表紙の写真を見ていただけますか。



『顔ニモマケズ(水野敬也:著)』です。
この表紙の写真に載っている方々を街中で見かけたら、思わず「えっ?」と見直して、そしてすぐ目をそらすだろうと思います。
私ならそうしてしまうだろうと。


生まれつきの病気や突然の発症で、顔が「普通」ではない、「見た目問題」を抱えている人、9人にインタビューした本です。
どんな「見た目」でも幸せになれることを証明した9人の物語ともいえます。
この本には、「見た目が9割」の現代社会で幸せになる方法が書かれているのでした。



中学の授業で「基本的人権」について習った直後、「おまえには基本的人権はない」と言った同級生。

他の生徒とは違って、お前には未来がない」と言った小学校教師。


見た目が普通ではないだけで、こんなことを言われたりいじめられたりするのです。(いじめられていない人もいますが)
見た目が幸せになるかどうかを左右する問題になっていいのか?」
自分が「醜形恐怖」という心の病気に罹ったことのある水野氏は、こんな疑問を持ち、今回の企画・インタビューを実行しました。


9人それぞれの考え方が本当に素晴らしく、力強いもので、感動したとしか言いようがありません。
特に私が印象に残った部分を抜粋します。



よく世の中では「時間が解決してくれる」と言うじゃないですか。
そのまま何もせず同じ場所にいてもその状態が続くことはないと。

確かにそういう考え方もあるかもしれませんが、私は、その考え方には賛成してないんです。
私がいつも思ってたのは「もし明日死んだら時間は解決してくれなかったじゃん」ってことなんですよね。

だから時間も信用してないし、「いつかこの苦しみが終わる」という言葉も信じてないです
無理にでも外に出て、今とは違う場所を探す必要があるといつも思っていました。
   (「口唇口蓋裂」のタガッシュさん)



「見た目問題」を抱える人にとって、「時間が解決してくれる」や、「見た目より中身が大事」などの言葉が、どれほど残酷に響き、軽々しく聞こえているのか。
そんなことを考えたことのなかった私には、ガツンと殴られたような感覚を受けました。


やり直せない日々は、音もたてないで過ぎていってしまいます。
悩んで苦しんでいたって、なにも変わらない。


それは、「諦める」ということにはつながりません。
彼らは、「変えられるもの」と、「変えられないもの」をしっかり見定めているのです。


もうひとつ、抜粋します。



やはり、「普通の顔だったら自分の人生はどうなっているんだろう」という思いはあります。
そして、逆に、顔の症状があることで良いことがあるとしたら、それは「すべての言い訳にできる」ことかもしれませんね。人生に起きるどんな苦しいことやつらいことも、全部、顔のせいにできてしまう。

でも、「変えられないこと」のせいにしたら、それこそ、人生は変わらない。
だから、私は自分の手で変えられることを、できるだけ変えていきたいと思うのです

   (「単純性血管腫(顔に大きなアザ)」の三橋さん)




自分で変えられる部分を見つけて変えてゆく。


これはもう、「見た目問題」があるかないかは関係なくなっていますよね。
もちろん、この本を読んだ、なんらかの障がいや問題を抱えた人にとって、希望が湧いてくる本です。

それだけにとどまらず、
大小はあるけれど、どんな人にも、悩みや心にひっかかっている事柄というものはあると思います。
そのグジグジしたもの、いつまでも抱えているの?ってことです。



『顔ニモマケズ』に出てくる彼らは、自分の見た目や病気を、「受け入れた」わけではありません。
なければないに越したことはないのです。
でも、どうしようもない。自分では変えられない。

形成手術をくり返しても、普通の顔になることはほぼ不可能なんです。
ヘタすると、手術の失敗で傷跡ができたり、悪化したりするケースも多いそうです。

だから、「受け入れない」けれど、「折り合いをつける」、「割り切る」ことで外に出て、自分の好きなものを見つけていったり、恋愛したりしていったのです。


世の中の人は誰だって、完璧な状態になるということはなく、いつも何かの悩みを抱えながら、その悩みと、そのときそのとき、折り合っていくものだと思うんですよ。
   (左右対称の顔がほしかった中島さん「リンパ管腫」)




「変えられるもの」と、「変えられないもの」をしっかり区別する。
ここから、悩みに対して変わってくると思います。
変えられないものは、折り合っていく。
変えられるものは、変えていく。



時間では解決してくれないものをイヤというほど味わってきた人たちの言葉は、絶対に自分にも活かせます。


この本の著者印税は、すべて、「見た目問題」の解決に取り組むNPO法人マイフェイス・マイスタイルに寄付されます。
図書館で借りて読んだのですが、これは、買います。



今日もありがとうございます。
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【2017/06/19 06:45】 |
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てかと
アレルギーがあるとか、虫や動物が怖い、高所恐怖症とか、
顔の問題に比べたらまだぬるい感じですかねぇ
俺は肝臓と折り合いつけていきてる感じだから、
あれでもイージーモードかも

こんにちは!
ダリルジョン
いつになっても、
健常者の受け止め方が問われる。

五体不満足な方の愚行もありましたが、
こういった高尚な精神の持ち主の方たちは、
ハンディキャップを持ってしまった方に
とても多いですね。

毎日、怠惰な生活に流されて、
朝日と夕日に感謝しない、

こういう時だけ考えてしまう自分が情けなくなる時があります。

ではでは~



八咫烏(負傷中)
見た目の障害というのは、見えない障害よりもはるかに見えてしまう分、つらいことがあるのでしょうね。心ない言葉をかける連中というのは、その放った言葉がどんな意味を持っているのか、考えもしないのでしょう。一転して、自分たちがその立場に立ってみると、そういった行為をした連中ほど、絶望して生きる気力を失う弱い連中なのだと思います。そう思うと、疎外しようとしている連中の心の奥底には嫌悪ではなくて、恐怖があるのかもしれませんね。それはひどく薄っぺらい自己防衛なのかもしれません。一方、障害を持った人々の声は、とてつもなく重たく、とてつもなく輝いたのものに見えますね。

Re: てかと様へ
馬場亜紀
コメントありがとうございます。
どんな些細だと思える問題も、本人にとっては重大な問題だと思うので、ぬるかろうが熱かろうが、停滞したままだったら本当に大問題になってしまいそうです。
> 俺は肝臓と折り合いつけていきてる感じだから、
> あれでもイージーモードかも
これは、へヴィモードです。生きるために死ぬまで節制、きついと思います。でも節制さえすれば、元気に好きなことをできるということ。続けてください・・・としか言えませんが。どうぞお大事に。


Re: こんにちは!
馬場亜紀
ダリルジョン様、コメントありがとうございます!
> いつになっても、
> 健常者の受け止め方が問われる。
ほんと、そうですね。受け止め方だけで、障がいや困難を抱えている人たちが一歩進みやすくなるのに・・・って思います。
でも、いつもいつもそのことを考えて生きているかと問われたら、私も情けなくなるほど忘れやすいです。なるべくしょっちゅう毎日の小さなことに感謝できるように・・・そう願いつつ過ごしている状態。
多くの人がそうなんじゃないかな~。ちょっとだけ意識をする・変えるだけで、未来がよくなりそうなのでがんばりたいと思います。


Re: 八咫烏(負傷中)
馬場亜紀
コメントありがとうございます。
> 疎外しようとしている連中の心の奥底には嫌悪ではなくて、恐怖があるのかもしれませんね。それはひどく薄っぺらい自己防衛なのかもしれません。
ああ、ここ本当に共感します。弱いモノがさらに弱いモノを見つけて攻撃するような・・・。絶対に自分より強そうなモノには言わないだろう人たち。
先生までそれをしたら、一体誰を信じたらいいのか・・・ですよね。

一方、障害を持った人々の声は、とてつもなく重たく、とてつもなく輝いたのものに見えますね。

この本はとくに説教臭いものでもなく、重苦しいものでもなかったんですよね。なんだか皆さん、山を降りてきた清々しさというか軽やかな雰囲気で語っていて、本当にステキでした。みなさん、今の自分になるために障がいが必要だったんだとしたら、この障がいは受け入れられるとおっしゃってますね。本当に強く輝いています。


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先日、『広告コピーってこう書くんだ!読本』を紹介しました。



その中で懐かしいCMについても書かれていたんですよ。

♪昼間のパパは~ちょっと、ちがう~
 昼間のパパは~光ってる~



覚えていますか?
私は覚えています。
忌野清志郎さんが歌っていました。


この歌、検索してみました。全歌詞はこうです。


パパの歌   作詞:糸井重里  作曲:忌野清志郎


家のなかでは トドみたいでさ
ゴロゴロしてて あくびして
時々ブーっとやらかして
新聞みながら ビールのむ
だけどよ

昼間のパパは ちょっとちがう
昼間のパパは 光ってる
昼間のパパは いい汗かいてる
昼間のパパは 男だぜ

カッコイー

休みの日には10時半に起きる
シャワーをあびて テレビみて
時々ぶらっと 散歩して
お腹のでっぱり 気にしてる
んでもさ

働くパパは ちょっとちがう
働くパパは 光ってる
働くパパは いい汗かいてる
働くパパは 男だぜ
ヘーエ

そうだぜ

昼間のパパは いい汗かいてる
昼間のパパは 男だぜ
昼間のパパは 光ってる




本では、この歌詞をつくったときの糸井氏が、
「”昼間”を”夜”に代えても意味が通じるようにしたんだ」と笑っていたというエピソードでした。


夜のパパは いい汗かいてる
夜のパパは 男だぜ・・・・・・・・・合ってますね、ある意味(笑)

遊び心を常にもちましょうということだったんですが、
いい歌ですよね、これ。

懐かしいと思ったら、1990年に流れていたCMだとか。
おお~、月日の流れは激流にのみこまれていきます。
27年か。今のお父さんたちはだいぶ変わっちゃったんでしょうかね。

またやってほしいな、このCM、というか、歌が流れてほしいな。



ところで、
「昼間のパパ」と検索ワードを入力して検索したら、この歌詞と、2ページ目に、
『昼間のパパは光ってる』というマンガがヒットしました。



なにこれ?タイトル同じのマンガ?全然知らない。

クリックしたら、5話まで無料で読めましたので、ためしに1話目を読んでみて・・・・5話全部一気読みしてしまいました。
面白かったのです。

ダム造りに取り組む若手技術者が、働く喜びと苦悩、葛藤を乗り越えながら成長していくビジネスドラマです。
現在と過去がうまく織り込まれて、主人公がいろんな人との関わりで成長してきて、これからも成長していく姿がうまく表現されています。


私が5話まで読んだなかで、いいなあと思った場面。
主人公が小学生時代の頃を思い出しています。神戸に住んでいるおばあちゃんのところに遊びにいって、明日からは学校に行くという日、おばあちゃんにぼそっと言うんです。

「明日、学校行きたくないな・・・」

どうしたの?と尋ねるおばあちゃんに、主人公は打ち明けます。

「落ちたケシゴム拾ってあげたり、荷物運んだりすると 陰でコソコソ言われるんだ。
かっこつけ とか 偽善者 とか・・・。

誰かにそう言われると、何もやってあげる気がしなくなってくる。
ねえ おばあちゃん、 僕って偽善者だと思う?」



ここで場面は現在に戻り、物語が進行します。
そしてまた回想の続き、おばあちゃんの言葉になります。

「そらぁ そうかもしれんわ。
偽善者 言われて今までしとったこと やめてしもうたんやろ?
そんなん あかんわ。

ええか?
ほんまに自分がやるべきことをやっとるときはな、
「かっこつけ」 とか 「偽善者かも」 なんて考えないもんやで。
夢中のときは 下向いて悩んだりせん。
前向いて 悩むんや」



現在に戻り、主人公はぐっと前を見据えて、心を決めていくのです。
こういったことが、要所要所にちりばめられていて、心が折れそうになるたびに、誰かがかけてくれた言葉を思い出して仕事に打ち込む。
この主人公のひたむきな姿に、とても好感をもてました。

仕事だけじゃなく、家族やダム建設の地域住民たちへの心遣いにも、優しさや一途さが見られて、最後まで読みたかったです。
誰が読んでも当然いいですが、特に、働く若い男性にはとても共感されると思います。
読んでいて、自分もぐっと顔を上げたくなりましたから。
仕事や人生への応援歌のように、読んでもらえたら・・・そんなことを感じました。

どうやら単行本で発売されている様子。
買おうかな。


*私が読んだのは、「pivivコミック」というサイトでした。画像クリックすると、楽天ブックスに飛びます。




とーちゃん、いつもありがとう。゚(゚^∀^゚)σ。゚
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【2017/06/18 06:45】 |
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てかと
おはようございます!応援ぽちぽちっと
漫画はいいぞ・・・
活字はブログ読むので間に合ってるからな俺w

懐かしい(#^^#)
ぴょんぴょん
このCM懐かしいです♪
確か小学生の頃やっていた気がするんですが
今でも清志郎さんの歌い方や声を鮮明に思い出せます。

文章書くのが得意ではないので
ブログのタイトルなんか考える時に
「上手いコピーでも降って来ないかな?」
なんて調子いい事考えちゃいますが、
一朝一夕とはいかないんでしょうね。


節約ドットコム
子供のころは父親が光って見えたものです。
私はどうだろうか、第三者に光っていると思わせられているか自分じゃ分かりにくいところでありますね。

同時に偽善者にならないように見つめなおしていかないといけません・・・


ミドリノマッキー
いい歌ですよね。
清志郎が歌っているのは知ってましたが糸井さんが詩を作っていたとは知りませんでした。

父親の働きぶりを見せるっていいことだと思います。自分もトラックに乗せて連れまわったことがあります。喜んでくれましたよ(^^♪

縁の下の力持ち
yokoblueplanet
おはようございます。
今日は父の日ですね〜日本のお父さんたちは大きな声で自己主張することも少なく、本当の縁の下の力持ち的な働きをしていると思います。
お父さんのためにも家族のためにも、仕事から離れて、もっと自由にできる時間ができる労働環境になるといいですね。

Re: てかと様へ
馬場亜紀
応援&コメントありがとうございます!
マンガもいいですよね、好きです!!
でも紹介するには難しい!!
あと、絵の好みもありますよね。いくらいい話だと言われても、絵が好きじゃないと、なかなか読む気になれないこともあります。

Re: 懐かしい(#^^#)
馬場亜紀
ぴょんぴょん様、コメントありがとうございます。
歌、覚えていらっしゃいましたか!嬉しい♪

文章得意じゃない?あれだけ書けていて?ええ~~~。
めっちゃ上手いですよ・・・。
でもタイトルは文章と違うなとは、私も思います。そのままでいいんだろうけど、もっと興味を持ってもらえるような、「おっ?」みたいに感じてもらいたいとか。欲張りたくなります・・・。
キャッチコピーの本が役に立つかどうかは分かりませんが、モノの考え方や、「相手に伝えたい・伝わる」ということを深く考察してくれているので、一読の価値は十分にあります!

Re: 節約ドットコム様へ
馬場亜紀
コメントありがとうございます。
すごい、子どものころに父親が光って見えたなんて感じられていたんですね。すごい、もう親としての役割は果たせていますね。
節約ドットコム様もそれを受け継がれているんじゃないでしょうか。わざわざ子どもが「お父さん、光ってるね」とは言ってくれないかもしれませんが、思っていますすよ、きっと。
それより、だらけている節約ドットコム様を想像するのは至難の業です(笑)。

Re: ミドリノマッキー様へ
馬場亜紀
コメントありがとうございます。
一緒にトラックに乗る、それは喜んでくれたでしょうね、お子さん!!
以前、両親がトレーラー運転手という園児がいて、その子のお迎えはいつもトレーラーが園の前にどど~ん!と停まっているんです。それを観る子どもたち、本当に「すげ~、かっこいい~!」と賞賛の嵐、毎日。トラックって小さい子供には憧れの乗り物の一つです。


Re: 縁の下の力持ち
馬場亜紀
yokoblueplanet様、コメントありがとうございます。
本当に、縁の下の力持ちになってきた人が大勢いて、今の世の中があるんですよね。数え切れない善意があるんだと改めて感じます。
この労働パフォーマンスを維持しつつ、家族や自分のための時間を増やすこと。これが急がれているんですね、今は。きっと少しずつでも解決していけると思っています。もうしばらくお父さん・働くお母さんたちの辛抱がいりますね・・・。
何かあるはずですよね、突破口が。探していきましょうね!


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アイデアがぽんぽん飛びだす!
面白い発想!

こういうことが出来たら、いいなあって思います。
茂木健一郎氏の著書とかが売れるのも、多くの人が「ひらめき」を求めているからじゃないでしょうか。


そんなアタマになったらなあ。
意外な本にその方法が書かれていました。
『広告コピーってこう書くんだ!読本(谷山雅計:著)』



キャッチコピーを書けるようになるための本、なんですが、ここでは言葉のセンスとか才能はほとんど語られません。
必要なのは、「人に伝える」ことと、「アイデア」です。



発想法ではなく、発想体質に


方法ではなく、体質を「発想する」体質に変えなさいということです。
そのために、まずやること、

「なんかいいよね」禁止。

明日から、あなたの毎日の生活のなかで、「なんかいいよね」という言葉を禁句にしてほしいのです。


「なんかいいよね」
「なんかステキ」
「なんかキライ」

こう口にしませんか。私は言ってます。「なんか○○○」
これ、アタマを使うことを放棄する呪いの言葉です。

「なんかいいよね」で済ませているんです。
そうじゃなく、
「なぜいいのか。これこれこうだからじゃないか」
「なぜステキなのか。こういう工夫をしたからじゃないのか」と、考える。
これが発想体質への第一歩。

そして、「なんかいいよね」と言っているうちは、受け手にしかなれません。

受け手は、一生、「なんかいいよね」「なんかステキよね」と言い続けます。
「作り手」は、「なぜいいのか。これこれこうだからじゃないか」と考え続けます。



「なんかいいよね禁止」を守って、「なぜ」を考える。
これを、もし5年間続けることができれば、どんな人だって、なんらかのモノをつくれる人になれるはずだ。




発想体質になった、さあ、どう活用するのか?
そこまで考えたことがありませんでした。
なんかアタマ良さそう(←ほら、「なんか」使ってる)って憧れてる程度じゃなかったか。


アイデアを発想すると、どうなるのか。
一例が紹介されていました。
著者がまだコピーライター養成学校の学生だった頃のお話です。
講師は、人気絶頂の糸井重里氏。

糸井氏が課題を出しました。
「コンビニエンスストアで、こんなサービスやイベントをしてくれたらすごくいい、と思えるアイデアを考えよう」

この頃のコンビニはまだ出店し始めたばかり、24時間営業もやっていませんでした。
学生たちは、面白そうだと思うアイデアを考え出します。

・コンビニで歌手のマドンナがコンサートをやる
・コンビニがシアターになる

学生たちは、アイデアの”奇抜さ”を競い合っています。

みんなのアイデアを聞いた糸井氏、こう例えを出しました。
「買ったカップラーメンに、その場でお湯を入れてつくれるサービスがあったらいいね」


その頃のコンビニに、そのようなサービスはまだ登場していません。
もちろん、お弁当も温めてくれませんでした。


著者は、このアイデアこそがアイデアだと、後に分かるのでした。

一見地味なように見えても、世の中の人が本当に必要としていて、まだ存在しないものを見つけ出す。
これは、ただ単に奇をてらったことよりも、本当にすごいアイデアだとぼくは思います。



地味なアイデアが、人々の必要とすることを見つけ出すこと。
これが、アイデアを必要とする一番の意味。


発想体質になることが、多くの人が必要とすることを見つけることにつながるなんて。
びっくりしました。
自分のためになるとばかり思っていたので。
人を驚かせるような、凄いことを思いつくため、ではないんですね~。


面白半分で「発想体質」を目指すのではなく、人のお役に立てること。
そう思うと、「なんかいいよね禁止」はけっこう大事な仕事になってきそうです。



「人間は、考えるという真の労働を避けるためなら何でもする」(エジソンの言葉)


「なんかいいよね」は、深くモノを考えずに、何となく人に伝えるにはピッタリの言葉です。
でも、伝わらない。
「この本、なんか良かった!読んでみて!」

読みたくなりますか?
なりませんよね。「なんかって、なによ?」です。

伝える側は「なんか」で済むけど、伝えられる側は、「なんか」じゃなんにも分からない。


モノを考えなくなると、自分の思っていることを伝えることができなくなります。
コミュニケーションがとりづらくなってくるんです。


「発想体質」=「なんかいいよね禁止」

モノゴトを深く考えるようになる。
気持ちや感情を伝えることができる。
人のお役に立てることを思いつく。

メリットは多そうです。自分でやってみます、「なんかいいよね」を禁句にすることを。



まさか、コピーの書き方の本で、こういうことを知ることができるとは思いませんでした。
あ、コピーライターになりたくて読んだわけではありません・・・。




今日もありがとうございます。
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【2017/06/17 06:45】 |
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Ichi
馬場 亜紀 さん、おはようございます。
あちゃー。『なんか』連発してますね、口癖レベルかも(^_^;)
発想体質いいことづくめにですね。『なんか』と思ったら『なぜか』を考えるようにしてみます〜。
これだけでなんか変わりそうです!!( ´艸`)


八咫烏(負傷中)
多分、人間はエネルギーをなるべく消費しないように努めているんでしょうね。脳はエネルギーを大量に喰らう場所でありますものね^^;
本日の記事を読んで思ったのは、糸井氏の発想は、感覚的なものと論理的なものに基づいているのかな、ということでした。
日常生活で感じる感覚的なものを、「なんかいいよね禁止」にして、「今あるもの」から論理的に展開しているように思えます。
発想って、新しい発想ってもう滅多にないと思うんですよね。ただ、同じような発想でも、物によってはまだ気が付いていない、気が付けていないところがあると思うんです。個人的には、目の付け所。発想というよりも、発見って感じで、物事を考えるようにしています^^


愛希穂
亜紀様、こんにちは。

「なんか・・・」私もよく使います。あと「すごく・・・」も。
どんなふうにいいのか、具体的に説明できたらいいのですが、「語彙力が貧弱だから・・・」と自分に言い訳をし、それ以上考えることをしませんでした。

呪いの言葉にひっかかっていたのですね。

私も「なんかいいよね」を禁句にして、具体的に説明できるように、考えるということを心がけていきます。

そのためには、観察力なるものが必要ですね。

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Re: Ichi 様へ
馬場亜紀
コメントありがとうございます。
そうです、私もほぼ同じです、「なんか○○やな」とか。それって、ホント、大して何も考えてなかった自分に愕然でしたよ。
楽なんですよね、「なんか」で済ませていると。でももし子どもが「なんか○○なんだよね」っていつも言ってたとしたら、やっぱり気になるだろうなと思うんです。「なんなのよ・・・」って。
自分がもっと「なぜなんだろう」を癖づけていけば、子どもにも移らないでいけるかなと思う今日このごろ・・・。
「なんか変わりそう!」はアリですよね(笑)。

Re: 八咫烏(負傷中)
馬場亜紀
コメントありがとうございます。
糸井氏、相当論理的に考えていらっしゃると思うんですが、そこんところ、全く語りません。なるべく「シンプルに、分かりやすく」をモットーにされてるんでしょうけれど。
発想というより、発見。
同感です!
見つけてもらえてないいいことを、目の付け所を変えながらいっぱい見つけてあげること。これが大切なことなんだろうと思います。
まだまだ私は考え不足なんで、「なぜだ?」を癖づけていこうと思います~。


Re: 愛希穂様へ
馬場亜紀
コメントありがとうございます。
「すごく・・・」、ああ、これも使いがちな言葉ですね!
これ、看護学校のときに禁止された言葉です(笑)。記録を書くとか、レポートを書くなどに、「すごく」という抽象的な言葉は不必要だと。抽象的なものはいりません、具体的に書きなさいと。これはすごくいい訓練になりました。
それと同じく、「なんか・・・」も、使わないようにしていくだけで、少しずつ変わっていけると思います。
観察力と、そうですね、表現するためには語彙力が必要かもしれませんね。
私もがんばります


Re: 鍵コメさんへ
馬場亜紀
いつも、ありがとうございます!!


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『幸田文 しつけ帖』を読みました。



幸田文さんは、家事全般を父・幸田露伴から教わりました。
今回は、掃き掃除の稽古の章から、魔法の呪文を紹介します。


幸田文さん14歳のときから、本格的に掃除の稽古が始まりました。
父・露伴の指導は厳しいです。文さんの仕事ぶり全てにダメ出ししていきます。


そしてやっとのことで掃き掃除を終えたところで・・・。

子供心に大した稽古であったことを覚ってい、砕かれ謙遜になった心は素直に頭を下げさした。
箒と平行にすわって、「ありがとうございました」と礼儀を取った。
「よーし」と返事が来た。
起って歩きかけると、

「あとみよそわか」

? とふりかえると、
「女はごみっぽいもんだから、もういいと思ってからももう一度よく、呪文をとなえて見るんだ」といった。
「あとみよそわかあとみよそわか」



あとみよそわか



なんの呪文?
幸田露伴が口にするほどですから、怪しいものではないですね。

章末に意味が書かれています。

後をもう一度ふり返って見て、粗相がないか気を配りなさい、という意味。
「そわか」は、円満成就の意味。



掃除し終わったところで、もう一度、自分のやったところを見てみる。
ゴミは残っていないか、美しくなっているかと。


露伴は掃除に関してこの呪文を教えていますが、なんにでも使える呪文ですよね!


子どもの頃に言われませんでした?
「テストは最後までやったら、もう1回、見直しなさい」って。

そうすることで、間違いに気づいて直せる。
これ、「あとみよそわか」ですよね。


あと、私はよ~くよ~く気をつけてるつもりなんですが、パソコンで文章や書面を作成した後、何度も見直します。
一番いいのは印刷して、紙で見直す、です。
でもいちいち印刷していられないときもあるんで、本当に気をつけて見直します。

あれ、不思議なんですけど、なぜか見落とすんですよね~。
なんでパソコン画面からだと間違いが見つけにくいんでしょうか!?


このブログも、何度も何度も読み直して、文章を良くすることは出来なくても、せめて誤字・脱字はしないでおこうと気を配っています。
これも印刷していられないので、パソコン画面から見直すのみ。編集画面から3回4回と見直し、「ブログの確認」からもう一度見直し、それでもたまにダンナから、「あそこ、間違ってない?」と言われるのです・・・。

あとみよそわか・・・


これ以外でもいろいろありますね。

脱いだ靴はそろえる
開けた扉は閉める
ごはん粒を残さず食べる・・・


私がけっこう気になるのが、席を立って、イスをそのままにしてる人。
職場でも「このイス、邪魔・・・」って思うし、食事に行ったところでイスが通り道をふさいでいるようなのを見かけると戻します。
イヤなんですよね~。


「あとみよそわか」
ミスを極力少なくする効果もあり、自分の仕草が美しいか、だらしないかに心をかける。
それを確認するための呪文。

いい呪文だと思います。


しかし、幸田家、厳格です。
そんな父に育てられしつけられた14歳、さぞかし大人しく黙って言うことをきいているのかと思ったら、案外、心のなかでは「意地悪親爺め」と毒づいているのです(笑)。

でもそんな娘のはるか上をいく父。
「ふむ、おこったな、できもしない癖におこるやつを慢心外道という」とバッサリ。


外道にならない前にあっさり教えてくれろ~~!!と心のなかでシャウトする娘。
いい父と娘の関係です。




最後まで読んでくださって、ありがとうございます
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【2017/06/16 06:45】 |
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八咫烏(負傷中)
あとみよそわか。
これは一種のメタ認知ってやつですね^^
自分の行動を客観的に見る。
でも、主観から客観への切り替えって案外できないものだと思います、。
特に大きな仕事を終えて、ホッとした瞬間などは難しいですね~。
だからこその呪文なんだと思います。
今日のお話、すごく参考になりました。
私も唱えてみようかな^^


エリアンダー
そうですね。
ブログ生地、納戸見治しても謝りが蟻ますね。
私は痔を大きく表示して攻勢するようになってから謝りが
亡くなりました。



てかと
あまり関係ないけど、厳しい指導者の元だと、
なんでダメなのか理由を教えてくれーとか、
リテイク指示くるとき絶対言うんだよね
つい考えることなく効率優先してしまう
稽古事だとなぞかけみたいな指示がきて、
目で盗めとか音に聞け、とかw
仕事では勘弁してほしかったがw

Re: 八咫烏(負傷中)
馬場亜紀
コメントありがとうございます。
> あとみよそわか。
> これは一種のメタ認知ってやつですね^^
> 自分の行動を客観的に見る。
おお、メタ認知というんですね!!知りませんでした~。
自分の行動を客観的に見るというのは、簡単にやれそうで、実際、本当にできてるのかどうかを自分でどうやって確認したらいいのやら。そんなことも考えてしまうほど、私にとって難しいです。
だからこそ、あとみよそわか・・・です!


Re: エリアンダー様へ
馬場亜紀
ブハハ~♪
こうしてノッてくれるエリアンダー様、鋤です!
大阪に、肛門科の個人病院「加地医院」があります。看板は、でっかく、「か痔」です。

Re: てかと様へ
馬場亜紀
コメントありがとうございます。
> 目で盗めとか音に聞け、とかw
すごい指導ですね。なんの伝統芸能継承だったんでしょうか。
この指導者、「完璧だと思ったときはまだ半人前だ」というかたと同一人物?
時と場合によって、こういう指導が生きることはあるけれど、めちゃ忙しいときはあっさり教えてくれるほうがいいはず。鬼忙しくなるだけ~。そりゃ、肝臓も号泣やわ。



Ichi
馬場 亜紀さん、おはようございます。
『あとみよそわか』降車する時、気をつけてました。そうなんです、私は忘れ物がほんと多くて。それで主人に注意されたのが『あとみよそわか』の行為でした。
『あとみよそわか』他にも色々使える!!と新たな発見です(^。^)

Re: Ichi 様へ
馬場亜紀
コメントありがとうございます。
そうですね!忘れ物がないかの確認にも「あとみよそわか」は使えますね~。
ご主人、すごい~!
最後に確認するだけで、後悔するようなことをぐっと減らせそうです。私もなんにでも「あとみよそわか」やってみよー。

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今度の日曜日は「父の日」です。
なぜか、「母の日」ほどの宣伝力がないですね。なんででしょうね。


『手術はしません 父と娘の「ガン闘病」450日 (団鬼六・黒岩由紀子:著)』



SM小説作家の団鬼六氏が、食道ガンの宣告を受けてから、死後、娘の由紀子さんの手記までを綴ったものです。
鬼六氏の視点での手記と、娘の視点での手記が交互に掲載されています。


鬼六氏、ガンになる前から、人工透析も受けています。
実は人工透析を拒否しようとしていたんです。
「週3日も病院に通っていられるか!そんなのはオレの望んだ生き方じゃない!」と。


この言い分も分かる気がします。
透析に通うというのは、本当に、残りの人生の丸々半分を病院で過ごすことが決められてしまうから。

医師は鬼六氏にこう言います。
「確かに、あなたの腎臓は機能していません。
でも、その他の内臓は何も問題ないんです。
あなたは、腎臓がダメになったからと、あなたの腎臓以外の全ての健康な内臓・身体を死なせてしまうんですか」


鬼六氏は、それはダメだと考え直し、透析治療を受け入れました。
病院通いが何年も続いての、ガン宣告。

「手術は、しません」

これが鬼六氏の判断です。
家族は反対しました。手術したら助かる可能性がある、受けてほしいと。

「体中、管だらけ人間になったって、生きていてもらいたい」
由紀子さんの思いです。


しかし鬼六氏はこう返します。
「ロボット人間にされてまで、生き続けたくない」
「親を無理矢理長生きさせることを、親孝行だと思うな」



抗がん剤治療はするけど手術はしないと決め、ガッカリする家族に、鬼六氏は
「こんなオレのために、皆で生きろ、生きろと言ってくれて、ほんまにありがとう。
えらいすんません」

こう言って、頭を下げました。

由紀子さんは、腹をくくります。
「私がするべきは、父が父らしく生き抜くために、力を尽くすこと」と。


ここからは、闘病生活の様子や、その時の心境を深々と綴っていて、ところどころでは読んでいて涙がこみ上げてきました。
この家族、素晴らしい・・・。
お互いを思いやる愛情でいっぱいで、すごく素敵なんですよ。
食べることに支障が出ているし、副作用もあります。それでも透析には通わなければなりません。
体力的には相当辛い状態でした。

そんな辛い状態にも関わらず、鬼六氏はユーモアを忘れないし、仕事への意欲もますます燃やします。
「仕事、なんでも受けるで。オレは死ぬまで生きるからね」



著書の中で、鬼六氏が座右の銘にしていたという句が紹介されていました。


何しょうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂え  (閑吟集の一節)


意味は、
まじめくさったところで何になる。一生は夢だ。面白おかしく遊び狂え。

刹那主義ともいえます。
このままでもいいですが、由紀子さんはこう解釈しています。

常識に縛られ、世間に気兼ねしながら生きるのは惜しい。
たった一度しかない人生なら、精一杯、完全燃焼させようじゃないか。



人生への励まし、と受けとめています。



長生きしてほしい。
できる治療は全て受けてほしい。

そう願う家族の気持ちも、愛です。

しかし、本人の希望に沿えるように力を尽くすことも、愛です。


治療方法に正解なんて、絶対に治るというものなんて、ない。
だから、本人が希望するように、生きたいように生きられることが最も優先するべきこと。


ウチの父も抗がん剤治療の真っ最中です。
最初、私は反対しました。
手術できるようなものではないので、それならば、体力を失くさないよう、自然に穏やかに自宅で過ごせるほうがいいんじゃないか?って。

でも、父は、
「やれることはやる。先生もそう言ってくれてるから」と。

今年の父の日、父は入院中です。
会いに行けない私ができることなんて、大してないんだけど、ちょっとでも気持ちが元気になるように、孫の写真を入れたミニ・アルバムを作って贈りました。

まだ届いてないですが。
力になってくれるといいなあ・・・。




鬼六氏は、死ぬ直前まで、仕事もしたし、旅行にも行きました。親交のある人たちともバカ騒ぎしたり。
家族の助けがあったからこそ、迎えられた最期だったように感じます。
この本、家族愛でいっぱいで感動しました。


父を亡くした由紀子さんの、最後のメッセージで終わりにします。

楽しさの前では、人は誰でも子どもにかえる。それこそが人間の本性に適った生き方なのだ。
かくも雑多で、喜びと悲しみにあふれ、美しいことも醜悪なこともたっぷりあるこの世界こそ、生きていくのにふさわしい、実に素晴らしい場所なんだ。





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【2017/06/15 06:45】 |
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最期の迎え方
ナカリママ
我が身に重ねて読みました。
父も最後は人工透析に、人工肛門に、もう出来ることはやり切ったので、とにかく苦痛が無いように、と、モルヒネをお願いした翌日に亡くなりました。母も回復の見込みは無いと言われ、ただ延命のための点滴は辛い毎日を長引かせるだけだから、と、やめてもらった翌日に亡くなりました。
どちらも、私の判断で最期を決めてしまった気がして、息をしてくれてるだけでもいいなら、もっと生かせられたかもしれないけれど、悔いはありません。
精一杯頑張ったから、もう頑張らんでいいよ、ゆっくり休んでや、という気持ちでした。
本人の意思確認が出来なくなってからは、家族の判断に任されるから辛いところもあります。
本人が生前、話していたことを頼りに判断するしかないので、とにかく延命措置は要らないという気持ちだけを基準に、痛みを和らげて安らかに、と願いました。
病院の方々が、良い看取りをされましたねと言ってくれたのが支えになりました。
自分の思い出ばかり綴ってすみません。
次は自分の番だから、子どもたちにしっかり意思を伝えておかないと。改めてそう思いました。
ミニアルバム、きっと大きな力になると思います!よい父の日を迎えられますように^_^






八咫烏(負傷中)
団鬼六。彼の生業は賛否両論あるのかもしれませんが、実に自分らしい生き方を通しましたね。
人工透析を拒否したニュースは見ましたが、その後の変遷は知りませんでした。
馬場さんのお父様も、自分なりの解釈で自分の生き方を通していらっしゃるのですね。
私と同い年の同僚が、脳腫瘍で亡くなったとき、ああ、自分であった可能性もあるんだなぁと思い、少し真面目に人生について考えました。
が!!
考えたところで、何が変わるわけでもなし。
相変わらずダラダラ生きております。
いいのかどうかは知りませんが、そんなんでもいいかなぁと思えるようになってきた(なってしまった?)今日この頃です。


節約ドットコム
生きざまは人それぞれ。またその終え方もそれぞれ。今日の記事で言うと、母は前者で父は後者でしょう。私は自分のことを最近考え出しています。難しい選択なのである程度考えておきたい問題ですね。


エリアンダー
抗がん剤も、手術も、放射線もイヤですね。
でも最もつらいのは透析です。
二日に一度、4時間。盆も暮れも正月もない。
この団氏のようなすばらしい家族のサポートがなければ、
もっともっとつらいことになっていたでしょうね。



てかと
人間どうやったっていつか死ぬからな
管だらけの生きるしかばねみたいな状態を嫌がるなら、
ころっと逝くのもそれもまた人生
その前に俺は肝臓をなんとか救済してやらないといかんのだw
禁酒だのなんだの、えらい縛りがきついルールになってきたわw


ゆるパパ
こんにちはm(_ _)m
私の母も白血病にて闘病していましたが、骨髄移植をしました。最後の賭けだと本人の意志により決行...結果としてはダメでしたが、全力で応援しました。最終的には本人の意志を尊重しますが、周りもそれを受けとめる覚悟は必要ですね。私だったら、どのような選択をするかなぁ...残った時間を全力で遊ぶかな(笑)?


ミドリノマッキー
自分も手術は受けないと思います。家族にもそう言ってます。ここまで生きたら十分との思いからです。
まだそういう兆候は見られませんが(^^♪




HAM1826
お父さん、癌と闘こうてはるんやね。
「やれることはやる…」お父さんの言葉に
男の覚悟を感じるなぁ…

孫ちゃんの写真見たら、きっとパワーを
もらって、気持ちが前向きになりはると思う。

でも、もし自分がお父さんの立場なら…
おいそれと口には出されへんけど、やっぱり、
遠い所に嫁いだ娘の顔を見たいと思うかもなぁ…
(エラそうにごめんね)

Re: 最期の迎え方
馬場亜紀
ナカリママ様、コメントありがとうございます。
やれるだけはやった、という思いをもてたこと、素晴らしいです。なかなかそうもいかない家族も多くいますので。
自分もそうなれれば・・・と思います。
自分の最期も考えておかなければいけませんよね。子どもとも今後もいがみあうことのない、いい関係を築いていかねば!と改めて肝に銘じました。
温かいコメント、本当にありがとうございます。


Re: 八咫烏(負傷中)
馬場亜紀
コメントありがとうございます。
団鬼六さん、娘さんには、自分は推理小説作家やと長い間言っていたそうです。でも家に鞭とか跨ったら痛そうな木馬などがあり、おかしいなと感づいていたようですが(笑)。
本当に、親だけじゃなく、自分の最期もどうするかはある程度決めておかないと。いつ病気になるかは分かりませんものね。そして急に宣告されても大丈夫なように、今の毎日を楽しく暮らすことが大切になってくるということですよね。
カラス様、めっちゃめちゃいい暮らしだと思われます!長くそうできるよう、健康に留意してがんばってくださいね!


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