2018. 05. 15  
はじめまして。私こと石田道雄。
ペンネイム まど・みちおでございます。
フダツキの アルツハイマの 前立腺の患者でございます。
トンチンカンばかり やりつづけています。
悪気は無いのですが、ついつい。 の
マンネリ ウダウダ書きバカリ ヤラカシマスガ、
不悪(あしからず)!

『百歳日記 (まど・みちお:著)』
です。



冒頭の言葉は、詩人・まどさんが新しいノートを使い始めるときに、
ノートへ挨拶をしている文章なのです。

立派な樹だったのに、こんなペラペラの紙にされちゃって、
おまけに僕にめちゃくちゃのでたらめばっかり書かれちゃって。
ごめんよ~、でもよろしく~。

こんな気持ちをこめているんですよねえ。

『百歳日記』とあるとおり、まどさんが百歳になり、入院中にノートに書いたこと、取材で語ったことをまとめた1冊です。



どこを読んでも本当に素晴らしく、
「ホンマにアルツハイマーなん?」って思ってしまうほどの感性。
とりわけ私が好きになったところを紹介しますね。


いのちっていう言葉を人間が持っていることは、救いのような気がします。
いのちという言葉があるおかげで涙を出すことができます。
その涙がしみじみとわが身をうるおしてくれるのです。

涙っていうのはいのちそのものだと思います。
涙はいのちの応援隊長かもしれません。


自分のまつげのところにはいつも虹がある。
涙が出さえすれば、まつげのところに小さな虹が出るのです。

涙というのは涙を出した本人にとっても身近なもので、本人が頼りにしているもので、最後の一滴のようなものです。

ああ、涙が持っている虹っていうのは素晴らしいですよ。




涙を流すことで、自分で虹を作りだせる。
すごい発想、想像力。
これが100歳の、入院中の、アルツハイマーだと言う人の言葉でしょうか。

泣くのっていまだに苦手で、恥ずかしいんですよね。

涙は隠しちゃいますが、そっと虹が出てるか確かめてみたいです。


まどさんは、歳をとれば五感は老いる。
耳は遠くなるし、目もあんまり見えなくなる。
だけど、感性が衰えることはない。
感性が五感を補ってくれるんだよ、とおっしゃるのです。

これはもう、自分が歳を重ねてみて確認するしかないですね。

最近はいろんな100歳のかたの本というのがいっぱいあります。
どれも100年の重みを感じる真っ当な言葉です。

『百歳日記』には、教訓とか堅苦しいものが一切ありません。
自分のことを「アルツのハイマちゃん」とおどけるユーモアに溢れていて。


100歳本の中で、一番大切にしたいと思える本なのでした。




最後のページは、まどさん流の終わり方でした。

   わすれません!
バイ バー イ
    ながなが
       サンキュー!


2014年、104歳で永眠されました。
まどさんといえば、童謡の「ぞうさん」とか、
♪しろやぎさんから お手紙ついた~
この歌の作詞もまどさんのもの。

私たちこそ、まどさんのことを忘れられないですね。



今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

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2018. 05. 14  
「こころ」はだれにも見えないけれど
「こころづかい」は見える
見えないけれど 
「思いやり」は だれにでも見える



この言葉は、東日本大震災後のAC広告で流れていた詩です。
今日紹介する詩人・宮澤章二の詩を元に作られたものでした。

詩集『行為の意味』です。



今回は、やりたいことがあるけど、一歩目を踏み出せていない。
エンジンをふかしているだけの状態にアクセルを踏ませてくれる詩を。



五月のかがやき

一日一日が まったく新しい出発
いまは ただ 鋭く前方を見つめるだけ
うしろ振り向く さびしい動作は
年老いてから身につければよいのだ

目が 一定の方向を指す行為を
<めざす>という
心が 一定の方向を指す行為を
<こころざす>という

めざす行為と こころざす行為とが
五月のかがやきの中で連動するとき
澄んだ若い目は 鷹の目になる
躍動する若い心は 走る清流の心になる

目と心に 明確な標的の薫る日こそ
生涯で いちばん美しい日だ




<めざす>と<こころざす>が連動するとき、清流の流れのように動き出せる。
かたっぽじゃ動けない。

<めざす>だけになりがちなのかな?と自分では思いました。
「目先」のものに捉われてしまってるかも。
本当にしたかったことって、なんだったっけ?

軌道修正すればいいんですよね。
このままいくと目的から大きくズレてしまいそうなので、
今、軌道修正しよう。


5月って、もうすぐ今年の半分が終わるころ。
美しい言葉に励まされて、仕切りなおしていきます。



この詩集は中学生に向けて作られた詩を集めています。
言葉を飾ろうとしないで、ストレートに心に訴えるものばかりです。

だからといって、「さあ、いくぜ!」と勇ましいものばかりじゃなく、こんな詩もあります。


怠けたい日には ちょっと怠けていい
後ろめたい思いなんか捨てていいんだよ
怠けながら力を蓄えることだってあるんだ

  (「人間として生きたい」を抜粋)


ずっとダッシュはできませんね。
怠ける心も受け入れる詩人の優しさに感謝です。


今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
震災CMに詩が使われた宮澤氏ですが、
平成17年3月11日に永眠されています。
これもなにかの縁なのでしょうか・・・。

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2018. 05. 01  
五月   室生犀星

悲しめるもののために
みどりかがやく
苦しみ生きむとするもののために
ああ みどりは輝く




悲しむ人を応援するために、緑はより一層輝きを増していく。
ため息という二酸化炭素を吸い込んで、
イキイキと生きるための酸素を与えてくれる。


やっと北海道にもみどりたちの活動が見られるようになりました。
桜が咲き始めました~♪

やっと~♪
たんぽぽも、チューリップも。
ちらほらと咲き出しました。


景色がとたんに変化しますね。
明るいんです。
紫外線が強くなっている事象もありますが。

「悲しい」の反対語は、「嬉しい」
みどりが嬉しい・喜ばしいことに気づかせてくれるんですね。


明るい・あったかいっていいもんですね。
みどりの力を頂いて、がんばっていこうと思う五月です。





今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

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2018. 04. 21  
時間は私たちを悲しがらせたり、うれしがらせたり、
懐かしい気持ちにさせたり・・・と、深く心を揺さぶるんだと思います。

  (『いわずにおれない』まど・みちお)




時間が私を悩ませています。
小学2年生の長男の算数。

最初の単元でつまづいているのです。
たとえばですね・・・

8時に家を出ました。
学校に8時15分に着きました。
何分歩きましたか?

給食を食べ始めたのは12時です。
家に帰ったのは3時20分です。
食べ始めから家に帰るまで、何時間何分ですか?


これが分からないのです。


時計を読めるのにわからない?
なんで?って思ったんですけど、

時間と時刻は違う、ということが分かっていない。
ということが分かりました。


けっこう難しいです。

子どもには、「今」しかないんですね。
今を一生懸命生きるのが上手やなあと思っていたんですが、
今しか知らないからなんですね。

去年のことを「昔はさあ~」なんて言ったりするのを聞くと、
なんて生意気な♪なんて感じるのですが、

ちょっと前のことも昔も、今じゃないってことが共通してて、
それしか分からないんですね~。

じゃあ、今しか分からないほうが毎日を真剣に、
時間を無駄にしないで生きられるのかなあ・・・


若い頃、僕の時間は未来へ向けて無限にあるように思えた。
今、僕は終末の時間から逆算する。
すると、人も風景も、そう、何もかもが違って見えてくる。
僕は、疾走する。

  (蜷川幸雄)


この想いが分かるようになりますよね。
終わりの時間にどの数字を当てはめるかは分かりませんが、
時間の逆算をして、今を大切にする。

これが大人のやりかた。
時刻が分かるだけだと、今しか存在しなくて。

時間は積み重なっていくもの、と理解することで、
思い出や未来を、
大切にできるものが増えるのかなとか想います。


感動せずにおれないのは、
限りあるいのちである私たちの出会いです。
無限の空間と永遠の時間の中で、
極微のひと粒が別のひと粒と同じ場所、同じ時にい合わせるなんて、
本当に奇跡のようなものでしょう?

   (まど・みちお)



ロマンティックになってる場合じゃなかった。
本当に分からないと困るのでした。

とりあえず、24時間を定規のようなメモリで表したものを使ったら、少し分かってきたみたいでした。

この定規みたいなものが時計やねん!っていうのが
子どもの頭の中では「?」なんですけどね。

針が同じ円をぐるぐる回ってるだけで、「時間がすすんでる」、というのが不思議でたまらないみたいです。

はじめて時計を作ろうと考えた人は天才ですね。
あの円と針とメモリだけで時間を表そうと思いついたのですから。



今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

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2018. 03. 11  
3月11日、まだ東日本大震災を忘れたくないので、
震災にちなんだ詩を載せたいと想います。

「大震災第一春の歌」  与謝野晶子


おお大地震と猛火
その急激な襲来にも
我我は堪へた。
一難また一難
何んでも来よ、
それを踏み越えて行く用意が
しかと何時でもある。

大自然のあきめくら、
見くびつてくれるな。
人間には備はつてゐる
刹那に永遠を見遠す目、
それから、上下左右へ
即座に方向転移の出来る
飛躍自在の魂。

(中略)

誰も昨日に囚はれるな、
我我の生活のみづみづしい絵を
塗りの剥げた額縁に入れるな。
手は断えず一から図を引け。
トタンと荒木の柱との間に、
汗と破格の歌とを以て、
かんかんと槌の音を響かせよ。

(中略)

新しく生きる者に
日は常に元日、
時は常に春。
百の禍も何ぞ、
千の戦で勝たう。
おお窓毎に裸の太陽、
軒毎に雪の解けるしづく。




与謝野晶子が、関東大震災のあとに歌ったものです。
1923年に発生した大震災、95年前かァ、大昔ですねえ。

このときの被災者約190万人。
死者は10万人を超えたと記録に残っています。


首都でこれだけの被害、その後の風評被害や、
物資が行き渡らないために餓死者も多かったなど、
あのときも地獄のようだったんじゃないかと想像します。


それでも、この詩の力強さには圧倒されますね。
情熱の人らしく、「闘って勝つ!」と宣言しています。
これくらいの気丈がなければ乗り越えられなかったのかも。


今の時代もいつ天災が起こるか、どこで起こるのかわからないですが、
支援や復興技術などは格段に良くなりました。
餓死者続出なんてこともないですしね。

月日とともに悲しみは薄れていってしかるべき。
だけど、あのときの政府の対応や放射能へのあやふやな情報による風評被害、
「絆」というスローガンのもと、単身者が負担を強いられたり、肩身の狭い思いをしたなんてこともあったということを最近になって知ったりして。
忘れてはいけないことがある、そういう震災だったと想います。



日は常に元日、
時は常に春。


やる気が満ち溢れてくる言葉です。
イヤなことから目をそむけず、新しい未来を創っていきたいです。




『地震と独身(酒井順子:著)』
被災地に住む独身(主に親と離れて暮らしている20~40代)のかたたちを取材したルポ風エッセイ。
「絆」を盾にされたら黙るしかなかった状況がわかりました。


今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

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プロフィール

馬場亜紀

Author:馬場亜紀
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看護師免許をもっていますが、今は保育の仕事をしています。自身の子育ても真っ最中。
くわしくは「自己紹介」をご覧いただければ嬉しいです。
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