったような錯覚に(笑)。



実は今回、紹介しなくてもいいかな~って思ったんです。
すっごく面白かった!読んでほしい!とまでいかない。
どちらかというと、物足りない。

「終電の神様」というタイトルですが、神様らしきものも出てこなかった。

だからといって、不満があるとか途中でやめたくなるような話でもなく。
父の危篤にかけつける男性の物語は少し涙するくらい感動できたし。
読後感が悪いというものでもないのです。


もしかして、これこそが「陳腐な人生」を描いたものかもしれないな~。

毎日って、そんな劇的な何かがあるものではないですよね。
どちらかというと、パッと見、同じことをくり返す毎日。

その毎日のちょっとずつが違っていて、その違いを見ることが人生を楽しむコツで。

平凡で、陳腐で、ダサい人生こそが自分の人生なのかもしれないし、
実はそれが「いい人生だった」と言えるものかもしれない。




「人身事故のため、電車が遅れております」
こんなアナウンスに「もう!」と憤慨してしまうこともありますが。

急いでいる人もいれば、ゆとりのある人もいる。
事故にあった人は自ら線路に飛び降りたのか、押されて落ちてしまったのか。

これから電車に乗るときにちょっと想像力が増してくれそう。
この小説の収穫かもしれない。



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2018. 02. 21  
忘れちゃったけど
まちがえちゃったけど
まあいいか



『注文をまちがえる料理店(小国士朗:著)』です。



宮澤賢治の「注文の多い料理店」を真似た店名?
いえいえ、この料理店のコンセプトが店名なのです。

2017年の6月、3日間だけのイベントとして行われました。
認知症の方々が働くレストラン。

ホールスタッフは認知症のかただけ。
なので最初からお伝えしているのです。

注文したものが出てこないかもしれません、と。

実際にオープンして、まちがいはいろいろあったようです。

注文した料理が届かない。
テーブルをすぐ忘れる。
水を2回、3回と出す。
オーダーを取りに来たことすら忘れる。

そもそも朝、店に連れてこられたときに、
「ここはどこ?」「何するの?」とキョロキョロしていたとか(笑)。
(もちろん前日までに何度も何度も今日は働くという説明を聞いています)


でも最初から「まちがえますよ」と知ってて来店してるお客さまたちですから、
みな笑って平気だったり、「まちがえられた、ラッキー」と喜ぶお客様もいたほど。

つまり、すごく優しい空間になっていたという。
おまけに料理の味にはこだわっていた企画ですので、美味しさも満点。
気持ちのいいレストランになっていた様子が伝わってくるのです。



和気藹々なだけでは済まない場面もあったようで、
交代時間になっても「まだやりたい」と交代しない人が出てきて、次の出番を待ってた人が怒り出したり、
知らない人がいっぱいいる中で突然不穏になり、
「帰る!」「家の鍵が見当たらない!」と混乱しだす人もいたり。

そのたびに介護スタッフはかなり配慮した行動を求められ、大変さもちゃんと存在しています。


この本を読んで、仕事をするって喜びがあるものなんだな~としみじみ思いました。
「まちがえても大丈夫だよ、まちがってもいいんだよ」と言われる。

それでも、認知症の方々はみな、「まちがえたくない」と一生懸命に働いているのです。


まちがいに寛容じゃなくなってきている、と言われています。
ですが、仕事の基本は、「まちがえない」です。
まちがえないように、失敗しないようにめちゃくちゃがんばってやる。
それでも、人間ですからミスはある。

そこで、寛容さは必要だろうけど。
一生懸命な人のまちがいって、腹立ちませんよね?
一生懸命じゃない人のまちがいにまで寛容でいられないんですよ。


・・・と書いていて、一生懸命でも不寛容になってしまうことがあると気づく。
同じことをくり返されるとき。

同じことを何度も言う。
同じ間違いを何度もする。

自分のくり返しには鈍感でも、
他人が同じことをしたら、
「また同じこと言ってる」
「マンネリや」とうんざりしてしまう。

人はなぜ他人の「くり返し」には我慢ならないんだろう?
わざとやってるわけじゃない人の「くり返し」にも腹を立ててしまう、その心理状態ってなんだろう?


私も介護の仕事してるとき、十分それを味わってるんですよね。
私がイライラしてたり疲れたりしてるときには、
患者さんのいつもの「くり返し」が無性に腹立たしく感じてしまって、
「やめてください」とか冷たく言ったりしてしまっていました。

家族で介護をすることの精神的辛さは、ここにあると思っています。
「また?」「何度も注意してるのにできないの?」


寛容って、そう簡単にいつもできるものではない。
相手を変えることはできない。
自分が寛容でいられるためにはどうしたらいいのか。
それを頭の片隅に置いておきたいです。




この企画はいろんなところで報道され、海外からも高い評価を得たそうです。
ノルウェーの公衆衛生協会から次のような手紙が届いています。


この日本のアイデアは、重要な点を示しています。
それは、認知症を抱えている多くの人は、周囲から受け入れられ、理解されさえすれば、普通の社会生活に参加できるのです。

さまざまな方法で社会に貢献することが可能なのです。

認知症を抱える人とふれあうとき、ほんの少しいつもより時間をかけ、理解しようとする優しさと思いやりがあれば、みなさんの方が大切な何かを得ることになるでしょう。




ここに出てくる「認知症」という単語は、どんな「○○症」「○○病」にでも当てはめることができますね。
仕組みを作るのが難しいんですよね、だから、
お試しをいっぱいしてみる、そんなイベントを増やしてみることからできるといいのになと感じました。
やってみなけりゃ何がいいのか分からないですしね。


  

『注文をまちがえる料理店のつくりかた』は半分ほど写真です。
お店の外観から中の様子(表紙に写っている、木々の間の建物、あれがそうです)、
認知症の方々や支えるスタッフの表情など、どれも「行ってみたいな!」と思わせるものです。




今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

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2018. 02. 20  
まず人間として一人前になりな。


『増山超能力師事務所(誉田哲也:著)』です。



ドラマ化されていると教えていただき、楽しみに読みました。
超能力師が職業と認められている日本。
探偵業のようなことを主に請け負う「増山超能力師事務所」を舞台にした短編集です。


人の心を読める超能力師が、就職面接官の一人としてしれっと座っている。
そんな日本なのです。

やだな~、そんな面接~。
どこも受かりそうにない(笑)。

小気味良いテンポで進んでいくお話。
ふんふん、エンターテイメント小説らしく明るくて軽くて読みやすいな~と進んでいき、
6話目、急にズドンと重い内容に。


見習い中の明美、男性だけど女性のカッコをしています。
実は彼、「半陰陽」の体をもっています。

半陰陽

両性具有ともいいます。要は男性器と女性器を両方併せ持った状態。
どちらかの性に決めて手術すればとくに支障はないとされるんですが・・・。

そんな簡単にいかないですよね。
自分の性別がどっちか分からないなんて。
これ、想像しづらいのです。つらさを。

明美は親から普通を求められます。
つまり、男性になるよう手術を受けてほしいと。

母親(父も)は、こんな体で、おまけに変な力までもって・・・
この子に普通でいてほしい。
こういう思いなんですね。


「普通って何。ちゃんとって何。
ぼくはこの体で生まれてきて、生きてきて、
ぼくにはこれが普通なんだよ。

これがぼくなんだよ。
今のぼくの、どこがいけないの?何がいけないの?」



心からの叫び。
ここは読んでて息苦しくなりましたね。

少しずれてしまうけれど、こんなことをつらつらと考えてしまいました。
ガン患者と寄り添ってきた医師・樋野興夫氏が次のようなことを言っておられました。

「ガンになったからといって、あなたは”病人”になったのではないのです。
あなたは、あなたのままなのですよ」


たとえば誰かが「肝臓ガン」になった。
すると周りの人はその途端その人のことを
「ガン患者」と見て、それ以上を知ろうとしなくなるというもの。

おまけに、自分で自分を「ガン患者だ」とだけ思ってしまうのだと。

こういうことって至るところであるんじゃないかと思って。

明美の場合だと、「半陰陽」という特徴が、明美そのものを知ったかのように周りの人は思ってしまい、それ以上明美という人間がどういう人間なのか深く知ろうとしなくなる。

「あの子、知的障がい者なんだって」と聞けば、
もう”知的障がい者”ということでその子の全てを分かったかのような、
それ以上その子がどんな子なのか知ろうとしなくなるような。

障害とか病気とかがその人すべてになるような感覚。
そういうの、あるんじゃないかなって(自分の中にも)。


そんなはずが、ないんですよね。
病気とかはその人のほんの一部でしかないってこと。


事務員の朋江さんが事務所のメンバーにこんなことを言いました。

「あんたはね、超能力師として、一人前になる前に、
まず人間として一人前になりな。

超能力師ったって結局、解決しなきゃならないのは人間同士が起こすトラブルだろう。
あんたはもっと、人間を見る目を養いな」



まずは人間を見ること。
「こんな人」と決め付ける前に、「どんな人?」と想像していく、知ろうとする。

そういうのが大切なんだな・・・
って重たい小説じゃないのに、こんなにシリアスに(笑)。




超能力があったらあったで、メンドクサイこともいっぱいありそうだなと思えました。

昔、聖飢魔Ⅱとダウンタウンのトークで、
浜「瞬間移動できるって言うてたやんな?」
デ「そうだよ、できるよ」
松「それやのに、今日は新幹線で来たん?」
デ「そうだ。瞬間移動は疲れる。明日のミサ(ライブ)に支障が出たら困る」
松「え?新幹線のほうが楽なん?」
デ「そうなのだ」
松「そんな瞬間移動、いらんわ~!」

うん、小説とかフィクションで楽しむに限りますね。
実際にはほしくないかも、超能力。




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2018. 02. 19  
レジェンドと呼ばれるには、何かが足りない。


見ると熱中してしまうオリンピック。
ちょうど、レジェンド・葛西選手の本を読みました。
『向かい風がいちばんいい(葛西紀明:著)』



つねづね思っていたんですよ。
「レジェンドと呼ばれること、どう思ってるんだろう?」って。

まだ生きてるのに「伝説」と言われる、その心境。
この本にはレジェンドの力強い言葉が溢れていました。


率直なイメージとして、「異様なほどの負けず嫌い」。

ジャンプのためなら快楽をあきらめることなんて平気。
30年以上世界で戦ってきた葛西選手ならではの強さを見たように思います。


面白いところがありました。


全員のいいところを僕が吸収しました。


これは・・・まるで・・・魔人じゃないか!
ご存知でしょうか、「魔人ブウ」。
ドラゴンボールに出てくる最強キャラクターの一人。
 

魔人ブウの強さは、戦う相手が繰り出してくる攻撃を、
一度見ただけで覚え、自分もその技を使えるようになるという能力。

戦いながらどんどん強くなっていくのです。


長く生きて、いろんな人と出逢いいろんな体験をして、
自分の中に取り込んでいく。

これが自分という人間の厚みを増していく方法。
いっつもその経験が蓄積されているかどうかはわかりにくいんですけどね。


このことを短く、
「全員のいいところを僕が吸収しました」と表現できるところが面白いな~って。

歳をとるってことはいい面もあるってことなんですよね。
若い人にはない武器をもつというか。

若い人は年輩のいいところをマネしようとがんばる。
年輩の人間も、若い人のいいところを素直に認めて、自分のものにしようとする。

こうしてどんどんよくなっていく。
そんな世の中が理想やなァ・・・。


奇しくも、この本には将棋の羽生竜王の言葉も紹介されていました。

「ひとつのことをやり続ければ能力は衰えない」

葛西選手も羽生竜王も同世代。
若い人が向かい風となって次から次と試練が襲い掛かる。

でもいいところを吸収し、やり続ける。
信じられないことをやってのける、そんな未来があるように思えます。



レジェンドと呼ばれるには、何かが足りない。

それは、金メダルだと明言されています。
レジェンドと呼ばれるのはイヤな気持ちじゃない。
けれど、金メダルをとって堂々と呼ばれたい。

こう言いきる葛西選手、きっと次のオリンピックに向かうはずです。
監督業と兼任という重圧のなか、本当にしんどいでしょうが、
納得のいくところまでやってほしいなと応援したい気持ちです。




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プロフィール

馬場亜紀

Author:馬場亜紀
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看護師免許をもっていますが、今は保育の仕事をしています。自身の子育ても真っ最中。
くわしくは「自己紹介」をご覧いただければ嬉しいです。
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