タイトル画像

祈りと呪い。「20光年先の神様」

2019.01.26(08:00) 665

祈りとは、今を生きるためにあるものなのか。

『20の短編小説』という、「20」をテーマにした短編を20編集めた小説集です。
その中の、「20光年先の神様(木皿泉:著)」を紹介します。


20の短編小説 (朝日文庫)



中学生の和美は、クラスメイトのナホに陰湿ないやがらせを受けました。
そのとき、和美は祈ったのです。

「神様、もしおられるのなら、トージナホを殺して下さい。
できるなら、私の目の前で苦しみながら死なせて下さい」



そして40年後。
和美は看護副師長として、ナホは末期ガン患者として再会します。

手術をして、容態が安定していたナホが急変。
もうダメだろうという状態になりました。


「神様はいる」
神様は、きっと二十光年先にいらっしゃるのだ。
和美の願いが神様の元に届くまで二十年。
神様がその願いを和美のところまで届けるのに二十年。
四十年前に祈ったことを、今すぐキャンセルして下さいと祈っても、
すぐにはかなえてくれない。
そういう、取り返しのつかない時間の中に、私たちは生きているのだ。



和美が「祈り」だと想ってやったことは、「呪い」。
これを読んで恐ろしいなと感じたのは、
「もしもこの祈りが何十年先に叶うことになったとしても、そのときの自分は叶った喜びを感じるだろうか?そう思える内容を祈っているんだろうか?」ってことでした。


私も過去、心の底から存在が消えてほしいくらいの人がいました。
祈らずに、自分から離れることで開放されましたけど。

あのとき祈っていなくて本当によかったと思えます。
もしも10年後に叶っていたとしても、まったく嬉しくなかった、むしろ、苦い思いを味わっていただろうと思えますから。

自分の行動次第でどうにか離れられることなら、安易に呪わないほうが健全でいられる。

逆に。

何十年たっても呪いが叶って嬉しいと思えるのならば、
それはその人にとっての「祈り」と言ってもいいと思う。
どんなひどいことを呪っていたとしても。
それだけの想いを生きるエネルギーにしてこれたという意味で。

でもできるなら、祈りは朗らかなものにしたいなあ。
叶わなくて当然、叶ったらラッキーくらいの。



20の短編小説 (朝日文庫)


すべての祈りと呪いを叶えるほど、神様はサービスしないでしょうねえ。
それでも、ただ祈りたいときはあります。
そんなときは、祈っておきます。


今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。


吉報配達ブログ


読書日記 トラックバック(-) | コメント(2) | [EDIT]
<<万人に合うアドバイスってあるのかしら? | ホームへ | 拗ねたら負け、『天国マイレージ』>>
コメント
私はむかつく人とも出会ってきたけど
死んでほしいとまでは思ったことはないかな。
もうその人のことを一生忘れるか
縁が切れない人なら上辺だけで付き合う(笑)。
もし自分の大切な人を傷つける人がいたら
自分の手を汚さないようにしながら
呪いをかけますが(* ´艸`)クスクス
【2019/01/26 21:24】 | ふたごパンダ #- | [edit]
20光年、往復40光年の呪い、面白い発想ですね。
40年もたてば怒りや憎しみも氷解してるでしょうに。
2018年は5つの願いを毎日祈りました。
そのせいか4つは叶えられました。
残りの一つは阪神の優勝でしたが、最下位にされてしまいました。(笑)
【2019/01/27 19:03】 | エリアンダー #- | [edit]
コメントの投稿













管理者にだけ表示を許可する