吉報配達ブログ

ひっそり咲いている名言に、光を当てる

Top Page › 芸術・スポーツ › みんなの幸せを願っている、『これでいいのだ』
2020-08-06 (Thu) 05:11

みんなの幸せを願っている、『これでいいのだ』

ありがとうございます。吉報配達ブログへようこそ。
吉報を届けることができますように。


働くっていうのはレレレのおじさんがやってることだ

この一文の意味を考えるために、レレレのおじさんが登場するマンガ、
「天才バカボン」原作者の本を読んでみようと思いました。
『これでいいのだ(赤塚不二夫:著)』です。



子供時代から、漫画家として人気を博したころまでの自伝です。
満洲で生まれて、10歳で日本に引き揚げてきたんだ、知らなかった。

敵も味方も同じ人間じゃないか



赤塚氏のお父さんは、特務警察官でした。
どんな任務だったのか、詳しくはわかりませんが、
かなり命がけだったみたいですね。日中戦争が起こる頃だし。
日本人は中国人に対して威圧的な態度だったとかありますし。

けれどお父さんは、厳格な中にも公平さがあったというか。
中国人に意地悪をせず、また、取り入ってくるような人からは
絶対に物を受け取らなかったとか。

天才バカボンのパパがよく口にする”これでいいのだ”は、
ぼくのおやじの生き方と共通するものがある。
果たして”これでいいのだ”という人生をおやじは生きたかどうかわからないが、
少なくともそういえるような生き方を目指したことはたしかだと思う。


子どもの視線から見たお父さん像。
これが、バカボンのパパの原型だったんだ(パロディしまくってるが)。

お父さん、シベリアに抑留されています。
帰ってこれたのは4年後でした。
体重は激減し、40キロくらいしかなかったそうです。
長い間、後遺症みたいなものにも苦しんでいたとありました。

体調が芳しくないから、仕事もなかなか見つからない。
頼まれて渋々引き受けた農協の仕事は、給料を半分にされていました。

それでも、夜、農協から届く食料などを、
各家庭に配るためにリヤカーを引いて歩いてたそうです。
もちろん、そのぶんは無給。

そんなお父さんだからこそ、
親切な人が、食べ物を分けてくれたりすることも多かったみたいですね。


あとがきには、次のように書かれています。

おやじは出口を探して生きた。おやじは自分に問いかけていたはずだ
   ”これでいいのか?”と。



あの時代に、まわりに流されずに
「敵も味方も同じ人間じゃないか」と言えた人って、
基本、バカボンのパパ精神を持ってるんでしょうね。
同じ人間の、生きてるものの、幸せを願っている心じゃないでしょうか。

はたから見てると悲惨な人生かもしれないけど、
みんな同じ、幸せになれと願ってる人って、
”これでいいのだ”と、胸はって生きる人生を送れるのかもしれない。


赤塚氏の書き方は、暗くならないように、
所々は茶化すように表現されています。「にゃろ〜」とかね。
けれど、戦争の遺したものがついて回っている感じがあります。

家族揃って過ごせてる時間が本当に少ないんです。
みんな一緒では暮らしていけなかったんですね。
お母さんだけ別の場所で働いて仕送りしてたり……。

決して、戦争を強調した自伝ではないんですけれども、
帰国してから「満州だろ」と差別されたり、
何年にもわたる貧困は戦争が原因だとか。
印象に残りました。

こういう両親の生活をバラバラにしたり、
家族を悲惨な目にあわせる戦争だけは、
もう二度と起こしてはならないと思う。


漫画家さんの戦記って、
水木しげる氏のラバウルものくらいしか読んでなかった。
今回、赤塚氏の本にはね、ズンときました。
8月はとくに、そんな感じです。




いいことと悪いこと、もしかしたら悪いことのほうが多かった人生かもしれないけど、
子どもから見たお父さんの人生は、
「これでいいのだ、うん」と締めくくれる最期に思えたそうです。

バカボンのパパに名言が多いのは、
お父さんをお手本にしてるからなんでしょうね。

「わしはわしでいいのだ」

「あなたはあなたでいいのだ」

「みんなのしあわせをねがっているのだ」




レレレのおじさんは出てこなかった。
レレレのおじさんを求める旅は続く……。

最終更新日 : 2020-08-06