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トゲで自分を守っている人へ、「ボクの針は痛くない」

2017.10.31(06:50) 465

ボクがボクのことを嫌いだったんだ。


ここ数年は空前の「猫」ブームでしたね~。
猫に思い入れのなかった私でも、かわいい表情やしぐさの写真や動画を見る機会が多いと「かわいいな~」って想うようになりました。


そんな猫ブームの、次のブームがやってきているそうです。
次は、

ハリネズミ

すでに「ハリネズミカフェ」なども出店しています。
たしかに、愛らしい姿なのです。

よかったらこちらの動画をご覧ください。24秒で終わります。


足が!
足がかわいらしすぎる!


ちゃっかりブームに乗っかり、今回はハリネズミのフォトエッセイ本を紹介します。



『ボクの針は痛くない(shin5:著)』

ボクの針は痛い
そう思っていた

みんなが
針 痛いんでしょ?
って言うから
痛いもんだと
思っていた



嫌いならほっといてよ
触らないで
最初から近づかないで
ボクはすみっこで丸まって
イヤなことが通り過ぎるのを
ずっとずっと待っているんだから



一人に飽きて街にでれば、たくさんの人であふれ、
肩がぶつかり、足を踏まれ、心無い言葉を
多く浴びせられることになる。

自分が失敗することを恐れ、誰かが失敗すると喜び、
責められることから逃げて、
誰かを責めるような最悪な日が続いた。





ハリネズミのトゲ、短いですが触ると痛いそうです。
いつもは大丈夫なんですが、
ハリネズミが緊張したり怒ったりすると身体を丸め、トゲが刺さるようになってます。


しかしヤマアラシと違い、ディフェンス専門。
(ヤマアラシのトゲは武器になります)
自分の身を守るだけです。


人間の心もそうやってハリネズミのトゲを張り巡らせている状態のときがありますね。
私も一時期そうだったな・・・。

攻撃はしないんだけど、とにかく「ほっといてよ」って感じでした。

何を怖がっていたんだろうな。
トゲで身を守らなくても、優しい人がいっぱいいた。
そのことに気づけて、良かった。


トゲだらけの時期があったからこそ、人のやさしさに気づけたのかもしれないから。
ムダな時期だったとは思わないでいられます。



ボクはみんなに嫌われていたんじゃない
みんながボクのことを嫌いなんじゃない
嫌いなのはボクだった
ボクがボクのことを嫌いだったんだ


ボクの針は痛くない




表紙の写真の足もかわいらしい♪
画像をクリックすると、「試し読み」ができるページへいけます。


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新しい毎日がくる、ちょっとだけ良くする

2017.10.30(06:50) 468

日に新た、日々に新たに、また日に新たならん。

「大学」という、中国の古い書物の言葉です。

「大学」とは、論語と並ぶ四書五経のひとつで、
孔子の高弟・曾子とその弟子がまとめたとされています。


大学というと日本の学校を想像してしまいますが。
「大人(たいじん)の学」、オトナになるための学、ということです。

常に自分を磨きつづけ、かつ周囲に良き影響を与える人。
こういう人間をつくるための学問です。


「大学」に対し、「小学」もあるそうです。
こちらは、
人として当たり前のことをきちんとやろう、という学問だそう。



日に新た、日々に新たに、また日に新たならん。
この言葉は、大学のなかに書かれている言葉のひとつです。
意味は、

今日の行いは昨日よりも新しくよくなり、明日の行いは今日よりも新しくよくなるように修養に心がけねばならない。


私はこの意味を知ることよりも、言葉そのものの歯切れのよさがすごく気に入ってしまいました。

「日に新た、日々に新たに」


こんな俳句がありましたよね。
 松島や ああ松島や 松島や


このように、
 日に新た 日々に新たに 日に新た


昨日、らせんについて書きましたけど、
毎日は同じように見えても、そこにとどまってぐるぐるくり返してるわけじゃなく。

らせんを描き、元の場所からちょっと上(前)に動いているはず。

日に新た

毎日ちょっとずつらせんを描くように、良いほうに向かうこと。


そんな毎日を思い描いて。
ブツブツつぶやきながら♪(/・ω・)/ ♪





今回のお話も、『「こんなもの誰が買うの?」がブランドになる』より引用しました。


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螺旋をもつ人間は空よりも大きく

2017.10.29(06:50) 467

パプア・ニューギニアの神話をご紹介します。


「空とカタツムリ」

空は自分より大きなものは存在しない、と思っていたし、
世界中の誰もがそれに同意していました。
空は満足げに見回していると、カタツムリを見つけました。
カタツムリは言いました。

「空さん、空さん、空さんよりぼくのほうが大きいよ」

空はそんなことあるものか、とカタツムリに言いかけて、やめました。
カタツムリが背負っている殻のらせんを見たからです。

「ほんとうだ。カタツムリさん、あなたのほうがぼくより大きいですね」



中心から外に向かってらせんがぐるぐる大きく広がっている。
それは終わりのないぐるぐるらせんで、やがて宇宙へと飛び出していく。
空は限りがあるけれど、らせんにはない。




宇宙自体もらせんを描いてますよね。
銀河系などの画像を見ると。

実は、太陽系もらせんを描いているんですって。
この映像を見て「すごいー!」ってびっくりしました。
3分ちょっとありますが、最初の30秒ほどを見れば充分です(笑)



黄色い丸いものが、太陽です。
すごい速さで移動していく太陽を追いかけるように、
らせんを描いてついていってるのが、地球や金星や土星など。

じゃれあってるようにも見えて、楽しそうだ、星。


学校で習った太陽系の図って、平面だったから、
星たちは楕円形を描いて動いていると思っていました。

ちがうんだ、ものすごいスピードで移動してる!

地球もすごい速さでらせんに動き、さらに自転までして。
・・・考えていたら、頭がくらくらしてきました。
よく地球から落っこちないでいるわ、人間・・・って。


宇宙の構造と同じものを人間も持っていますよね。

DNAの二重らせん。


神話と同じように、人間も空より大きいといえるのかもなあ。
夏目漱石の『三四郎』には、

「日本より頭の中のほうが広いでしょう」という名言が出てきます。
漱石には分かってたのかな・・・。


小さな神話なんだけれど、雄大なものを想像して楽しかったです。
空の謙虚なところも好もしい





『「こんなもの誰が買うの?」がブランドになる(阪本啓一:著)』より引用しました。
商売のことを書いたビジネス書なんですが、
著者がサービス精神旺盛なかたなんでしょうか、
もってる知識全てを動員してくれたかのような、読み物として充分に楽しむことができました。



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日記が続かない人へ、『はげまして はげまされて』

2017.10.28(06:50) 464

描けるまで続けていく。



圧倒的な記録を本にまとめた
『はげまして はげまされて(竹浪正造:著)』です。



サブタイトルが、「93歳正造じいちゃん56年間のまんが絵日記」。
1918年生まれのじいちゃん、長男が3歳のころ(昭和29年)から絵日記を描きはじめました。
じいちゃんは36歳のころからずっと描き続け、ノートは2300冊を超えました。


56年間を抜粋したものですけど、ホント何気ない日常を綴ってきたんだな~と。
わんぱくだった長男のいたずらを、長男が大きくなったら
「お前はこんなに悪さばっかりしてたんだぞ」と見せてやろうと考えて描き始めたそうで。

長男、「窓から小便するんだぢや~!」と泣きわめいたり(笑)。
よくお尻を叩かれてたみたいです。


ちょっと紹介してみましょう。

<昭和30年1月7日>
(奥さんが風邪で寝込んでいます)
零下8度という。こぼれた水がすぐ凍ってしまう。
今日も会社を休んで、炊事と子供達のお守り。
いやはや、女の苦労がみにしみました。



<昭和30年6月24日>
夕食で食べたほやの中毒。一家全めつ。

(お腹をおさえて病院に行く一家の絵)


<昭和37年1月6日>
我が家に電話機がやってきた。ベルはなるけれど通話が全然だめ。
「ハローハロー バカヤロー」



子供達の進学や結婚などのとき、夫婦2人で子どもへ送る荷物の中身など。
どのページもありふれた、でも幸せそうな家族が描かれています。
(しかも色まで塗られています。やさしい色使いです)

あれです、新聞朝刊の最後に載っている4コママンガ。
あの雰囲気をまとっているのです。
ほのぼの~。



いいことばかりではありません。
昭和62年、奥様は帰らぬ人になってしまいました。
平成13年には長女の聖子さんまで・・・。


よその家族のことながら、同じように悲しんだり喜んだりしてしまいました。
人生には喜びも苦しみも悲しみも等しくあるんだな。

じいちゃんの、ささやかな日常を大切に愛する、敬う心が伝わってくるからでしょうか、
読んでいて、よくこの記録を残してくれたな~、じいちゃんみたいな人がいてくれて良かったな~と素直に思えます。




ところで何がすごいって、やはり56年も続いたことではないでしょうか。
よく人からも訊かれるそうです。
「どうしたら続けることができますか?」って。


別のインタビュー記事からですが、じいちゃんの答えを書きますね。


・記憶より記録

人は忘れる。だから、とにかくすぐにメモをとる。
そうしておけば、あとから2,3日分を描くことだってできる。


・続けると決める

がんばること。
死ぬまで描けるならば描いてみる!こう決めた。



じいちゃんはある日の日記を見せます。
そこには、「日記を書くのが大儀だ」とグチをこぼしたじいちゃんが記録されています。

友人は、「やめればいい。そしたら楽になるよ」と言ってくれています。


「やめたら、と言うてくれたが、それではただの老人になることだ。
日記をつけることは、誰でもやってないことの実行である。
わたしは万艱を排してでも、描けるまで続けていくつもりだと、自覚した」




自分で決めたことなのに続けられない。
こういったことはありがちです。

なぜ続けられないのか?
続けるんだと、使命にも似たような思いでやらないから、なのでは?


そしてじいちゃんがグチッた日のことですが、
そのころのじいちゃんは仕事も定年退職をしていたし、一人暮らしだったため、
時間は十分にあったはずなのです。

それなのに日記を描くのが辛いと感じていた。

ここで、
「時間がないから続けられない」
「時間があったら続けられるのに」という言い訳は通用しないことが分かります。


自分との約束を、ちっぽけな約束であったとしても、
続けると決めたなら、約束を破るようなことはしない。

それだけでいい、続けることの本当のコツは、そこにしかない。
そんなことを想いました。



奥様に先立たれて泣いて過ごす日もあったじいちゃんですが、
平成元年(1989年)、「ツル多はげます会」を発足します。

会のキャッチフレーズはこうです。
「禿げの光は平和の光 暗い世の中 明るく照らす」

オレたちは無理してはげたわけでねえ。
なーんにも後ろ指さされることねえんだ。




この会で出会った仲間たちとともに、笑顔いっぱいの日々を過ごされています。
記念撮影はフラッシュ不要!って(笑)
まさに、「はげまして、はげまされる日々」、はげはげ日記です。




なんでもない日常を丁寧に、楽しみを見つける生き方をしてきたじいちゃんですが、
平成29年10月12日に永眠されました。満99歳。
「老衰」だそうです。
きっと天国で奥様や長女さんとつもる話をされていることでしょう。
ご冥福をお祈りいたします。



『一生一途に』
こちらは昭和20年前後の記録絵日記です。
じいちゃんは中学卒業後、満州鉄道に入社していました。
その後関東軍に入隊。

戦争が終わったときは北朝鮮にいたのです。
奥様と2人、38度線を越え、海を渡って、日本に帰ってきます。

戦争とはどんなものであったのか、一庶民の記録から学ばせてもらいたい。
これからゆっくり読みます。

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ブランコは癒しの遊具『気障でけっこうです』

2017.10.27(06:50) 462

ブランコの門戸は傷心の全人類に対して広く開放されてしかるべきだ。



こんなことをしれっと口に出せる幽霊が出てくる小説、
『気障でけっこうです(小嶋陽太郎:著)』


ある日女子高生が公園を通り抜けようとしたら、
サラリーマン風のおじさんが、穴にはまっていた。
首だけ出てて、まるで地面におじさんが生えているかのように。


何してんですか?


はっきり説明しないおじさん。
結局おじさんは死んでしまい、女子高生の前に幽霊として再び現れます。


この幽霊、気障なセリフをしれっと言います。


「花は落ちて、水は流れます。
ちぎれた桜は、雨に流されて海まで行って、
どこかの島に流れ着いてまた別の花として咲くんですよ」



気障。


悲しみにくれる女子高生とともに、2人が出会った公園に行きます。
そこでブランコに乗りながら・・・


「ブランコの門戸は傷心の全人類に対して広く開放されてしかるべきだ」
ブランコの鎖を触って、きいっと揺らした。

「ああ、単純な響きながら、どこか物憂い。
それでいて傷ついた心に柔らかく染み込むような奥ゆかしい音です」




真顔でこういったことを言われたらビックリするだろうな。
「気障」って言葉自体、あんまり使われなくなったようにも想います。
昔の映画はこんなのばっかりだったんじゃ?


気障という代わりに、
「寒い」とか、「きもっ」とか?
今はそんな感じになってるような・・・。



ところで「ブランコ」。
子どもの心を開放させ、一人でも遊べる素敵な遊具。


傷ついた心を持つ人なら、サラリーマンだろうが学生だろうが主婦だろうがフリーターだろうが、
誰だって乗っていい遊具。

黒澤映画の「生きる」でも、男性がブランコに揺られている場面が印象的。

傷を癒せるなら使いたいですね。


大人が一人で乗るには、周りの目が気になる?
それはありますよね。
私も乗るとしても子どもに付き合って公園に行くから乗るわけで。


ところが、落とし穴はそこじゃありません。


乗る以前に、
「座れない(お尻が入らない)」のです!


ホントに小さい子どもしか座れないようなサイズのブランコが増えた!
何か理由があるのでしょうか・・・。
*「アンタのサイズが問題では?」という意見は却下いたします( ̄^ ̄)ゞ


ぜひぜひ、オトナも使えるブランコの設置も考慮していただきたいと思いました。




前半と後半、物語の雰囲気がガラリと変わります。
後半はバイオレンス要素も加わります。
そして、女子高生の言葉遣いがたいへんなことになっています。
今どきの子ってこんなしゃべりかたするのか・・・。

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2017年10月
  1. トゲで自分を守っている人へ、「ボクの針は痛くない」(10/31)
  2. 新しい毎日がくる、ちょっとだけ良くする(10/30)
  3. 螺旋をもつ人間は空よりも大きく(10/29)
  4. 日記が続かない人へ、『はげまして はげまされて』(10/28)
  5. ブランコは癒しの遊具『気障でけっこうです』(10/27)
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