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2017. 08. 31  
世界はうつくしい   長田弘


うつくしいものの話をしよう。
いつからだろう。ふと気がつくと、
うつくしいということばを、ためらわず
口にすることを、誰もしなくなった。
そうしてわたしたちの会話は貧しくなった。
うつくしいものをうつくしいと言おう。




長田弘氏の詩集、『世界はうつくしいと』の中の一編、「世界はうつくしい」の冒頭です。




懐かしいことを思い出しました。
私は20代のころ、ホテルの客室清掃のバイトをしていました。
そこのベテランパートのおばちゃんの一人が、「うつくしい」を口に出せる人だったんです。


客室清掃は、清掃だけじゃなく、バスルームで使うタオルの用意もします。
タオルに染みや汚れがないかをチェックし、畳みなおしてセットします。


そのおばちゃんはタオルの汚れをチェックする際、
汚れを見つけたら
「うつくしくない!」と新しいタオルと換えて、その新しいタオルをチェックし、
「よし、これはうつくしい!」と言ってたんです。


私はそれを見ると、
「大げさやなぁ、”汚れてる”とかでエエんちゃうの?」と思ってました。


休憩時間の雑談のなかでも、そのおばちゃんは好きな小説家のことを、
「あの人の文章はうつくしい!だから素晴らしいのよ」と表現してましたね・・・。

さらりと「うつくしい」を日常で使っていたあのおばちゃん、
誰よりも速くうつくしく客室を整えていました。
貴重なお方でした。


自分がいかに「うつくしい」という言葉を口にしていないか。


ほんっとに、「うつくしい」という言葉を言ってません。
せいぜい、
「きれい」です。


うつくしいと感じていないから言葉が出てこなくなったのかな・・・。


詩人は、
風のにおい
雲の影
なにげない挨拶
雨の日の家の屋根の色
過ぎてゆく季節
さらりと老いてゆく人の姿・・・こういったものを「うつくしい」と言っています。


地球には「うつくしい」ものがいっぱいあるし、それらを見ていこう。
そんなふうに思います。


詩の最後の数行を紹介して終わりにします。


一体、ニュースとよばれる日々の破片が、
わたしたちの歴史と言うようなものだろうか。
あざやかな毎日こそ、わたしたちの価値だ。
うつくしいものをうつくしいと言おう。
幼い猫とあそぶ一刻はうつくしいと。
シュロの枝を燃やして、灰にして、撒く。
何一つ永遠なんてなく、いつか
すべて塵にかえるのだから、世界はうつくしいと。






今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
街路樹が少し色づいてきています。
もうすぐ、秋のうつくしい景色でいっぱいになりますね。

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2017. 08. 30  
ありえなくありのままです僕たちをどうぞよろしくお願いします




『どうぞよろしくお願いします(枡野浩一:編)』より。
短歌集です。
短歌って、五・七・五・七・七で構成されますよね。
最後の七・七を、すべて「どうぞよろしくお願いします」と決めた遊びの短歌ばかりを集めた本です。


ことば遊びと、少し遊び心のある写真とで作られた本、
ここではいくつかの短歌を紹介したいと思います。
*ここで掲載した写真は本と関係ありません



ああぼくは虹もくじらもわかりません どうぞよろしくお願いします




レシーブもサーブもトスもできません どうぞよろしくお願いします




水滴の数だけ孤独になりました どうぞよろしくお願いします




年月を砂に変えうる装置です どうぞよろしくお願いします




しあわせになっていきそうこの場所で どうぞよろしくお願いします



さようなら似たような日々あすからも どうぞよろしくお願いします



五・七・五 だけでも、いろんな感情を込めることができるんだなあ。
遊びだからなんでもいい、ダメなものなんてないですしね。

いつも短く書きたいと願う私でした・・・。




最後まで読んでくださりありがとう どうぞよろしくお願いします
もう9月今年もあと4ヶ月 どうぞよろしくお願いします
コメント欄今日は閉じますごめんなさい どうぞよろしくお願いします

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2017. 08. 29  
手品やマジックって好きですか?
私は見る専門で、好きと言えます。

子どものころはテレビにマギー司郎やゼンジー北京が出てくるたびに笑いました。
あのしゃべりが面白いんですよね~。
お笑いなのかマジシャンなのか(笑)。

昭和の香りただようマジシャンの一人(一組)、「マジック・ナポレオンズ」はちょっとセンスが違う笑いがあったように思います。
必ず最後は大技でピシッと締める。



そんなナポレオンズのパルト小石さんのエッセイにほろっとしました。
全文載せることはできないので、抜粋して紹介します。



「今年のお盆も、帰れなかった」

故郷には95歳になる父と、姉2人がいる。
どうやら皆、元気に過ごしているようだが。

親孝行もできずに、母を見送ってしまった。

母に何か欲しいか、聞いたことはある。
しかし母の返事は、
「なぁんも、いらんよ。
欲しいもの、別にあらへんなぁ」



今になって、父母は私の人生に
何を望んでいたのだろうかと考えたりする。


結局は、
「子供には、ちゃんと食べさせ・・・
子供には、しっかりと教育を・・・
子供には、いい人生を・・・」
そんなことだけを考えてくれていたに違いないと、
今更ながら勝手に推測するばかり。


私も不肖の息子ながら、
「母の人生は、満足のいくものだったに違いない。
まだ私が小さかったころは、なんだかんだぼやく母ではあったけれど、
晩年は幸せだったよね、きっと」

「父ともまるで話せないままだから分からないけれど、
私の来し方を認めてくれてるし、行く末も案じていないよね」

そう思っては、いる。いや、そう思いたい。


私の最近のステージでのしゃべり始めは、
「まだやっているナポレオンズです。今年で結成40周年、すごいです。
何がすごいかって、大した芸もないのに40年、やってこれたんですから」


久しぶりに帰って、父にも伝えてみようか。
「まだ不肖の息子です。なんと今年で親子関係65周年、すごいです。
何がすごいかって、大したお返しもしないのに、やってこれたんですから」




私の想い、すべてが言葉にされているように感じて、泣けてきました。
お盆に帰らなかったし、
去年までは、夏に両親が北海道に来て数日を温泉で過ごしたり遊んだりしていたけれど、
「もう、しんどいわ、行かれへんな」
父の言葉どおり、この1年なんども入院してて、
いつ会えなくなるか、時間の問題なのに
「まだ大丈夫なはず」と自分に言い聞かせている自分がいて・・・。


大したお返しも・・・どころか、なんにもお返しできないけれど、
心配させることなく、私が幸せにしていればそれでいいんだと思うことにしています。


冬には、会いにいく。
だから冬が待ち遠しいです。


こんな気持ちを確認させてくれた小石さんのエッセイには魔法がかかっているなぁ。


「ほぼ日」サイトで連載されているエッセイをまとめた単行本です。
この記事のエッセイは8月27日の「ほぼ日」に掲載された分です。



「パルト小石」さんはどっちなの?って。
2番目に背の高い人です。
40年やっていらっしゃるのか~、ずっとずっと頑張ってほしいですね。






今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
会えるうちに会っておくほうがいいんだよねえ。

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2017. 08. 28  
八月の終わり


もうあきらめていた夏が
もう一度力をとりもどした
夏はしだいに短くなる日に濃縮されたように輝き
雲ひとつない空に灼熱の太陽を誇らかに示す

そのように人間もその努力の終わりに
失望してすでに身を引いたのに
突然もう一度大波に身をゆだねて
命の残りを賭けて跳躍してみることがあろう

恋に身をやつすにせよ
遅まきの仕事を始めるにせよ
彼の行為と欲望の中に終末についての
秋のように澄んだ深い自覚が響きわたる




『人は成熟するにつれて若くなる(ヘルマン・ヘッセ:著)』のなかの詩です。



「老いてゆく中で
若さを保つことや善をなすことはやさしい
すべての卑劣なことから遠ざかっていることも
だが心臓の鼓動が衰えてもなお微笑むこと
それは学ばれなくてはならない」


老いることへの知恵がつまった、賢者からの贈り物のような本です。


老いても恋に身をやつす・・・。
文豪・ゲーテも、82歳で最期に遺した言葉は
「光を・・・もっと光を・・・」ですが、

この言葉が意味するところは、女性を見たかったということだそうです。
いくつになっても・・・ですね。


つい先日、79歳の自治会長が児童買春の容疑で逮捕されていましたね。
あれも老いても・・・の姿でしょうが、
やはり、「澄んだ深い自覚」が必要だったよね~としみじみ思います。


今一度、命を賭けて跳躍してみることがあるのが人生なんでしょうが、
こう思うと、退屈きわまりない平々凡々で終われる人生が
なんと得難いことかと感じます。





今日も最後まで読んでくださってありがとうございます!

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2017. 08. 27  
障がい者だからって、なんでも「ありがとう」って言わなきゃいけないの?




帯コピーに魅かれて手にとった本です。
中学校の読書感想文課題図書に指定されているようです。

そういう本って、説教臭くて面白いものがあまりないんですよね・・・。
でも「なんでも『ありがとう』って言わなきゃいけないの?」という問いに興味が出ました。



生まれつき両足と左手にマヒがあり、車椅子で生活している12歳の少年・テオ。
家族の負担が大きくなってしまうため、施設で生活しています。


施設の職員に着替えや食事、入浴の介助をしてもらっています。
そんな毎日が当たり前だったんですが、ある日思ったのです。


なんで頼んでもいないことにまで『ありがとう』って言ってるんだろう?
おかしくない?
ボクは好きで障がいをもって生まれたんじゃないのに。
障がいがなければ言わなくていい『ありがとう』がいっぱいじゃん!



そこでテオは、なにをしてもらっても「ありがとう」と言わないことにしてみました。

でもこのやりかたはうまくいかなかった。
みんなの機嫌を損ねただけだったし、テオ自身も居心地が悪かった(笑)。


次にどうしたか。

「ありがとう」を言う回数より、
「ありがとう」と言われる回数を多くしよう
と考えたのです。



してもらって当たり前だったことを、自分でやろうとしました。
そうするとお礼を言う回数を減らすことができます。

それだけでも大進歩、「自立」を始めたんです。
さらにもう一歩、がんばります。

両足と左手のマヒがあってもできる、「お手伝い」を始めました。


施設で暮らしているので、自分より年下の子もいます。
その子たちにやってあげられることが意外と多いことに気づいたんです。


テオの自立にちょっと感動です。
これだけだと説教臭いですね。
おもしろいところが出てきます。


テオ、疲れてしまいます(はりきりすぎた笑)。


そうすると、「ありがとう」にケチになっていったんです。
疲れてお手伝いがあまりできない日は、「ありがとう」をもらえません。

するとそんな日は、自分から「ありがとう」を言いたくなくなっているのです。


もらう「ありがとう」と、言う「ありがとう」の数を数えているテオ。
(だから、「ありがとう」ノートなんです。ノートに記録してる)



こういう、少しけちんぼの気持ちになることって、自分にもあるよな~って思ったんですよね。
数えたりはしませんが(笑)
「なんで自分ばっかり・・・」なんて気持ちがね。特に昔はよくあったと思う。

疲れてると、人に親切にできなくなる。
それは障がいがあってもなくても一緒なんですよね。


著者自身、障がいを持つお子さんがいらっしゃるそうです。
同じ障がいの設定かどうかは分かりませんが、テオが生き生きと表現されています。



してもらったんだから「ありがとう」を言うのが当たり前。
そのことに疑問をもつこと。


実は自分がちょっとがんばれば出来ることをやらないで、
やってもらっていることがあるんじゃないの?って考えること。


自分が「ありがとう」と言ってもらうにはどうしたらいいのか考えること。

「ありがとう」って言わない人に、ムカ(イラ!)としている自分はいないか。
相手のしてほしいことをやっていないのに「ありがとう」を求めているんじゃ?とか。


中学生用に指定された本ですが、読んでよかったと思えました。




今日も最後まで読んでくださってありがとうございます!
この本、読書感想文書きやすいです。

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2017. 08. 26  
清と濁


世の中は澄むと濁るで大違い
刷毛に毛があり 禿に毛がなし

世の中は澄むと濁るで大違い
福に徳あり 河豚に毒あり

世の中は澄むと濁るで大違い
人は茶をのみ 蛇(ぢゃ)は人をのむ


   『食前食後(池田弥三郎:著)』




世の中は澄むと濁るのちがいにて、
キスは甘いし、疵は痛いし

世の中は澄むと濁るのちがいにて、
旗はヒラヒラ、肌はチラチラ

世の中は澄むと濁るのちがいにて、
ためになる人、だめになる人

世の中は澄むと濁るのちがいにて、
菓子は食いたし、餓死は食えない


   『ことば遊びの楽しみ(阿刀田高:著)』





濁点のあるなしでこんなに違う。
面白いですよね。



キラキラした人に憧れても、
ギラギラした人に憧れない(笑)。



言葉遊びばかりですね(=∀=)。
今年の8月は「夏はどこにいったの?」というほどの天候続きでしたが、
今また暑さが戻ってきましたね。

こうなると、「夏バテ」も戻ってきそうなんですが、
この濁点を取ると、
「ナツハテ」=「夏果て」という、晩夏をあらわす季語になります。


濁音有利の状況かもしれませんが、
もうすぐ清音が静かにやってきます。
それまで出来るだけゆったりいきましょうね。


今日も最後まで読んでくださってありがとうございます!
今回の記事は、『名文どろぼう』より引用しました。




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2017. 08. 25  
「働くっていうのはね、ハタ(傍・周囲)をラク(楽)にさせること」


はじめてこの言葉を知ったときは、
「うわ~、いいこと知ったな、良かったな」と思いました。


でももしも、
イヤミったらしい上司から
「あ~キミキミ、働くというのはだよ、傍をラクにさせることなんだからね・・・」と
ねちねち言われたら、反発したくなります(なりません?)。


そんなときはこう言い返します(もしくは心の中だけで)。

「ジダラク(自堕落)のほうが、自他ともに楽になるから一層よいのではないか」
   (『哲学講義とその逸脱(田中美知太郎:著)』)



自堕落が、自他・楽。
うまいこと言いますね~。


今日は自堕落がぴったりの日です。
え?


やだな、プレミアムフライデーでしょ?

みんな月に一回くらい、パアッと散財しましょうよ!って日ですよね。
自堕落でいきましょう!
・・・もう蒸し返さないほうがいいでしょうか。



イヤな人が言ういい言葉も、いい言葉に聴こえたら一番いいですね(笑)。




今回のお話は、『名文どろぼう(竹内正明:著)』より引用しました。




今日も最後までありがとうございます!
一応、プレミアムフライデーにちなんだ企画を行うサービス業もあるようなので、
利用できたらお得かもしれませんね。ウチはまったく部外者ですが。

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2017. 08. 24  
昨日、いいもの見させてもらいました。

長男(小1)の同級生が遊びに来たんです。
その子(Lくん)、すごく子どもらしい子でおもしろいんですよね。

長男たちが遊んでいるところにあとからやってきて、

「ボクも遊びに、いーれーて!
いれてくれなきゃ、強盗しちゃうゾ~」
なんて言う子です。

勉強は苦手っぽいけどね。


で、Lくん、私がおやつの用意をしている台所に一人でやってきて、

「なにかお手伝いすることありますか?」って訊いてきたんです。



「え?いや、ないよ、ない。ありがとう。遊んで待ってて」って答えた私ですが。
感動したんですよね。
こんなこと言えるの!?って。

顔を合わせるのはしょっちゅうですが、ウチに来たのはまだ2回目か3回目くらい。
今まで他の子で「お手伝いすることありますか」なんて言ってきた子もいません。

おそらく、ウチの長男も他所のおウチに行って言わないと思います。


Lくん、すごいな~。
いやいや、これは親のしつけがいいんだろうな~。
しつけっていうより、親と他所のおウチにお邪魔したとき、
親が「手伝いますよ」って言ってるのをちゃんと見てるんだろうな~。



手が空いて、思わず茨木のり子さんの詩を読み直してしまいました。


自分の感受性くらい


ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

(中略)

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ





たまに、こうして叱ってもらいたくなります。
私もまだまだ子どものお手本になるのりしろがたっぷりありそう。
子どもにしつける前に、自分がしっかりしてないとね。



詩集としては異例の10万部以上の大ベストセラーになりました。



今日も最後までありがとうございます!
いい友だちがいてくれて、ありがたいです。

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2017. 08. 23  
見てくれだけ良いリンゴと、見てくれは悪いけど、中身は美味い。
どっちのリンゴを食べたいかな。




『5分で涙があふれて止まらないお話(志賀内泰弘:著)』を読みました。



連作短編集です。
駅から稲荷神社の間にある商店街を舞台に物語は展開します。


そのなかに、「傷ついたリンゴのほうが美味しい」というお話があります。


スポーツ特待生として高校に入ったマサルが、ケガのため自分の居場所をなくし退学します。
八百屋を営むおじいちゃんに、何もせずぶらぶらしている自分になぜ何も叱ったりしないのか尋ねます。


するとおじいちゃんは、ひとつのリンゴを手にしてこう言うのです。

「おまえはこの傷のついたリンゴと同じやな」と。


マサルはびくっとします。
「売り物にもならん、オレはそんなもんなんか・・・」


続けておじいちゃんは言いました。

「傷がつくとな、リンゴは自らその傷を治そうとする。
それも、早く、早く治そうってな。
するとな、なぜだかわからんがな、リンゴの糖度がグッと上がるんじゃ。

見てくれだけ良いリンゴと、見てくれは悪いけど、中身は美味い。
マサルはどっちのリンゴを食べたいかな」




傷のついたリンゴは甘くなる。
事実だそうです。

リンゴに傷がつくと、エチレンという成長促進ホルモンが多く出て、
甘味が増すとか。

バナナやキウイを、リンゴと一緒に保管すると熟すのが早くなるのも同じ作用です。


今年の夏は、雹の被害が出ましたよね。
それと同じようなことが、2014年の青森県でも起こっていたそうです。


雹に当たったリンゴは穴が空いたり傷がついたり。
とても普通に出荷できるようなものではなかった。
被害はあったものの、規模としては「災害」というほどではなかったため、
補助金や補償金はまったく出なかったそうです。


売ることもできず、
保管するにも廃棄するにもお金がかかる。


その状況で農家の人たちは、
「そうだ!傷があるほうが美味いってことをアピールして売ってみよう」


こう思いつき、「雹kissリンゴ」キャンペーンとしてイベント販売。
売れ行きは好調だったそうです。


知らないですもんね、私たち。
傷のあるほうが美味しいなんて。
あまり売られてもいないし。


でも私たちだって、人に贈るならアレだけど、
自分で食べるなら、傷があったって美味しいほうがいい。
それが高くないなら本当にありがたいですよね。


そろそろサ、スーパーとかの野菜仕入れ担当の人もやってほしいですね、
傷があっても美味しいリンゴとか、曲がったキュウリとかを売ることを。


本当に美味しいものを売ってほしい、そしたら買うんだから!



・・・話を物語に戻しましょうか。
マサルは高校時代の先生に再会しました。
その先生はマサルが悩んでいるときに冷たいことを言ってしまったことを悔やんでいました。


「先生、俺、傷物で良かったな~って思ったんだ」


マサルは先生に今の自分の心境を語ります。


「じいちゃんに教えてもらったんですよ。傷がついたリンゴのほうが美味しいんだって。
傷がつくと、リンゴはその傷を治そうとする。
するとリンゴの糖度が上がるそうなんです。

つまり、失敗したり苦労したりして、人間も傷を負った奴のほうが、
最後は強くなれるし、人にもやさしくなれるって話です」



「傷リンゴはさ、傷を治そう治そうって努力して糖度を上げるんだよな。
俺も、他人のせいにして愚痴なんて言ってないで、自分で努力しなけりゃな」



傷ついたことのある人は、人の痛みがわかるようになる。


よくいわれますが、これも、
わかるようになろうとしたからこそ、わかる。

わかろうとしなかったら、傷ついても人の傷には気づかない。


ここまで教わることができました。



人生すべて塞翁が馬
不幸と思える出来事が目の前に起きたとしても、
その先には幸せが待っていてくれるかもしれない。
影から光が輝く連作短編集です。




今日もありがとうございます。

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2017. 08. 22  
先日亡くなられた日野原重明先生の追悼コーナーが、
本屋さんや図書館で見られます。

そのとき、目に入った本がこちらでした。



『10月4日104歳104句』

鮮やかなポップカラーの表紙。
一瞬、「アンディ・ウォーホルのマリリン・モンロー?」と見まごう写真。
よく見ると、ニコニコ顔の日野原先生。


98歳で俳句を始め、
偶然「104」という数字が重なったため、記念に出版された句集です。


1発目に掲載されてる句に笑いました。



百三歳
  おばけでなくて
     ほんものだよ



お茶目たっぷりの先生、大好きです!

さまざまな気持ちを俳句に込めて作られているのがよくわかるこの句集。
その中で、これは先生の夢だろうな、という句を。


恕すこと
   相手を友とし
       世界平和



恕す

ふりがながなかったら読めませんでした。
「ゆるす」と読むのです。


意味は、「許す」よりもっと深い、
「相手を思いやって、ゆるす」


この句にちなんだメッセージがありました。
2005年、ヒロシマから、「世界におくる平和のメッセージ」と冠したイベント。
そのイベントは日野原先生と、指揮者の小沢征爾氏の発案から実現しました。

日野原先生が朗読されたメッセージを紹介させてください。



そうだ
君は知るか

愛の衣には恕しと思いやりが
裏地に仕立てられていることを

相手の誤ちを恕した上で
自らの誤ちも恕されることを祈り
愛の衣の中で共に抱きあえる日を静かに待とう

少年少女たちよ
この美しい地球上に咲く花や草や木を
もっともっと愛そう

鎮魂と平和の祈りを

恕しと愛に支えられた真の平和を




本当の世界平和がたやすく実現しないことは分かっています。
私が生きているうちには実現しないということも。


しかしです、
実現しないからと、世界平和を願うことをやめるのはおかしいはず。
願うことはやめたらダメだと思うのです。


きれいごとだと知りつつ、
そのきれいごとに現実が近づくよう、
何かできることがないのか、一人ひとりが考える。
それが大切なんだと思います。

なので、当ブログもまだきれいごとを書き続けます。(話、それましたね)


最後に、日野原先生から若者へのメッセージ句を紹介して終わります。


若者の
   背を押し出して
      GO と叫べ



何歳なら若いと言えるんでしょう。
私は、自分より10歳若かったら全員若いと思ってます。
日野原先生もそんな感覚だったとしたら、
今生きてる人のほとんどは、「若者」です。

GO!


 

似てるでしょ?


今日もありがとうございます。

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プロフィール

馬場亜紀

Author:馬場亜紀
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本の中の心に刺さる一文をご紹介いたします。
看護師免許をもっていますが、今は保育の仕事をしています。自身の子育ても真っ最中。
くわしくは「自己紹介」をご覧いただければ嬉しいです。
どうぞよろしくお願いします☆

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