2018. 03. 31  
新聞の「英語歳時記」というコーナーで、
お餞別」が出ていました。

お餞別は英語で、farewell gift 

お餞別は、転勤や転居で遠くに旅立つ人に渡すお金やプレゼントのこと。
3月はお餞別が多いときでもありますよね。
goodbye gift などとも言うそうです。


けれども私は、「お餞別」ではなく、

古くからある慣習で、平安時代の記録にも残っています。

これが英文になっていたんですが、
平安時代の Heian periodに目がいきました。


時代を period って書いたっけな~!と懐かしく?いや、ほとんど忘れていたこの英語。

period=. (ピリオド)

ネットの英和辞書を引いてみると、
1、よこがきの文の終わりに打つ点。終止符。
2、時代や試合などの1区切り。とあります。


ああ・・・Heisei period が実感されました。
まさに来年が平成の終止符。

昭和から平成になったときは、世間が騒がしくてあれよあれよと平成になっちゃったな~くらいですが。
平成から次の元号は、しっかり記憶に残りそうです。

どんな平成だったかな~なんて、そりゃいろいろあったわいな。

なんてのんきにしていたら、こんな例文がありました。

I will not say another word. Period.
もうひと言も言うつもりはない。それだけだ。



これ、the end じゃないですか!

終わらない終わらない!
いろいろあっても、まだこの地球を楽しませてください。


人間は何万年も、
あした生きるために
今日を生きてきた。

      手塚治虫



3月もピリオドですね。
よく考えたら、一週間とか、明日とかもすべて、
時間を区切っているんですね。





今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

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2018. 03. 30  
人間を知るためには、人間以外のものから人間を見つめないと、
人間の定義はできん。



『たけしの面白科学者図鑑 ヘンな生き物がいっぱい!』です。



ビートたけしと生き物の研究者たちとの対談本です。
シロアリやダイオウイカまで登場していて、生物への興味第一ステップとなります。

その中で、「ゴリラから人間関係を学ぶ」を紹介します。
「ゴリラ先生」として権威ある山極先生が登場。

冒頭の言葉は、先生が大学に入ったときに教授から言われて「そうかも」と納得したもの。
先生は人間はどんなものだと知ったのか?


動物のなかで、ゴリラやオランウータンは人に最も似ているそうです。

ゴリラって、楽しいと笑うんですって。
サルや犬や馬が歯をむき出して笑っているように見えるものと全く違うのだと。

それにゴリラのオスは理想の父親像そのもの。
子どもがなにをしようが、動じないのです。
動じないけれども、子供に危険があると素早く動く。

もしかすると人間以上かもしれない・・・。


その反対に、人と決定的に違うところもあります。
ゴリラは劇やドラマを観ても意味が分からない。

空想とか、架空のものが理解できないのです。
それともうひとつ。


仲間と一緒に食べない。

人間はわざわざ食物を集めてきて、みんなで一緒に食べることを始めました。
人間の社会性は、一緒に食べることをしながら、相手と気持ちを通じ合わせることで養われてきたのです。


このお話、先日紹介した『どうすれば幸せになれるか科学的に考えてみた』にあったんですが、
ゴリラに限らず、動物と人間が決定的に違うところ。それは、

赤の他人に食べ物をあげる。

人間だけなんだそうです。
家族以外の人間に、「どうぞ」と自分の食べ物を分けるのは。


つまり、「思いやり」があるということなんです。

この話で、子供に「個食・孤食」はよくないという食育が証明されるなと思いました。
大人になってから、自分の意思で、
一人で食べることを選ぶのはいいんですよ。

問題は、ごくごく幼いころから一人で食べるのが習慣になっていること。
そういう子は、共感するとか、思いやりとかを学ぶ機会が極端に少なく育ってしまう。

悪い言い方だけれども、人間らしさがない、と言えるんじゃないかな。

人が「人らしく」あるために。
誰かと一緒にご飯を食べることで養われる。

そんな簡単なことが難しくなってきてる社会があるんだな・・・。

暗くなっていてもどうしようもない。

誰かと一緒に食卓を囲む。
フツーの光景が、実は人間らしさを生み出すものであること。

そう思うと、日々のやかましいにぎやかな食卓も、人間らしさを養うためになってるな~と、それを出来る毎日に感謝したくなります。



人間以外のものから人間を見つめる。
人間のおかしさが見えてくる。




今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

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2018. 03. 29  
「まあ、わたしに任せなさい」


精神科医・故斉藤茂太氏の、
いい言葉はいい人生をつくる ラストメッセージ』です。



冒頭のセリフは茂太先生のおじいさんが言ったものです。
おじいさんも精神科医だったとか。
患者さんにこんな言葉かけをしていたのです。


患者さんの頭に聴診器を当てて、
「いや、君の脳は悪い。たしかに悪い。
わたしのあげる薬を飲みなさい。
これは日本一の薬なんだから」



あるときは、


患者さんの耳の穴を覗き込み、
「ああ、あんたの脳はただれている。
腐りかけている。
ちゃんとそれが見えている。
まあ、わたしに任せなさい」




めちゃくちゃ言うてます。
「脳がただれてる」ってひどすぎ(笑)。

それにも関わらず、患者さんはこれらの言葉を信用し、
しかも実際に治りも早かったそうです。


今、こんな診察していたら怒られてしまうんでしょうか。
私なら「あ、やっぱりそうでしたか」とか言いたいですけど。

こういうふざけたことを言えるっていうのは、
患者さんと信頼関係があってこそだと思うのです。

時代も時代ですけどね。
明治・大正のころですから。
今より、のほほん・ほんわかしてたのかな。


茂太さんのおじいさんは、超ポジティブだったそうです。
いつも笑ってて、
とにかく最初は「よかった」と言ってたって。

たとえば、

恋人がいない→よかったな、デート代がかからなくて

恋人ができた→よかったな、幸せはもうすぐだ

恋人にフラレた→よかったな、もっといい人に巡り合うチャンスだ


こんな感じで、
「よかった」と言うことで、
ポジティブの連鎖をつくるのです。


優しい、プラス、面白いお医者さんなら通いたくなります。


先日、メディアによく登場する女性精神科医のエッセイを読んだら、
「最近の患者さんはコミュニケーションができなくなっている。
初診なのに、”先生ならわかりますよね?”と、ほとんど説明なしに言ってくる。
言ってくれなきゃわからない(笑)」

こんなふうに書いてあったんですけど、
みんながみんな、うまく自分の症状を説明できるわけじゃない。
とくに精神科に来てるなら、うまく話すことすらままならないのでは?って思ったんです。

そんな患者さんのことも、診ようとすること。
それが医師の仕事では?と違和感がありました。


ただでさえ気がめいる病院。
患者さんやその家族がほっとできるような、
かたい表情がふっと笑みでゆるむような、
そんなあったかい言葉かけを。
すべての患者さんが望んでいます。




今日も最後まで読んでくださってありがとうございました

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2018. 03. 28  
人生とは、素晴らしい映画みたいなものよ。
お菓子があれば、一人でも十分楽しめる。



まるで「フォレスト・ガンプ」のような言葉。
『また、同じ夢を見ていた(住野よる:著)』です。



今大人気の、「君の膵臓を食べたい」の著者の小説。
膵臓のほうはまだ読んでいないんで、この作家さんはこれが初めて。


冒頭のような言葉がさらりと口に出てくる小学生のなっちゃん。
ほかにも、

人生って、虫歯と一緒よ。嫌なら早めにやっつけなきゃ。

人生とは給食みたいなものだもの。
好きなものがない時でも、それなりに楽しまなきゃ。



こんなことをいくつも言えるのですから、頭の回転も速いんでしょうね。
本もいっぱい読むし、たくさんのことを知っています。

自分で自分のことを、賢くて特別な人間だと思っていました。

そして、自分の周りの人間はみんなバカだと思っていました。


人をバカにする子が好かれるわけがない。
正しいことを言えば言うほど、嫌われてしまい、
そのうち、クラスのみんなから無視されるようになりました。

なっちゃんは賢かったけれど、人のことには賢くなかったのです。


勉強だけをがんばっててもダメだというのは、こういうことになるからでしょう。
人がどんなことを考えたり感じたりしているのかを想像できなくなって。
そんな大人もいますしね・・・。


なっちゃんは極端かもしれないけど、
似たような子は実在してると思います。

「人生は素晴らしい映画のようなもの」、この例えは素敵、
でもそれは自分が主役を演じてこそ。
お菓子を食べながら見てるわけにはいかない。
そこが、なっちゃんには分からなかった。


それでも、人生のどこかで出会えると思うんですよ。
自分を変えるきっかけになるような人との出会いが。
人の姿をしてないかもしれないか。
なにかの形・機会として、あると思うんですよね。

大人になってからでも間に合うはずなんです。
ただし、気づけるかどうかだけ。


なっちゃんは、出会えました。
自分に足りないもの、ほしがっていた本当のものに気づきます。
そして自分に愛想をつかさず、学校に行きます。
自分を変える努力を、味方を見つけて、がんばります。


この小説、春の新年度に、若い人に読んでもらえたらいいな~と思いました。

なっちゃんが出会った言葉を紹介します。

人生って、かき氷みたいなものよね。
たくさん好きな味があるのに、全てを食べることは出来ないの。



人生とは、自分で書いた物語だ。
推敲と添削、自分次第で、ハッピーエンドに書きかえられる。



人生とはプリンと一緒だ。
人生には苦いところがあるかもしれない。
でも、その器には甘い幸せな時間がいっぱい詰まってる。
人は、その部分を味わうために生きてるんだ。



まったく、人生とはオセロみたいなものですね。
たった一枚の白で、私の黒い気持ちは一気に裏返るのよ。



人生ってリュックみたいなものだから。
背負うものがあったほうが、背筋も伸びるの。



人生って、なんなんでしょうね。
どれか沁みる人生格言はありましたか?



私は「人生はプリンだ」に1票(笑)。
あのおやつは私を幸せにしてくれます。


今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
「人生は、ゴムだ!」のユートピアも捨てがたいですね。
今日はこれで~・・・おしまい!
って、このネタ覚えている人、どれだけいるんだろう・・・


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2018. 03. 27  
感情と思考は結びついているので、いろんな感情を持ったほうが世の中をいろんな角度から眺めることにつながる。


『どうすれば幸せになれるか科学的に考えてみた』です。



予防医学研究者・石川善樹と、アナウンサー・吉田尚記の対談本です。

「そこそこの人生でいい」と思っていますか?
「そこそこじゃない人生」にたどり着くための方法論を詰め込みました。


いろんな角度から幸せになることについて語り合っています。
笑いながら読める、楽しい本でした。
その中で、「これは、実際の生活で使える!」と思えるところがありました。


感情のチェックリスト

石川氏は、自分の感情のバランスをとるために、最近どの感情を感じたかをチェックしているというのです。
チェックリストがあります。

ネガティブ
・怒り
・イライラ
・悲しみ
・恥
・罪
・不安、恐怖

ポジティブ
・幸せ
・誇り
・安心
・感謝
・希望
・驚き

それでチェックがつかなかった感情を、あえて体験していくというのです。


この「感情チェックリスト」は、ハーバード大学で使われているもの。
あれ?
なんで「楽しい」というポジティブ感情がないの?

「楽しい」ということは、科学でははっきりしていないから、このリストに入れられないそうです。

「希望」は感情なの!?

これはポジティブ感情の中でも際立っているもの。
絶望を経験した人じゃないと感じられないものだから特別なんだとか。


このチェックリストで感情の振り返りをしていると、
自分が特定の感情に偏りがちなことがわかるのです。


たとえば石川氏は、
「恐怖」を感じることがないな~と気づいたら、
「ウォーキング・デッド」というゾンビドラマを観るとか、そういうことをするのです。

足りない感情を、映画や本から補給する。

まさに心の栄養学。

ネガティブな感情も、いい悪いじゃなく、役割がある。
科学者はそう考えるのです。

まんべんなく、どの感情も感じる、味わう。
そうすることで、世の中をいろんな角度から眺めることができる

そして、思いもよらない発想が出てくるのも、そういうときだそうです。


発想とかひらめきにはつながっていないのですが、
私、いわゆる「いい話」の本が続くと、
わざわざ哀しい・むごたらしいものを選んで読んでしまいます。

いい話がつづくと、なぜか「しんどく」なってきて、いいと思えなくなってくる。
ブログに紹介したい本がない!となってきます。
なので、あえてそこから離れます。

そしてどんよりした気分になって、またいい話の本に戻る。
そうすると、「こんないい言葉があるんや~」と見つけることが多い。


なんとなくやっていたことが、科学的に合っていた!
無意識に欲するのかな、まんべんなく感情を感じたいって。

いいものを感じるために、わざとネガティブなことを味わう。
それは心の栄養に適っているんだなあ。


感情の種類は、リストにあるよりもっとたくさんあるとは思いますが、
それでもこの12項目すべてを感じているとは言えないです。

「誇り」なんて、どうやって感じたらいいんだろう・・・?
なにかいい本・映画、ありますか?



予防医学とは、人がよりよく生きるためにどうすればいいのかを考える学問。
究極のゴールは、
朝ワクワクして目が覚めて、夜満ち足りた気持ちで眠れるか。
研究者は幸せを科学的に考えています。
めっちゃ面白い思考でした。


今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

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2018. 03. 26  
三分咲きとか五分咲きとか、桜の開花を「数値化するのは無理な話」だという。
木は一本ごとに異なり、見る人の感じ方も様々だ。

「ほころびかけてきた」 「笑いかけてるな」。
京の桜守、16代目佐野藤右衛門さんは代わりにそんな言い回しを使うらしい。

  (3月25日、読売新聞「編集手帳」より)



桜が咲いていますね、あちらこちらで。華やかな光景がいっぱいです。
新聞にも、
咲き始め、三分咲き、五分咲きとかのお花見情報が載っていますね。
たしかに数字で言い表すよりは、
「ほころびかけてきた」「笑いかけてるな」のほうが風流ではあります。

桜が笑ってくれているという感性が、
こちらにちゃんとあるのかどうかのほうが問題です(笑)。

この文章の最後は、
「笑顔がゆっくりと列島を北上する。」で締めくくられています。

桜前線ですね。ただいま北上中・・・ホント?

数日前の、春分の日。
あの日、次男がこう言いました。

「あっ、みどりだ!
あっ、春だ!
さすが、ぶんしんの日だね~」

どうやら、「しゅんぶん」が言えなくて、
「しんぶん」→「ぶんしん」となったみたいでした。
(なぜか幼い子は言葉を反対にすることが多いです。
「パーカ」は、「カーパ」のように)


分身の日か~。
それ、はずれていないかも。

桜って、順々に西から南から咲くとは限らないですよね。
今年は東京のほうが早かったというところもありますし。

じわ~っと春が広がっていくのではなく、
春が分身の術をつかって点在する。

このほうが合ってるかもしれない。
そんなことを思った暖かな春の日でした。


本日の読書、『おとなりのかいじゅう町内会1丁目』



生命の春

こんなに風があたたかい
こんなに花が美しい
こころのそこのかたすみに
はげしくもえるものがある

みろみろ草がゆれている
みろみろ鳥がはばたくぞ
こころのそこにあふれくる
生命の春をうたおうよ



街を破壊するのが怪獣の「オン」の日ならば、
のんびりまったりする「オフ」の日もあるのでは?

そんなコンセプトから生まれた、おとなりのかいじゅう。
アンパンマンの作者・やなせたかし氏の詩とコラボした写真詩集です。

かいじゅうたちが花束をプレゼントしあったり、
芝生で寝っころがっていたり、
海を見ていたり。

そうだ、バルタン星人は分身の術が得意だった。
宇宙忍者やし。

こんなイイ日には怪獣も悪い人も、街中の桜を、
分身していく春を見て、ほほえんでほしいな。
フォフォフォフォフォ・・・・



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2018. 03. 25  
大地を見つめる顔は敗北ではなく、そのやせた姿にも解脱の風格があった。
その顔一杯の種は、次の生命を宿し充実していた。
死が障害の華々しい収穫の時だという事を、
ひまわりから学んだあの日を私は忘れない。


『ひまわりは枯れてこそ実を結ぶ(堀文子:著)』です。



「生命」を描き続けてきた日本画家・堀文子さんの言葉たち。
今年の7月で100歳を迎えます。

読んだ印象として、「なんてアグレッシブな熱い人!」でした。


一つの暮らしに慣れると、驚きが薄れ、感性が鈍る。
酸欠状態に陥るのだ。

慣れてきて、感動が薄れてくると、私は「堕落が始まっている」と思う。



感動が薄れてきた自分は、堕落してきている。
そうならないために、つねに動き続けてきたというのです。

文字通り、動いています。

堀さん42歳のとき、ダンナさんが亡くなります。
それから今まで、引越しは30回以上。

それでも感性が鈍りそうになるので、
43歳で初の海外へ。
エジプト・ギリシア・ヨーロッパ諸国・アメリカ・メキシコを3年かけて巡ります。

69歳から5年間はイタリアで暮らします。

77歳でアマゾンへ、
80歳でペルー、
81歳でヒマラヤ山麓へ。


どんだけ動いているのか。
まさに21世紀の葛飾北斎。

83歳で解離性動脈瘤で倒れてしまいます。
<動けない体で最後まで驚き続けるには・・・>と、顕微鏡を購入。
動けない体で、極微の世界の感動を見つけ続けようとしました。
(病気は奇跡的に自然治癒したそうです)


そうか、日々新鮮に、なににでも驚きや感動を感じるために、環境を変えればいいんだ!
でも、そう簡単に引越ししたり旅行に頻繁に行けるわけないじゃん。

そんなの、芸術家だからできるんでしょー。

こんな皮肉も言いたくなります。
しかし、そんなことをしなくても新鮮なことは自分でできるのです。


私がずっと旅を続けてきたのも、旅先では未知のものにぶつかるからです。
やはり、慣れてくるとものが見えなくなりますから。

ある時、玄関から入るのが当たり前に思えてきました。
それで、窓から出入りすることにしたのですが、
その時見た家の中は新鮮で、今までと違っていました。

泥棒と間違われて、大変なことになりましたが。



自宅の出入りに、窓から(笑)。
こんな発想があるなんて!
この本の中で一番感動した箇所でした。


本気で堕落を避けたければ、どんなことも思いつくものなんですね。

環境に慣れると、堕落が始まる。
人間としての怠慢を、もう一人の私が監視している。



芸術家だからこそ、必要な感覚なんでしょうけれども、
平凡に生きる私も、もっと貪欲に求めるべきだなと思いました。

堀さんは、「感動というより、逆上に近い。マグマが燃え上がるように、カーッとなる」
こう表現されています。
つまり、感動して、興奮してるってことなのかな。

そういや、感動はしても、興奮することはあんまりないかもしれません。
そこまで突き上げられるほどの感動がないような・・・。

芸術家だからこそ求められる感情なのかもしれません。
そこはちょっと羨ましいです、自分にないものなので。

自分は知らないことがまだまだいっぱいあるんだともっと自覚すること。
「あー、これ知ってる」で済まさないこと。
毎日が初体験。


  

私が窓から出入りしていたら、救急車が来るかも・・・


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2018. 03. 24  
『情熱のナポリタン(伊吹有喜:著)』を読んでいました。



そうしましたら、芥川龍之介の『蜜柑』という短編が出てきました。
この短編のことを話している登場人物たち。

「あの弟たちは幸せになったんですかねえ」

「幸せになったに決まってるだろ」
「暖かな日の色に染まった蜜柑は希望の光、幸運の前触れ」



こんな会話をしていて、どうにも気になって、
途中で『蜜柑』を読んでしまったのです。



5分ほどで読み終えてしまえる短編でした。
一人の男性が汽車に乗っています。
そこへ娘がやってきて。

その娘の下品な顔だち、不潔な服装に不快になる男性。
しかもその娘、汽車がトンネルに入ったのに、窓を開けるのです。

煤だらけになりむせ返る男性はさらに不快になります。
ほとんど憎んでいます。

トンネルを抜けた汽車から見える風景は、貧しそうな田舎町。
そこに3人の男の子が見えます。精一杯なにかを叫んでいます。

それを見た娘は、抱えていた蜜柑をその子たちに投げます。


心を躍らすばかり暖な日の色に染まっている蜜柑が凡そ五つ六つ、
汽車を見送った子供たちの上へばらばらと空から降って来た。

私は思わず息を呑んだ。そうして刹那に一切を了解した。
小娘は、恐らくはこれから奉公先へ赴こうとしている小娘は、
その懐に蔵していた幾顆の蜜柑を窓から投げて、わざわざ踏切まで見送りに来た弟たちの労に報いたのである。



この男性は、疲れていました。
正体のわからない疲労と倦怠でいっぱいでした。

座席で開いていた新聞には、その倦怠を表すかのような平凡な記事ばかり。

汽車と、田舎者の小娘と、平凡な記事に埋っている新聞が、
不可解な、下等な、退屈な人生を象徴していたのです。


そんな男性が、娘が投げた蜜柑を見て、


得体の知れない朗な心もちが湧き上がって来るのを意識した。

こう感じるのです。
蜜柑を投げた娘の想いや弟たちを想像するのも心温まるものがあるのですが、
私は男性がこの光景で朗らかになれたことに感動します。

どんより灰色に染まった心が、蜜柑のキラキラした橙色で明るくなる。
不可解で、下等で、退屈な人生を忘れることができたのです。

この小説が書かれたのは大正ですが、今もさほど変わりはないのでは?

毎日陰鬱な、あるいは馬鹿げたニュースばかり、
誰もが疲れていて、つまんなそうにしていて、
つまんないからスマホを見てるのに、
それでもまだ、つまんなそうにしてる。


蜜柑が希望の光、幸運の前触れ、とあったのは縁起物に使われるからでしょうか。
お正月の蜜柑も、本当は橙を飾るけれど、庶民も手にしやすい蜜柑が主流です。
雛飾りのみかんの木みたいなのは、「橘」。

色が太陽みたいだからかな。
冬至には柚子ですしね。


疲労と倦怠の毎日の中で、どれだけ心を躍らせるものを見つけることができるのか。
きっと見渡せば、心朗らかにさせてくれるものはある。
それに気づけるかどうか。
この男性が気づけたんだから、現代でもそれは、できますよね。



この作品が気に入ってしまった理由は、
実家に帰ったら蜜柑がダンボール箱いっぱいにあったからかも。

愛媛に住んでいる叔父が作っていて、私たちが帰る時期に合わせて送ってくれたもの。
その他にもはっさくや「あんせいかん」というすっごい皮が厚い柑橘も。
家の中に太陽がいっぱい。

いよかんやデコポンも今が旬ですね。
太陽をいっぱい食べて、この2週間は希望に満ち溢れています。



今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

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2018. 03. 23  
『井上ひさしから、娘へ 57通の往復書簡』です。



感動・・・じ~んときます。
感想を書いたら台無しになりそうなくらい。

もしも興味をもって読んでみようと想われたかた。
絶対に損はしません。


今でも人気がある作家・井上ひさし氏と、次女の綾さんとの手紙のやりとり。
2人がそれぞれに言わなかった思い出もたくさん出てきます。

感じたのは、父の愛。大きな愛。

綾さん、この手紙のころ離婚したばかりだったみたいで、
気弱さがめいっぱい出ています。

父はそんな娘を励ますように、生きる知恵のような手紙を届けます。


<見たいものしか見ない>という位置の取り方も大切だが、それに加えて、
<見たくないものもきっちりと見る>という勇気も併せ持つこと。

人生はすべて、この練習の繰り返しですね。
いってみれば、わたしの日常も、ものを書く練習のつづきですし、
あなたの日常も生きることの練習のつづきです。
退屈で辛い作業ですが、これからも生きる練習をつづけてください。


かならず失敗する秘訣
1、どうにかなると考えていること
 どうにかなるなんてことは、この世になに一つありません。
 自分でどうにかしなければ、この世はどうにもならないのです。

2、これまでのやり方が一番いいと信じていること
 自分の生き方を毎日のように点検し、工夫しないと、かならず良くないことが起こります。

3、忙しい忙しいといって、本を読まないこと
 コトバの力と思考力が養われますし、この2つこそは人生を切り拓くための最良の武器なのです。


人柄や、性格や、努力や、日々の生活でのふるまいかたや、生きることへの誠実さや、他人のことを考える心の広さなどなど、そういったものの総和が、ここでいう実力です。


もっともっとあるんですけどね。
読んでて「あれ?」と想ったことが。

ひさし氏、綾さんによく敬語をつかっていたようなのです。
「です・ます調」で。

これ、ウチの父をちょっと思い出しました。
ウチの父は普段は普通にしゃべりますが、
私や妹を叱るときだけ、敬語になってたんですよね。


そのことを友だちに話したとき、
「おっちゃん、かわってんな!!」と爆笑されました。
(大阪の子は友だちの親のことを”おっちゃん・おばちゃん”と言います)

ああ、変なんか~と想っていたんですけど、
井上ひさし氏とウチの父、3歳違い。
(ひさし氏、1934年生まれ、父は1937年生まれ)
この年代の男性は子どもに対してきちんとしゃべるのが当たり前だったのかなあ、なんて。

怒るときに丁寧語をつかう、という心がけをするだけで、
自分を律することができると知っていたとか・・・?
感情的に怒られた、という記憶が、ありません。


手紙じゃなく、綾さんがひさし氏と電話しているエピソードが出てきます。
そのときも綾さんは弱音が出ていたんです。
というかかなり不安定な精神状態だったみたいで。
綾さんの話を聞いて、父のひさし氏はこう言ったのです。

「戸締りはしたかい?
お米はある?
明日の分だけでいいから、お金はある?」

うん、ある・・・あるよ。

「そうか。それなら大丈夫だよ。
誰もきみを傷つけたり殺しに来たりなんかしない。
今きみが怖いと思うことは、全部綾くんの頭の中だけの出来事だ。
布団を被って眠りなさい。
大人になったからこそ、綾くんは明日のために今は寝るんだよ」



いくつになっても、親は親で子どもは子どもなんだなと思う。
口数少なかった父も、あれこれ心配してて、でも言わずに我慢してくれてたんだろうな。



綾さんが、
「父の記憶はいい匂いのお菓子の空き缶にぎゅうぎゅうに詰めこんで、しっかり、ちゃっかり隠して大事にしてあります。
できれば封印しておきたいくらいです」と書いています。

最後には、
「想い出の缶づめ、宝ものの箱は開け閉め自由自在です」と。


父との思い出、ひっそりしっかり隠して、たまに覗いてみようと思います。



今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
大阪に行く日で~す☆
パタパタしそうなので、今日はコメント欄を閉じますね。

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2018. 03. 22  
『あんた、ご飯食うたん?(中本忠子:著)』です。



保護司の活動をしながら、居場所のない子供たちに手料理を作り続ける、
広島のマザー・テレサ」と呼ばれる中本さんの著書です。

約40年間、家でご飯を食べることができない子供たちに、
自宅でご飯を食べさせてきた女性です。

完全に、自費です。
これにかかる毎月の食費が10万円。

今でこそ援助があったり、NPOにしたりしてゆとりが出たようですが、
最初の10年間、貯金を崩しながら食事を作っていたそうです。


なぜそんなことができたのか?
保護司になって2年目、中2のシンナー少年を受け持ったことがきっかけです。

『シンナーを吸う人にはこう指導しなさい』マニュアルがあり、その通り対応した。
でも、
「そんなこと知っとる」と、少年はシンナーをやめない。

「どうしてシンナーやめれんの」
「しょうがないじゃぁ、腹が減っとるんじゃけん」
「腹が減ってるときにシンナー吸ったら、腹が満タンになるん?」
「腹がすいたの忘れることができる」
「ほんじゃ、うちでご飯食べる?飯ぐらい食わすど」


ここから始まったのでした。
お腹がいっぱいになったらモノを盗んだり悪いことしたりしなくなる。
こんな信念ができました。


お腹がいっぱいになることと、接し方でしょうね。
子供たちが立ち直ることができた、ひどい人生に落ちなかったわけは。

中本さんのやってきたことをマネすることは到底ムリですが、
次の、子供への接し方は学びになります。


子供たちとの接し方

・あれこれ聞かない。

・同情はいらん、共感する。

「同情いうたら、あ、かわいそうな子、ぐらいにしか思ってくれないやろ。
そうじゃなく、共感してほしいというのは、わしらが今までどんな中で生きて来たか、そこから理解してほしい、ということなんよ」

・同情の言葉はしょせん人ごとと思っているから出てくる。
共感したかったらその人と時間をかけて信頼関係を作っていく。

・お世辞は嫌われる。
「それほどでもないことをほめられたら、バカにされた気持ちになる」

・信じることこそが特効薬。

・「なんとかしてあげたい!」のおせっかいおばさんにならない。



あれこれ聞かない=詮索しない、ということですね。

家庭環境がひどい子らが集まってきています。
親が服役中、なにかの依存症、暴力団の団員・・・
とにかくキツイ現実があります。
そこを詮索したら、子供は心を閉ざし、中本さんの家にも来なくなる。
来なくなるということは、悪いことして食べていくことを意味する・・・。


自分が中学・高校生くらいのころでも同じでしたよね。
親から「今日、どやった?」なんて聞かれても、
「べつに」
「フツー」
こんな感じのそっけない返事しかしないってこと、なかったですか?

わずらわしいですよね、あれこれ聞かれまくるのは。
言いたくなるまでそっとしておく。
本音の共感と信じる気持ち。
シンプルなことなんですよね・・・。


かつての不良少年たちがまっとうに働き、家庭をもっている。
このことに中本さんは幸せを感じています。

「苦労をして、失敗して、人生いろいろと寄り道しても、延長戦をしてがんばっている。
そんな子たちの人間味といったら、大きいですよ」





インドのマザー・テレサはどんな病気の人にも愛を与えた。
広島のマザー・テレサは、どんなに悪いことをしてても、少年院を出たり入ったりしているような子にも愛を与えた。

「あんた、ご飯食べてんの?」と気にかけてもらえること。
当たり前のようでいて、こんなに優しい愛は他にないのかも。


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プロフィール

馬場亜紀

Author:馬場亜紀
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本の中の心に刺さる一文をご紹介いたします。
看護師免許をもっていますが、今は保育の仕事をしています。自身の子育ても真っ最中。
くわしくは「自己紹介」をご覧いただければ嬉しいです。
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