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2019-02-25 (Mon) 06:00

数学者がアメリカへ渡る、「咸臨丸にかけた夢」

幕末に、太平洋を横断した江戸幕府の軍艦・咸臨丸。
航海長として航海を支えたのは、小野友五郎という数学者だった。

   (本カバーの言葉より)

『咸臨丸にかけた夢(鳴海風:著)』です。



サブタイトルは、
「幕末の数学者・小野友五郎の挑戦」とあります。
実在した数学者の伝記物語(中学生向け)です。


江戸時代の数学者といえば、関孝和。しか知らないです。

それに、「咸臨丸」って、たしか勝海舟がアメリカに行ったときの船の名前。
なんで数学者が主人公?


茨城県の貧しい武士の家に生まれた友五郎。
夢は立派な武士になることでした。
かなり腕の立つ少年だったみたいですが、
兄に算学の塾へ行けと言われたのが人生の転機でした。

塾の先生が素晴らしい人格者だったことと、
数学の美しさに魅了され、どんどん数学の力をつけていった友五郎。


田舎の身分の低い武士の家に生まれながら、
晩年は、明治政府の現在でいう「財務副大臣」にまで昇進しました。

いったい、なにが友五郎をそこまで押し上げていたのか。


それは、塾の先生の言葉をずっと大切に守り続けた友五郎の姿勢です。

大事なことは、責任感や忍耐力、そして他人を思いやる心です」と述べた先生。


友五郎は、こつこつと働きました。
ときには嫌がらせもされました。
けれど不満を言わず、自分のやることをやり続けました。

ほめられても自慢しません。

その誠実な人柄を認められて、江戸で働くことになりました。
そこでも人柄と数学力を認められます。

そのころの日本は「黒船来航」という緊急事態の真っ只中、
「急いで日本を守るために、海岸の守りを強化せねばならない、船も作らなければならない。
そのためには数学ができるものが必要だ」と。

咸臨丸の航海長までやることになりました。


友五郎は自分は流されてなんとなくこんなことになっちゃった、みたいに思っていたようです。
勝海舟(このころは麟太郎)を見て、

「自分で自分の人生を切りひらいていく人もいるのだなあ」と尊敬しています。

ですが、
どんなときも責任感・忍耐力・思いやりを守ってきた友五郎もまた、
受身っぽいですが、自分の人生を自分で切り開いていたといえます。


このころの日本人はすごいですね。
身分制度でガチガチだったイメージばかりがありますが、

実力のある人が上に立つのはとうぜんのこと」として、
友五郎のほかにも、身分を問わず能力のある人物をどんどん大切な仕事に就かせています。


物語のなかで印象に残った言葉があります。それは、

「精励」

藩主が友五郎に、
「江戸に来て以来精励していること(熱心に働いていること)、ほかの藩士の模範である」と、褒めるんです。


精励という言葉、いい言葉ですね。
これぞ、日本人の本質をあらわす言葉のように思いますが。

「精」の意は、
こまやかに、純粋なもの、とあります。

仕事とは、仕方なく淡々とやらされるものではなく、
純粋に、やるべきことを丁寧にやるのだ、という意識があったんでしょうね。

こういう純粋な気持ちで働くということをやりたいです。


友五郎の人生とともに、
日本が開国していく様子を知ることができる、この物語。
私たちの先祖は誇らしいものだと、改めて感じることができました。


とにかく、この物語では勝海舟も福沢諭吉も端役。
勝にいたっては、偉ぶってみては船酔いでオエオエいって船室に引っ込むという、
なんとも迷惑な男


ジョン万次郎は大変重要な役割で登場しています。
これもまた面白かったです。





物語には関係ない会話のところなんですが・・・
友五郎たちがオランダ人から航海術や船のことを教わるんですが、
友五郎は言葉がわからないと、ジョン万次郎にグチを言います。
するとジョンは・・・

「発音だけではないよ。
うまくいえないけれど、
日本人とオランダ人、同じことでも、頭の中でちがうことが多い」

「なにをいっているのか、さっぱりわからん」

「ええとですね。
さっき友五郎は、理解できないと思う、といったね。
あれ、アメリカ人なら理解できると思わない、っていうのです。
たぶんオランダ人も同じ」



作者の創作なのか本当にこういうやりとりがあったのか。
それは分かりませんが、作者はここも書いておきたかったんだろうと。

咸臨丸がアメリカに着いたとき。
アメリカ人たちは盛大におもてなしをしてくれています。
船はかなり傷んでしまい、修理が必要でしたが、
その修理も、費用もすべてアメリカがやってくれました。

それに感激した幕府側は、
修理費用として用意していたお金を、
カリフォルニアの慈善団体にすべて寄付しました。


こういった歴史と、
今の外交というか、世界の関係を、
作者は「頭の中がちがう」というやりとりでなにかを示唆しているように思えてなりません。


最終更新日 : 2020-07-17

* by エリアンダー
『咸臨丸にかけた夢』読んでみたくなります。

万次郎や大黒屋光太夫をよく読みましたが
ジョン万次郎と咸臨丸に接点があったとは知らなんだ。
友五郎は身分の上下に関係なく抜擢されたんですね。
幕末って身分に関係なく、才能ある人材を留学させたり
登用し、それが明治に花開いた気がします。
大久保利通や木戸孝允、下級武士だったにも関わらず「精励」の
見本となった人です。

* by ミドリノマッキー
幕末に明治初期、日本の歴史の中で激動と呼ばれるにふさわしい時代ですね。
この時代に生きた人たちってやりがいがあったでしょうね。
近代日本の礎を築いた人々。
自分は反幕とか佐幕とかに関係なく、この時代を生き、創ってくれた人たちを尊敬します。

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* by てかと
なかなか深い話ですね。なるほど、と思ったところは少なくないです。
水戸藩士で頭のきれる人物は大地震で亡くなったり、
徒党を組んで大老を斬りに行ったりで、
こういう地道な活躍をした人物の名前が歴史の立役者の陰になって表にでないというか。
明治政府の要人になっているところからみても、算用に優れた人物は多く取り立てされているのも特徴です。
逆に刀に生きた人物は無用になっているところが泣ける。
海外にいって見識を広めた人物が時代をひっぱる。
今見ると福沢諭吉先生の脱亜論がにわかに脚光を浴びてきましたが、
情報化社会にあっても国民の認知に一世紀以上かかるとか・・・。
世界をみてきた小野友五郎さんたちもどかしかったでしょう。

* by 八咫烏(全力稼働中)
個人的な認識では、咸臨丸といえば福沢諭吉と、役に立たない(笑)勝海舟ってイメージだったのですが、いやはやこんな人物ものっていたのですね。

いつの時代も活躍する人物に不可欠なのは、内面の成熟でしょうね。今どきは、デヴューが早いことが多いのですが、果たして内面がそれに追いついている早熟な天才たちがどれほどいるのやら、と思います。

当時の日本の環境は、今から見るとまだまだ開かれていないという印象もありますが、実際のところ、今の閉塞的な社会を見ると、まだ当時のほうが希望があった分良かったのでは?と思います。今は言葉では自由とか公平とかいいつつ、実際は作られたルールのなかで都合よく動く部品みたいな人間を育てる社会になっているように思うのです。

異文化への理解という言葉。日本人はそれを善意のみに適応してしまいがちですね。異文化への理解というのは、良い面だけでなく悪い面でも大切にしないといけない言葉だと思うのです。

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