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立派なあたりまえお断り、「ことわざおじさん」

2017.09.30(06:02) 434

立派なあったりまえより、くーだらない大発見!


今週はちょっとがんばって働いた。疲れたなァ・・・
(授業参観で人の多いところに行ったりしたのも疲れの原因)

なのでなにも考えずに笑って読んでいられるものに手を出しました。
(いい言葉、ナシです)


『ことわざおじさん(山口タオ:著)』です。



ことわざおじさんの定義

ことわざのもじりを専門的に行うナイスミドルをさす。
楽天的、かつ協調性豊かな性向ゆえ、家庭や職場の人間関係はおおむね順調だが、
独自のユーモアセンスが周囲を困惑させることも。



いくつかパロディことわざを紹介します。
( )内は元のことわざ・その意味です。


ターザンの医師(他山の石)
見かけは頼もしいが
(他人の言動など、他の事柄を自分の参考にして役立てること)


泥棒とらえて縄、なう(泥棒とらえて縄を綯う)
お手柄をツイッターで生中継
(事前の準備を怠って、事が起こってからあわてて対策を立てる)


チューすれば、通す(窮すれば通ず)
わかりやすいセクハラ上司
(行き詰ったときこそ、かえって苦痛を打開する道が開けるものだ)


好き、とすっぽんぽん(月とすっぽん)
大胆な告白
(二つのものが比べ物にならないほど違っている様子)


鬼姫、プー太郎(一姫二太郎)
子育て大失敗
(子どもは最初が女の子、二番目が男の子だと育てやすい)


マイケルが家事(負けるが勝ち)
アメリカ人主夫
(ムリに争うより、相手に勝ちを譲ったほうが結果は得になる)


ミゲルが家事(逃げるが勝ち)
ドイツ人主夫
(勝ち目のない争いは、避けて逃げるのが一番得だ)


ちょうだい、もっとください(灯台下暗し)
図々しいぞ
(身近なことはかえって気がつかない)


変態の旅行好き(下手の横好き)
あっちこっち行くな!
(下手なくせに好きで熱心な様子)



二党を追う者は一党をも得ず(二兎を追う者は一兎をも得ず)
渡り議員への戒め
(同時に二つのことを欲張っても、どちらもうまくいかないたとえ)


都知事が蛮人(一事が万事)
首都、あやうし
(ひとつのことを見れば、ほかのすべてのことも想像がつく)


府知事がバンビ(一事が万事)
これからは、ゆるキャラですねん
(上記に同じ)




くっだらないです。
マイケルやミゲルが主夫だからって、なんやねんって。
でもクスクス笑ってしまったんですよね。


その割には、最後の3つなどはこのご時世にぴったりに感じたり。
大阪府知事、ゆるキャラっぽい人いたな~。
そっか、「ゆるキャラ」と宣言してしまえば勝ちだったんだ(笑)。

都知事は・・・都知事・・・蛮行だけは避けてくださいませ。
とりあえず、選挙は行こう。


あなどれない、ことわざおじさん。


黒い腕抜きしたおじさん、今も健在なんでしょうか?
全てのページにカラーイラストがあって、そのイラストがまたいいんですよ。


アハハと笑って、元気がちょっと出ていますように。

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その選択は大丈夫だろうか、「フォルトゥナの瞳」

2017.09.29(06:50) 433

「人間は1日に9千回の選択をしている」




『フォルトゥナの瞳(百田尚樹:著)』を読みました。

フォルトゥナ」とは、ローマ神話に出てくる、球に乗った運命の女神。人間の運命が見える、とされる女神です。
こんな話を聴いたことはありませんか。
チャンスの女神の髪は前しか生えていなくて、後頭部はハゲている。だから・・・」というの。
あの女神がフォルトゥナだそうです。


人間の「死」が見える能力を持つ主人公のお話です。

ジャンルとしてはSFになるそうですが・・・
それよりも、「バタフライ効果」がすごく印象的でした。



バタフライ効果


北京で1匹の蝶が羽ばたくと、ニューヨークで嵐が起こる。
アマゾンを舞う1匹の蝶の羽ばたきで、遠く離れたシカゴに大雨が降る。


こんな、「予測できない現象」を扱う理論の一種。


この行動が一体どこでどんな風に影響を与えるのか?ってこと。
小説のなかで、1人の男を見かけます。
死が近い人は透けて見えるのです。
その男は顔も見えない、もう数時間後に死が迫っていることが分かりました。


死が分かる男が通りすがりに、空き缶を蹴りました。
透けていた男がパッと振り向き、その瞬間、男の全身が見えるようになったのです。


一瞬の振り向きで、男の運命が変わった。
空き缶を蹴った人は一人の人間を助けた気持ちになっていたんです。

しかし、死が遠のいた男は半年後、1人の女性を殺害しました。


空き缶を蹴らなければ、その女性は殺されることはなかったのです。



ちょっとのことで後のちに大きな影響が出る、思わぬ事態になる。
こういうのってあるはずだ、と思ったのです。


私は普段、車の運転をします。
今までどうにか事故にあわずに済んでいます。

その一つには、ムリして黄色信号を突っ切ったり、歩行者より先に左折しようとしたりしなかったことも幸運につながっているんじゃないかと。
自分の運転技術や判断力はだいたい分かっています。
私はヘタなんです。
だから歩行者や他の車を優先させます。
「頼みますから、先に行ってください」って感じ。


そこをムリして急いだり、他の人を押しのけてぐいぐい行くその先に、
いいことがあるようには思えないんですよね~。


時速1キロの違いで、先に起こる出来事が変わってくるかもしれない。
歩くときも同じです。
車にはねられる、1秒遅く家を出ていたらその車と出会わなかったかもしれない。


人は1日に9千回の選択をしている。


その行動の先がどうなるか誰にも分からないからこそ、
安易な選択を続けていくことにちょっと危機感を持っていたい。
そんな風に思いました。




自己犠牲」が本当のテーマかもしれません。
人の死を回避させたい。しかしそれをすると自分の命が削られていく。
(人の運命を変える行動をとるたびに、心臓や血管が傷ついていっているのです)

自分の幸せを守るには自分の命を削る行動をとっていられない。
それはずるいんじゃないか?
自分は生きてあの人は死んでもかまわないっていうのか?


人の死が見える「フォルトゥナの瞳」を持つ苦悩に、
読んでるこちらもあっちこっちに引きずり回されるような、とても疲れた小説でした。
でも、読み応えありました。

小説のなかの一文で終わります。

「死んでほしくないと願う人がいない人生こそ、最も寂しい人生」




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日本語の乱れが気になる?「金田一秀穂の 心地よい日本語」

2017.09.28(06:50) 432

お行儀のよい言葉遣いをされることがそんなに嬉しいか?




正しい日本語、とか、美しい日本語、とか、こんな日本語知ってる?的な書籍。

いっぱい出てますね。
そして、面白いです。
楽しくて、しかも教養が身につきそうで(つかないけどね)。


そういった類の本かなあと思って読んだのが、
『金田一秀穂の 心地よい日本語』です。



雑誌『毎日が発見』で連載されていたものを単行本化。


想像以上の面白さでした。
正しさや美しさを教えてくれるものではなかったんです。


まえがきにシビれました。



正しい日本語とか、美しい日本語とか、いいんだけど、
一番大切なことは、
「心地よい」ことなんじゃないかな


お行儀のいい言葉遣いをされることが、
そんなに嬉しいか?


必死になって発した、心のこもった言葉は、
たとえ敬語のルールに従ってなくても
心を動かされるじゃない?

通じないのは困るけど、
何より
お互い気持ちのいいことが大切でしょ





ということで、取り上げている言葉たちも
いわゆる「乱れた日本語」もあります。

そのうちの1つを紹介します。



っす

「これ、やばいっす
「あいつ、きもいっす


若い男性が使っているイメージがありますね。

はっきり覚えているのは、
いかりや長介さんの
「おいーっす!」

挨拶に気合を入れる言葉としての
「っす」



でも
「やばいっす」のつかい方はちょっと違いますね。

実は、
新しい敬語です、と解説されているのです。


どういうこと?なんですが、
「っす」は、「です」を省略しているだけなんだそうっす(こういうことですよね)。


そして、この「っす」は、
すごい目上の人には使われません

社会人1年生が、自分の勤める社長につかう言葉ではないのです。


仲間に近い、少し年上の人に使います

でも
「やばいです」「きもいです」は、落ち着きが悪い。
だから、「っす」。



しかし、「です」の代わりだけでは、ない。

「オレ、腹へってるっす。だからガッツリ食べちゃうっす」

です」は、動詞にくっつかないのです
「腹へってるです」
「食べるです」


たしかにこういうふうには言わないですね!
日本語がたどたどしい中国人みたい。
日本語って、複雑~、と、ここでも思います。


「っす」は、謙譲語として使われているのです。
「ございます」「いたします」の代わりになっている



謙譲の美徳が、若い男性の間で復活していた(笑)。


今の若い女の子も、言葉遣いはすさまじいけど、
「っす」も、普通に使ってるのかな?
わかんないっす!!



「言葉って変わっていくものなんですよ」、と金田一先生。
正しく遺していくことも意義があるけれど、変わっていくものを変わらないままにすることは無理がある。
それならば、乱れた言葉のどこがどうなっているのか分析して、説明できるものにすることで、
理解していけることが増えるんだと思いました。

「っす」が敬語の代わりをはたしているなんて思ってもいませんでしたしね。
許されるのはお相撲さんだけかと(笑)。


パッと流行して、あっという間に廃れる言葉も多いですから。
あんまり目くじら立てて、
「その使いかた間違ってる!」といきり立たなくてもいいんじゃないかと。

正しい日本語がなくなっていく原因の一つは、大人が使わなく(言わなく)なってることもあるんだから。
どちらかと言えば、若者言葉に大人が影響を受けてマネするほうが多い気がしますよね。


「心地よい」を基準にした日本語。
ユーモアで切り開いていきたいです。






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授業参観、まさかの・・・

2017.09.27(06:50) 431

子供たちが毎日を楽しく生きているかどうか。
それが平和かどうかということです。
  (永六輔)




今回は日記です。前日に長男(小学1年生)の授業参観に行ってきたことを。

私が学生のころは授業参観といえば、1時間のみ。
しかし長男の学校、今回は2時間目・3時間目が参観対象でした。
おまけに、どのクラス・どの学年を参観してもいいという。

おお~、今ってそんな取り組みもしてるんだ~。
次男(3歳)を連れて行くから、退屈してきたら他のクラスを覗きにいこう。

なんて思惑は大きく外れてしまうんですが・・・。



2時間目・体育(体育館で1年生全体授業)


何するんだろ?って思ってたんだけど、ミニ運動会というか。
競走はしないけれど、順番に並んで、
「ピッ!」の笛の合図で黄色の線まで走ったら、次はゴールまでサイドステップ。

次の種目は低いハードルをジャンプで越えて、スキップ。などなど。
「からだのつかいかた」を目的とした授業内容。


6月の運動会のときよりスムーズに事が進んでいる感じ。
子どもたち成長してるな~と微笑ましく楽しませてもらいました。



3時間目・せいかつ


この授業こそ、「何すんの?」って思ってたんですけど。
夏休みの間、子どもたちは家で自分のアサガオを育てていました。
2学期に学校にアサガオを持って行き、今では花も終わり、種も採取したようです。

その記録を、「あさがお日記」として残しましょう。

まずは、表紙に折り紙でアサガオを作って貼り、
「あさがおにっき」と書いて、好きな色を塗ったりしよう!


こんな目的の授業です。


しかし、男子ほぼ全員、折り紙ができない(笑)。


先生が前で「こうして、次はこうやって・・・」と見本を見せながらやっていく。
工程3つ目くらいから

「せんせー、わかんな~い!」
「みえな~い!」
「ねえねえ、どうやんの~!?」

あっちこっちから声があがり、先生は順々に見てあげていってる。

けど、子ども32人。
女子の半数は自分でさっさとやれているけれど、残りは大騒ぎ。


だんだん先生も、
「イスにちゃんと座ってないからできないんでしょー!?」
「もう知らないよ~!できないよ、自分のやりかたでやろうとしたって!」と少しイライラモード。

アサガオの仕上げに少しハサミで切る作業もあるんですが、
「先生・・・指切っちゃった・・・(出血・半べそ)」という子も出てくる。

先生、手当て。
先生、折り紙教えにまわる。


どうしたって1時間で表紙が出来上がるどころか、アサガオ一つ仕上がらないペース。
見かねたお母さんたちが、近くの子どもにそっと教え始めました。
私も思わず・・・「あんな、ここはこうやって」と口出ししてしまい。


アサガオ3つ作る予定も、3つ目が仕上がらずに3時間目終了。

先生、小さな声で、
「折り紙で3時間目が終わっちゃった・・・あ・・・めまいが・・・
いいよ、4時間目もつづきするヮ。(4時間目は国語の予定でした)
あの~、お母さんがた、お時間ありましたら4時間目も観ていってください」


まさかの、授業参観延長。
ここで実況中継が脳内を駆け巡る。

「延長戦に突入しました!さあ、わからなくなってきました!!」

授業参観でハラハラするとは思いもしませんでした。


でもですね、
簡単な折りかたで仕上がるアサガオ、最後に紙を開いて花びらが出来上がるんです。
出来た子どもたちはものすごく喜んでいました。
「うわ~、すごい!できたできた~♪」って。

近くにいるお母さんたちにも
「ほら見て!きれいでしょ~」と自慢げに、誇らしげに。


先生、ほんっとに毎日お手数お掛けしています。申し訳ないと感じました。
学校入る前に折り紙はさせておいたほうがいいんだと知りました・・・。
(でも男の子って折り紙に興味もたないんだよな)


しかし、子どもたちは楽しく学校に通ってます。
初めての授業参観で観たときの子どもたちは少しおとなしめだったけれど、
今日はまわりのお友だちにも「どうやるの?」と聞いたりして賑やか。
今この瞬間もすごく楽しんでいます。
確実に平和でした。ありがたいことです。



今日も最後まで読んでくださってありがとうございます
あとで長男に様子を聞いたら、何名かお母さんたちが4時間目も残って、
子どもたちに教えながら、なんとか表紙が出来上がったそうです。┐(´-`)┌ヤレヤレ。


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人の話を聴かない人は感謝が足りない、「柿の種」

2017.09.26(06:50) 430

天災は忘れたころにやってくる。



この超有名な言葉を遺したのが、寺田寅彦
柿の種』という随筆集(エッセイ集?)を読みました。



地震のことにも触れていました。
寺田が生きていたころに関東大震災が起こっています。


大正から昭和初期のころのことが色濃く浮き上がってくる内容でしたが、
なんてことない思いつきなども多かった随筆。

中のひとつが目にとまりました。



眼は、いつでも思った時にすぐ閉じることができるようにできている。
しかし、耳のほうは、自分では自分を閉じることができないようにできている。
なぜだろう。




たったこれだけ。
ふらっと思いついたようなことを短い文章にしただけのようです。
でも、考えてしまいます。


耳は自分で自分を閉じることができないようにできている。
なぜだろう。


なんで?

調べたら答えがあるのかもしれませんが、
正しい答えはあまり興味がなく(笑)。


ただふと感じたのは、
だから、人の話を最後まで聴かない人は、
嫌われたり、社会的成功をしにくかったりするのかな。

だって、不自然なことをしてるから、ってこと。


人の話を聴かないというのは、耳を閉じることと同じ。
できないことをするという、自然に反する行動だからうまくいかなくなるんじゃないか。


こんなことを思いました。
合ってるかどうかは、どっちでもいいけど。



ゲッターズ飯田のブログにこんなことが書いてあります。

他人の話は最後まで聴く。
自分のために時間を作ってくれた人への感謝と、
生きている時間を使ってくれたことへの感謝を、
命を削って生きていることを忘れないように。




自分に一生懸命しゃべってくれている人は、
その人の生きている時間を使ってくれているということ。

他人を大切にするというなら、その人の生きている時間を
自分が台無しにしちゃいけないってこと。
話は最後まで聴く。



これ、聴くことの大切さと同時に、話すほうのことへの忠告でもありますね。


自分の話を聴いてくれる人は、その人の生きている時間を使ってくれているということ。
グチや悪口で長々と相手の生きている時間を奪ってはいけない。


ああ、だから耳は2つで口は1つなんだ。
短い随筆からこんなことをつらつらと思っていた秋の日。



忠犬ハチ公が死んだときの世間の騒ぎようや、戦争の不穏な空気などが現れていて素晴らしい1冊でした。
岩波文庫などからも出ていますが、青空文庫なら無料で読めます。こちらからどうぞ(画像をクリック)。



今日も最後まで読んでくださってありがとうございます
今日は長男の授業参観日。
先生のお話、ちゃんと聴こう。でも体育なんだよね~


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  5. 人の話を聴かない人は感謝が足りない、「柿の種」(09/26)
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