2017. 09. 30  
立派なあったりまえより、くーだらない大発見!


今週はちょっとがんばって働いた。疲れたなァ・・・
(授業参観で人の多いところに行ったりしたのも疲れの原因)

なのでなにも考えずに笑って読んでいられるものに手を出しました。
(いい言葉、ナシです)


『ことわざおじさん(山口タオ:著)』です。



ことわざおじさんの定義

ことわざのもじりを専門的に行うナイスミドルをさす。
楽天的、かつ協調性豊かな性向ゆえ、家庭や職場の人間関係はおおむね順調だが、独自のユーモアセンスが周囲を困惑させることも。



いくつかパロディことわざを紹介します。
( )内は元のことわざ・その意味です。


ターザンの医師(他山の石)
見かけは頼もしいが
(他人の言動など、他の事柄を自分の参考にして役立てること)


泥棒とらえて縄、なう(泥棒とらえて縄を綯う)
お手柄をツイッターで生中継
(事前の準備を怠って、事が起こってからあわてて対策を立てる)


チューすれば、通す(窮すれば通ず)
わかりやすいセクハラ上司
(行き詰ったときこそ、かえって苦痛を打開する道が開けるものだ)


好き、とすっぽんぽん(月とすっぽん)
大胆な告白
(二つのものが比べ物にならないほど違っている様子)


鬼姫、プー太郎(一姫二太郎)
子育て大失敗
(子どもは最初が女の子、二番目が男の子だと育てやすい)


マイケルが家事(負けるが勝ち)
アメリカ人主夫
(ムリに争うより、相手に勝ちを譲ったほうが結果は得になる)


ミゲルが家事(逃げるが勝ち)
ドイツ人主夫
(勝ち目のない争いは、避けて逃げるのが一番得だ)


ちょうだい、もっとください(灯台下暗し)
図々しいぞ
(身近なことはかえって気がつかない)


変態の旅行好き(下手の横好き)
あっちこっち行くな!
(下手なくせに好きで熱心な様子)



二党を追う者は一党をも得ず(二兎を追う者は一兎をも得ず)
渡り議員への戒め
(同時に二つのことを欲張っても、どちらもうまくいかないたとえ)


都知事が蛮人(一事が万事)
首都、あやうし
(ひとつのことを見れば、ほかのすべてのことも想像がつく)


府知事がバンビ(一事が万事)
これからは、ゆるキャラですねん
(上記に同じ)




くっだらないです。
マイケルやミゲルが主夫だからって、なんやねんって。
でもクスクス笑ってしまったんですよね。


その割には、最後の3つなどはこのご時世にぴったりに感じたり。
大阪府知事、ゆるキャラっぽい人いたな~。
そっか、「ゆるキャラ」と宣言してしまえば勝ちだったんだ(笑)。

都知事は・・・都知事・・・蛮行だけは避けてくださいませ。
とりあえず、選挙は行こう。


あなどれない、ことわざおじさん。


黒い腕抜きしたおじさん、今も健在なんでしょうか?
全てのページにカラーイラストがあって、そのイラストがまたいいんですよ。



今日も最後まで読んでくださってありがとうございました

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2017. 09. 29  
「人間は1日に9千回の選択をしている」




『フォルトゥナの瞳(百田尚樹:著)』を読みました。

フォルトゥナ」とは、ローマ神話に出てくる、球に乗った運命の女神。人間の運命が見える、とされる女神です。
こんな話を聴いたことはありませんか。
チャンスの女神の髪は前しか生えていなくて、後頭部はハゲている。だから・・・」というの。
あの女神がフォルトゥナだそうです。


人間の「死」が見える能力を持つ主人公のお話です。

ジャンルとしてはSFになるそうですが・・・
それよりも、「バタフライ効果」がすごく印象的でした。



バタフライ効果


北京で1匹の蝶が羽ばたくと、ニューヨークで嵐が起こる。
アマゾンを舞う1匹の蝶の羽ばたきで、遠く離れたシカゴに大雨が降る。


こんな、「予測できない現象」を扱う理論の一種。


この行動が一体どこでどんな風に影響を与えるのか?ってこと。
小説のなかで、1人の男を見かけます。
死が近い人は透けて見えるのです。
その男は顔も見えない、もう数時間後に死が迫っていることが分かりました。


死が分かる男が通りすがりに、空き缶を蹴りました。
透けていた男がパッと振り向き、その瞬間、男の全身が見えるようになったのです。


一瞬の振り向きで、男の運命が変わった。
空き缶を蹴った人は一人の人間を助けた気持ちになっていたんです。

しかし、死が遠のいた男は半年後、1人の女性を殺害しました。


空き缶を蹴らなければ、その女性は殺されることはなかったのです。



ちょっとのことで後のちに大きな影響が出る、思わぬ事態になる。
こういうのってあるはずだ、と思ったのです。


私は普段、車の運転をします。
今までどうにか事故にあわずに済んでいます。

その一つには、ムリして黄色信号を突っ切ったり、歩行者より先に左折しようとしたりしなかったことも幸運につながっているんじゃないかと。
自分の運転技術や判断力はだいたい分かっています。
私はヘタなんです。
だから歩行者や他の車を優先させます。
「頼みますから、先に行ってください」って感じ。


そこをムリして急いだり、他の人を押しのけてぐいぐい行くその先に、
いいことがあるようには思えないんですよね~。


時速1キロの違いで、先に起こる出来事が変わってくるかもしれない。
歩くときも同じです。
車にはねられる、1秒遅く家を出ていたらその車と出会わなかったかもしれない。


人は1日に9千回の選択をしている。


その行動の先がどうなるか誰にも分からないからこそ、
安易な選択を続けていくことにちょっと危機感を持っていたい。
そんな風に思いました。




自己犠牲」が本当のテーマかもしれません。
人の死を回避させたい。しかしそれをすると自分の命が削られていく。
(人の運命を変える行動をとるたびに、心臓や血管が傷ついていっているのです)

自分の幸せを守るには自分の命を削る行動をとっていられない。
それはずるいんじゃないか?
自分は生きてあの人は死んでもかまわないっていうのか?


人の死が見える「フォルトゥナの瞳」を持つ苦悩に、
読んでるこちらもあっちこっちに引きずり回されるような、とても疲れた小説でした。
でも、読み応えありました~。

小説のなかの一文で終わります。

「死んでほしくないと願う人がいない人生こそ、最も寂しい人生」





今日も最後まで読んでくださってありがとうございました

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2017. 09. 28  
お行儀のよい言葉遣いをされることがそんなに嬉しいか?




正しい日本語、とか、美しい日本語、とか、こんな日本語知ってる?的な書籍。

いっぱい出てますね。
そして、面白いです。
楽しくて、しかも教養が身につきそうで(つかないけどね)。


そういった類の本かなあと思って読んだのが、
『金田一秀穂の 心地よい日本語』です。



雑誌『毎日が発見』で連載されていたものを単行本化。


想像以上の面白さでした。
正しさや美しさを教えてくれるものではなかったんです。


まえがきにシビれました。



正しい日本語とか、美しい日本語とか、いいんだけど、
一番大切なことは、
「心地よい」ことなんじゃないかな


お行儀のいい言葉遣いをされることが、
そんなに嬉しいか?


必死になって発した、心のこもった言葉は、
たとえ敬語のルールに従ってなくても
心を動かされるじゃない?

通じないのは困るけど、
何より
お互い気持ちのいいことが大切でしょ





ということで、取り上げている言葉たちも
いわゆる「乱れた日本語」もあります。

そのうちの1つを紹介します。



っす

「これ、やばいっす
「あいつ、きもいっす


若い男性が使っているイメージがありますね。

はっきり覚えているのは、
いかりや長介さんの
「おいーっす!」

挨拶に気合を入れる言葉としての
「っす」



でも
「やばいっす」のつかい方はちょっと違いますね。

実は、
新しい敬語です、と解説されているのです。


どういうこと?なんですが、
「っす」は、「です」を省略しているだけなんだそうっす(こういうことですよね)。


そして、この「っす」は、
すごい目上の人には使われません

社会人1年生が、自分の勤める社長につかう言葉ではないのです。


仲間に近い、少し年上の人に使います

でも
「やばいです」「きもいです」は、落ち着きが悪い。
だから、「っす」。



しかし、「です」の代わりだけでは、ない。

「オレ、腹へってるっす。だからガッツリ食べちゃうっす」

です」は、動詞にくっつかないのです
「腹へってるです」
「食べるです」


たしかにこういうふうには言わないですね!
日本語がたどたどしい中国人みたい。
日本語って、複雑~、と、ここでも思います。


「っす」は、謙譲語として使われているのです。
「ございます」「いたします」の代わりになっている



謙譲の美徳が、若い男性の間で復活していた(笑)。


今の若い女の子も、言葉遣いはすさまじいけど、
「っす」も、普通に使ってるのかな?
わかんないっす!!



「言葉って変わっていくものなんですよ」、と金田一先生。
正しく遺していくことも意義があるけれど、変わっていくものを変わらないままにすることは無理がある。
それならば、乱れた言葉のどこがどうなっているのか分析して、説明できるものにすることで、
理解していけることが増えるんだと思いました。

「っす」が敬語の代わりをはたしているなんて思ってもいませんでしたしね。
許されるのはお相撲さんだけかと(笑)。


パッと流行して、あっという間に廃れる言葉も多いですから。
あんまり目くじら立てて、
「その使いかた間違ってる!」といきり立たなくてもいいんじゃないかと。

正しい日本語がなくなっていく原因の一つは、大人が使わなく(言わなく)なってることもあるんだから。
どちらかと言えば、若者言葉に大人が影響を受けてマネするほうが多い気がしますよね。


「心地よい」を基準にした日本語。
ユーモアで切り開いていきたいです。






今日も最後まで読んでくださってありがとうございました

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2017. 09. 27  
子供たちが毎日を楽しく生きているかどうか。
それが平和かどうかということです。
  (永六輔)




今回は日記です。前日に長男(小学1年生)の授業参観に行ってきたことを。

私が学生のころは授業参観といえば、1時間のみ。
しかし長男の学校、今回は2時間目・3時間目が参観対象でした。
おまけに、どのクラス・どの学年を参観してもいいという。

おお~、今ってそんな取り組みもしてるんだ~。
次男(3歳)を連れて行くから、退屈してきたら他のクラスを覗きにいこう。

なんて思惑は大きく外れてしまうんですが・・・。



2時間目・体育(体育館で1年生全体授業)


何するんだろ?って思ってたんだけど、ミニ運動会というか。
競走はしないけれど、順番に並んで、
「ピッ!」の笛の合図で黄色の線まで走ったら、次はゴールまでサイドステップ。

次の種目は低いハードルをジャンプで越えて、スキップ。などなど。
「からだのつかいかた」を目的とした授業内容。


6月の運動会のときよりスムーズに事が進んでいる感じ。
子どもたち成長してるな~と微笑ましく楽しませてもらいました。



3時間目・せいかつ


この授業こそ、「何すんの?」って思ってたんですけど。
夏休みの間、子どもたちは家で自分のアサガオを育てていました。
2学期に学校にアサガオを持って行き、今では花も終わり、種も採取したようです。

その記録を、「あさがお日記」として残しましょう。

まずは、表紙に折り紙でアサガオを作って貼り、
「あさがおにっき」と書いて、好きな色を塗ったりしよう!


こんな目的の授業です。


しかし、男子ほぼ全員、折り紙ができない(笑)。


先生が前で「こうして、次はこうやって・・・」と見本を見せながらやっていく。
工程3つ目くらいから

「せんせー、わかんな~い!」
「みえな~い!」
「ねえねえ、どうやんの~!?」

あっちこっちから声があがり、先生は順々に見てあげていってる。

けど、子ども32人。
女子の半数は自分でさっさとやれているけれど、残りは大騒ぎ。


だんだん先生も、
「イスにちゃんと座ってないからできないんでしょー!?」
「もう知らないよ~!できないよ、自分のやりかたでやろうとしたって!」と少しイライラモード。

アサガオの仕上げに少しハサミで切る作業もあるんですが、
「先生・・・指切っちゃった・・・(出血・半べそ)」という子も出てくる。

先生、手当て。
先生、折り紙教えにまわる。


どうしたって1時間で表紙が出来上がるどころか、アサガオ一つ仕上がらないペース。
見かねたお母さんたちが、近くの子どもにそっと教え始めました。
私も思わず・・・「あんな、ここはこうやって」と口出ししてしまい。


アサガオ3つ作る予定も、3つ目が仕上がらずに3時間目終了。

先生、小さな声で、
「折り紙で3時間目が終わっちゃった・・・あ・・・めまいが・・・
いいよ、4時間目もつづきするヮ。(4時間目は国語の予定でした)
あの~、お母さんがた、お時間ありましたら4時間目も観ていってください」


まさかの、授業参観延長。
ここで実況中継が脳内を駆け巡る。

「延長戦に突入しました!さあ、わからなくなってきました!!」

授業参観でハラハラするとは思いもしませんでした。


でもですね、
簡単な折りかたで仕上がるアサガオ、最後に紙を開いて花びらが出来上がるんです。
出来た子どもたちはものすごく喜んでいました。
「うわ~、すごい!できたできた~♪」って。

近くにいるお母さんたちにも
「ほら見て!きれいでしょ~」と自慢げに、誇らしげに。


先生、ほんっとに毎日お手数お掛けしています。申し訳ないと感じました。
学校入る前に折り紙はさせておいたほうがいいんだと知りました・・・。
(でも男の子って折り紙に興味もたないんだよな)


しかし、子どもたちは楽しく学校に通ってます。
初めての授業参観で観たときの子どもたちは少しおとなしめだったけれど、
今日はまわりのお友だちにも「どうやるの?」と聞いたりして賑やか。
今この瞬間もすごく楽しんでいます。
確実に平和でした。ありがたいことです。



今日も最後まで読んでくださってありがとうございます
あとで長男に様子を聞いたら、何名かお母さんたちが4時間目も残って、
子どもたちに教えながら、なんとか表紙が出来上がったそうです。┐(´-`)┌ヤレヤレ。

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2017. 09. 26  
天災は忘れたころにやってくる。



この超有名な言葉を遺したのが、寺田寅彦
柿の種』という随筆集(エッセイ集?)を読みました。



地震のことにも触れていました。
寺田が生きていたころに関東大震災が起こっています。


大正から昭和初期のころのことが色濃く浮き上がってくる内容でしたが、
なんてことない思いつきなども多かった随筆。

中のひとつが目にとまりました。



眼は、いつでも思った時にすぐ閉じることができるようにできている。
しかし、耳のほうは、自分では自分を閉じることができないようにできている。
なぜだろう。




たったこれだけ。
ふらっと思いついたようなことを短い文章にしただけのようです。
でも、考えてしまいます。


耳は自分で自分を閉じることができないようにできている。
なぜだろう。


なんで?

調べたら答えがあるのかもしれませんが、
正しい答えはあまり興味がなく(笑)。


ただふと感じたのは、
だから、人の話を最後まで聴かない人は、
嫌われたり、社会的成功をしにくかったりするのかな。

だって、不自然なことをしてるから、ってこと。


人の話を聴かないというのは、耳を閉じることと同じ。
できないことをするという、自然に反する行動だからうまくいかなくなるんじゃないか。


こんなことを思いました。
合ってるかどうかは、どっちでもいいけど。



ゲッターズ飯田のブログにこんなことが書いてあります。

他人の話は最後まで聴く。
自分のために時間を作ってくれた人への感謝と、
生きている時間を使ってくれたことへの感謝を、
命を削って生きていることを忘れないように。




自分に一生懸命しゃべってくれている人は、
その人の生きている時間を使ってくれているということ。

他人を大切にするというなら、その人の生きている時間を
自分が台無しにしちゃいけないってこと。
話は最後まで聴く。



これ、聴くことの大切さと同時に、話すほうのことへの忠告でもありますね。


自分の話を聴いてくれる人は、その人の生きている時間を使ってくれているということ。
グチや悪口で長々と相手の生きている時間を奪ってはいけない。


ああ、だから耳は2つで口は1つなんだ。
短い随筆からこんなことをつらつらと思っていた秋の日。



忠犬ハチ公が死んだときの世間の騒ぎようや、戦争の不穏な空気などが現れていて素晴らしい1冊でした。
岩波文庫などからも出ていますが、青空文庫なら無料で読めます。こちらからどうぞ(画像をクリック)。



今日も最後まで読んでくださってありがとうございます
今日は長男の授業参観日。
先生のお話、ちゃんと聴こう。でも体育なんだよね~

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2017. 09. 25  
「私は、心から腹を立てて怒ります」




ビジネス実用本『「上に立つ人」の仕事のルール(嶋田有孝:著)』より。
サブタイトル、「苦労して成功した中小企業のオヤジが新人のボクに教えてくれた」です。

大阪のガンコ社長「オヤジさん」の経営論を小説風に仕立てたビジネス書です。


この「オヤジさん」、めっちゃめちゃ怒るんです。社員に。
「アホ!ボケ!どつかれな分からんのか!?給料返せ!!」

著者の「ボク」は入社してすぐオヤジさんから毎日怒鳴られまくってます。
そうして怒りまくった最後は、いいお話で終わらせるオヤジさん。

さしずめ、
「アホ!ボケ!連呼の松下幸之助」のようでした(笑)。
ものごっつゥ人情派。


ある日オヤジさんの大学の先輩が、
「感情を爆発させて部下を怒りすぎじゃないか?怒るのと叱るのは違うんだぞ」
と忠告します。

するとオヤジさん、
「私は、心から腹を立てて怒ります」と答えます。
「些細なこと、小さなことこそ、厳しく叱らないといけません。
逆に、本人がしっかり反省しているような大きな失敗は、叱らないことにしています」



でも部下は傷ついているんじゃないか?の問いには、

「少し傷ついたほうがいいと思っています。
子供が転んでケガをしたら、その後は転ばないよう注意するようになる。それと同じです」

「伸ばしてやりたい。成長させてやりたい。
部下のためと思い、心の底から腹を立てて怒る。
そうすれば言葉遣いはどうであれ必ず伝わる。私は、そう確信しています」



なんでもかんでも怒鳴っていたわけじゃない。
感情すべてをぶつけるには、その理由があるということ。


これって、子育てにも共通していると実感しました。
職場でもそうですけど、本人が失敗を自覚して反省しているのに、
まだクドクドと怒りつづける人っています。
子どもに対してならもっとやってしまいがちなんですよ・・・。


言われなくても本人が過ちに気づき落ち込んでいるところを、
さらに追い込むような怒り方は違うってこと。


オヤジさんの会社は個人の営業ノルマが一切ないのです。
一生懸命やった結果が数字に出ていないその責任は、
個人じゃなく、会社にあると考えているのです。


人を育てる」ことに重点を置くオヤジさんの主義、
ダメ社員に文句が出ても、

「アイツはどうしようもない。けれど、他の会社に行ってもやっぱりどうしようもないと判断される。
それなら、ウチで育ててやろうや」



新事業に失敗した社員には、

「損失は授業料や。この何百倍にもなって返ってくるで」とやさしく笑う。
こんな温かさがあるのです。



部下指導の苦しみは2つに分かれるんや」とオヤジさんは言います。

1、部下の出来の悪さに腹を立てて苦しむこと

2、「出来の悪い部下を変えよう・育てよう」としてもがき苦しむこと



本来の上司の苦しみとは、2番のこと。
この苦しみ・試行錯誤が上司の力を伸ばしていくんや、と。


これも親の成長と一緒やな~と思います。
出来の悪さに腹を立てていると、なんでも怒ってしまうことになるんですよね。
そうしたらもう、「あ~また始まった」くらいに聞き流されてなんにもならないでしょうね。


なかなかうまく出来ないから、親は苦しいんですけどね~。


そしてこれだけ上手に叱ることができる上司というのも、また存在しにくい。
普段は口うるさくってかなわん!と思っているのに、その人がいないと淋しいな。
そんな風に思える人って、滅多にいないと思います。

このオヤジさんはそのタイプなんです。
「アホボケ!給料返せ!」とわめいてるけど、いてほしいなと思ってしまう。
人間的魅力がある人、なんです。


だからといって、「ワンマン社長」というのでもないのです。
物語の始まり当初(30年前)、会社の年商は約28億円

10年前にオヤジさんは経営から離れました。
現社長の著者が経営するようになり、今では年商120億円
その間、一度も赤字がありません。


こつこつ人を育てることを続け、顧客に真摯に接して・・・・
これを続けた結果、出た数字です。


オヤジさんの教えはいっぱいありました。
・悪い報告は先にする
・責任は「持つもの」であり「取るもの」ではない
・知識と行動を循環させろ

・・・・・・などなど。


でも、一番大切にする3つがこれ。
・人を大事に。目先の損得で人と付き合わない
・感謝を忘れず、相手を決して裏切らない
・投資をせず、本業に力を注ぐこと




人を育てること。最も困難な仕事かもしれません。
でもそれをがんばれば、
「人材」が、「人財」になる。本当のお宝に。


私は今、部下がいるような仕事をしているわけじゃないけれど、
子育てという観点からでも、お手本にできることがいくつもありました。


叱るときは思いっきり叱ってもいい。
何に対して叱るのか、を自分のなかに作っておくこと。
カーッとなるときにその落ち着いた判断が出来る自分でありますように・・・。





「アホボケ!どついたろか!」と叱り飛ばした後、必ずオヤジさんが言う言葉で終わります。

「お前ならきっとできる。思う存分やってみろ」



今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
☆嶋田様、ご献本ありがとうございました。本当に感謝しています。

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2017. 09. 24  
「100点はね、絶対にないの」


「100点はね、絶対にないの。モノを作る人はみんなそうだと思うよ。
100点とったら、それで終わりだもん」



このかっこいいセリフは、日本に3人しかいない銭湯背景絵師・丸山清人氏のことばです。


銭湯背景絵師。
私は銭湯に行っていた、という習慣がなくてですね。
テレビとかでしか見たことがないんです。

銭湯の富士山の絵。

そういう昔ながらの銭湯、どこに残っているんだろう・・・。
東京では都内だけでも2600軒あった銭湯が、
今では600軒に減少。
その3分の1は、背景画がないそうです。

銭湯側にしてみたら、背景画はもはや注文しなおすものじゃなくなっている。
今の絵が剥げたりしてきたら、もう1色に塗り替えるだけだそうです。
背景にコストをかけていられないって・・・。


丸山氏がインタビューに答えているものを見つけて、
初めて銭湯背景絵師の仕事を知りました。


元の絵は消さず、その上から直接、描くんです。
下地も塗らない。

だから銭湯の壁の絵は、何層も何層も重なっているんです。


絵筆や絵の具は使いません。
ペンキと刷毛で描いています。

使うペンキは、白・黄・赤・紺・群青の5色。
それらを混ぜ合わせて、すべての色を表現します。



百聞は一見にしかず。見てみてください。





ペンキでぼかしの技術まで出来るんですね・・・。
私、感動しました。
素晴らしい出来栄えで。
丸山氏の仕事っぷりもかっこいい。


言うこともかっこいいんですよね。

「消される運命の絵を描いてきた・・・っていってもね、
はやい話が、ペンキ絵だろう?

・・・安い絵なんだけど、なんか、性に合ってんだよな。
60年以上やってても、仕事が嫌だなんて思わねぇんだもん。
いまだかつて一度も、ないんだよ」




適職と天職を一致させたら、こんなに素晴らしいものになるんですね。。。
芸術と職人の間だとは思うんですが、
求められたとおりのものを仕上げる、というところは職人さんですね。
消される運命の絵とともに、銭湯背景絵師の仕事も消えていく。

時代の流れを感じて、少ししんみりです。




今日も最後まで読んでくださってありがとうございます

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2017. 09. 23  
来年のスケジュール帳はもう準備しました?
それとも紙の手帳はもう使ってませんか。

私は紙好きだし、どんな柄にしようかあれこれ迷うのも好きなので、
そろそろ買いたくなってきました。
書店とかにズラッと並んでますしね。



昨日「ほぼ日」のダーリンコラムを読んでいたら、スケジュール帳の話題だったんです。
そこには、
「昔、スケジュールがなんにも書かれていない手帳を淋しく思ったよな~」
みたいなことが書かれていて。

私もそう感じてたことある!って思ったんです。

バイトのシフトくらいしか書き込んでいないスケジュール帳。
わざわざ書かなくても分かる程度のことしか書いてない。
それを淋しく感じてたことがあったな~。


で、コラムはこう続いていました。


「スケジュール」というのは、他人との約束を書きとめたものである。
ひどい言い方のようだけれども、
「あなたをその時間にしばりつける約束」だとも言える。

だから、仕事の「スケジュール」がいっぱいだとしたら、
それは「求められている=命令されている」ということでもあるのだ。

手帳に「スケジュール」を書き込むことがないことを、さみしく思う必要はない。




これを読んで、すっごく前に読んだ本を思い出しました(タイトルは忘れました)。
それは、
「人はスケジュール帳に、他人との約束しか書き込んでいない」

そして、スケジュール帳を本当に機能的に使いたいのなら、
「『自分との約束』を書き込もう」って。


そう、思い出した!
自分との約束を書き込む、だ。


年始には何かしら目標なり抱負を胸に秘め(そんな大げさなもんじゃないけど)、
1年をスタートさせました。

それなりに取り組んでいるけれど、思った成果は上がっていない。
でも、まだ今年は4分の1も残っている。

まだ、できる。

自分との約束を書き込んで、もう少し続けてみよう。
そんなことを思った昨日でした。




今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
手帳って、最近は再来年の3月まで使えるものが多くなりましたよね。
今売られているものなら、2019年の3月まで使えるって手帳。
しかも2017年10月から使えるんですよね・・・。
じゃあ、今使っている手帳って、いつまで使えばいいの?
10月から3月分はダブるんですよ~。
ただのメモ帳っぽく扱うことになっちゃって、ちょっともったいない気もしています。
「こう使ってます!」というのがあれば教えてください~ キタ━(゚∀゚)━!

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2017. 09. 22  
僕らの心は石ではないのです。
石はいつか崩れ落ちるかもしれない。
姿かたちを失うかもしれない。
でも心は崩れません。
僕らはそのかたちなきものを、
善きものであれ、悪しきものであれ、
どこまでも伝えあうことができるのです。




『神の子どもたちはみな踊る(村上春樹:著)』より。



短編集です。
この本、最初に読んだのは北海道に来る直前でした(もう17年前!)。
その時は別のところが心の支えとなっていましたが、
今読み返したら、冒頭のところが目にとまりました。


阪神淡路大震災をモチーフにした短編集なんですよね。
直接「震災」は描かれていませんが、
震災で傷ついた人たちが登場しています。


近年、震災の被害が続きました。
今年は台風の被害も大きかったです。
「活きが良すぎるだろ、台風のバカヤロー!」って言いたくもなりますね。


災害じゃなくても、傷つくことは多々あったり。


それでも、人の心は強い。

百田直樹氏の『鋼のメンタル』にこう書かれています。

不幸は人を打ちのめすことはできますが、完全に打ち倒すことはできません、と。


人間の精神力はずっとずっと強いと信じて。







今日も最後まで読んでくださってありがとうございます

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2017. 09. 21  
大ヒットした映画、「千と千尋の神隠し」。
主題歌♪よんでいる~ むね~の~ど~こかお~くに~
あの作詞をした覚和歌子さんのエッセイ集を読みました。




あの歌詞のとおり、不思議なかた・・・。
いきなり妖精としゃべるお話から始まっていました。

目に見えないもの
説明のつかないものたちとのつきあい


これらを感じる生活や出会った人たちとの思い出を綴っています。


不思議といえば、冒頭の詩がとっても不思議でした。
むかしはみんなが巫子だった」というのですが・・・一部抜粋します。



むかしはみんなが巫子だった
昨日が 遠くに見渡せて
明日は 来る前に癒されていたから
いつでも今は 空っぽだった





巫子だったかまで想像はできないんですけど(笑)、

明日は 来る前に癒されていたから
いつでも今は 空っぽだった


ここ、「空」を想いました。

朝目覚めて、空を見ませんか?
そしてそこに青空が広がっていたら
「さあ、今日もやるか!」みたいな元気が出てくる。

どんより曇り空や雨模様なら、
「あ~~~○| ̄|_」勝手にテンション落ちる、みたいな。


空にテンションを上げる下げるものなんてなにもない、
空だから、空っぽ。空(くう)。

今日がどんな日になるか、決めているのは自分だなあって。


子どもって、くもりの日には
「今日はくもりのいい天気だね!」って言うんですよ。屈託なく。

こっちが
「え?そう?」なんて苦笑しても、
「いい天気でしょ!」って言います。


どう感じたっていいけれど、
落ちた感を作っておいて、文句を言うのはよそうと想った。

どんな日にするのか、自分が決めているのだから。






こちらは詩集です。

今日も最後まで読んでくださってありがとうございます(*≧∪≦)
今日は忙しくなるのが分かっているんですが・・・明るくがんばろ!

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プロフィール

馬場亜紀

Author:馬場亜紀
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本の中の心に刺さる一文をご紹介いたします。
看護師免許をもっていますが、今は保育の仕事をしています。自身の子育ても真っ最中。
くわしくは「自己紹介」をご覧いただければ嬉しいです。
どうぞよろしくお願いします☆

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